香山リカのココロの万華鏡:
「無関心」という不幸
毎日新聞 2014年06月10日 首都圏版
毎日新聞の記事などがきっかけとなり、認知症による徘徊(はいかい)などで行方不明となって保護された後、身元がわかるまで長期間かかる高齢者の問題に注目が集まっている。
先日は老人ホームにいた男性の身元が18年ぶりに判明するというできごともあった。
一方、所在や安否が不明という子どもが大勢いることにも注目が集まっている。
文部科学省によると、1年以上居場所が分からない小中学校の「居所不明児童」は、昨年時点で全国で705人にも上っている。
また、乳幼児健診を受けないことなどで「所在不明」とされているさらに低年齢の子どももいるが、全国の実態はまだ把握されていない。
自治体は児童相談所や学校と連携して自宅を訪問するなどの対応をとることになっているが、親が転居を繰り返したりすると追跡しきれなくなる。
先日、神奈川県厚木市でアパートに置き去りにされた男児が遺体となって見つかる事件が発覚したが、訪問した市の職員は「子どもは引っ越した」と考え、対応を打ち切ったという。
いまここで生きているのに、身元もわからない高齢者。
生まれたことはわかっているのに、いまどこで何をしているのかを誰も知らない子ども。
片方が認知症という病気のため、もう一方は無責任な親のためと、理由は違うが、人間として一番悲しい事態に陥っていると考えられる。
ただ、診察室にいると、程度こそ違うが同じような状態に陥ることは日常でもあるな、と感じる。
ある男性は、小さな会社で何年も働いていたのに、上司がなかなか名前を覚えてくれようとはせず、ずっと「おまえ」と呼ばれ続けた。
ある高校生はバラバラの家族の中で暮らし、何日か家を空けても母親に「え、いなかったっけ?」と気づいてもらえないと言っていた。
ツイッターでの小さなつぶやきでも、誰かが「読みましたよ。
私も同感です」と反応してくれると、「ああ、私に気づいてくれている人がいるんだ」とうれしくなる。
逆に誰からも何の反応もないと「みんな私には無関心なのか」と不安になることもある。
所在不明のまま何年もすごすということは、その「みんな無関心」という状況がいつまでも続くということだ。
この世に生まれてきたからには誰だって、「あなたのこと、知ってますよ」「いつも気にかけています」と言われて暮らしたいはずだ。
身元不明の高齢者、所在不明の児童の問題が一日も早く解決することを祈りたい。
私の両親 特に母は背骨を骨折し歩くのがトイレまでの状態なので 徘徊はないのですが、錯乱や狂暴化の症状がみられます。
父が夜 寝ようとすると必ず始まる 錯乱や起こす行動に 老々介護の難しさを感じます。
私が泊まり込んでも 私ではなく必ず 父を呼ぶ・起こす行動が 無意識なのか意識的なのかハッキリとしません。認知症は不思議な「子供帰り」のような出方の日々です。