2014年07月23日

不思議な感覚 眼に見えない力

父の「脳死」から もうすぐ3週間目を迎えます。

全体的に体温低下はみられるものの 心臓はしっかりと脈をうっています。

足先や指先などは 血流が悪いのか 特に冷えは進んでいます。

意識が戻らないと心でわかっていても 「もう 起きてもいいのでは・・」などと 奇蹟を信じる自分がいます。

16日に医療相談室で 担当と面談。

人口呼吸器をつけての転院は、川崎市で2ヶ所の病院しかないとのこと。

民間委託された「旧社会保険病院」

まだ希望者が多く「転院日」は確定していませんが、できれば市立病院で見送りたいとの希望のみ伝えました。

父の命と連動しているのか 母が「お父さん・・」と勘違いして私を呼ぶ姿が痛々しいです。

父が倒れてから 私の「うつ」の悪化が心配でしたが、時間が現実を受け入れ始めています。

実家の部屋の整理をしていて、几帳面だった父が 書類や物を買ったままの状態であっちこっちに置きっぱなしにしているのを発見して もう母への「老老介護」の限界だったのだなぁと 気づくお粗末。

昨日は、トイレタンクが故障。

急遽 業者に電話して とりあえず「トイレタンク」のみの取り換え。

いつ 病院から 父の様態変化の電話があるかもしれないとの事情を話し、規格にあうタンクを 大阪から取り寄せてもらい、木曜日午後に交換。

本来は便器も取り替えるといいのですが、トイレ介助の支えなどの高さ調整など 同時並行の工事が必要になるので 今回は見送りました。

いまだに 見舞いに行くと 静かに眠っているような父に 「起きて、奇蹟を!!」という声がけとともに「お疲れ様でした。まだ
気づかない点があるかもしれないが、魂が安心できたら 三途の川をわたっていいよ」と支離滅裂なことをいっています。

父のように 家族に「心の準備」をしてくれていることは、死ぬまで「優しく 逞しく 教養人」であり続けることに 「あなたの息子で幸せでした」と率直に思うことができます。

ただ二度、猛反対されたのが「少年工科学校」「防衛大学校」受験を考えたときのこと。
戦争体験をもとに 自衛官ではなく、違う道を考えろ!!  と 殴られました。

その父が 中学校社会科で採用試験で名簿登載されながらも欠員がなく 採用が決まらず、小学校免許習得のため就職浪人して
明星大学通信教育での免許習得に 援助を惜しまずに 一言も愚痴を言わなかったことが 懐かしく思いだされます。

埼玉と川崎の両方の小学校採用名簿に載った時、最初に 連絡がきた 埼玉に快く送りだしてくれたことも 私の人生には大きなプレゼントでした。

父が病床にある今、父も 私が 高校の時から学生運動にのめり込み、大学では 街頭行動とバイトにと 学習が平均的なものにとどまっていた私が 就職するには 民間はムリで 試験成績の公務員試験しかないと思っていたと後で話してくれました。

父に似て「ダメなものはダメ」と妥協できない息子の性格を見てくれていたと思います。

私は 人に恵まれたと思っています。

埼玉県の当時の採用方針が「型破りで生きのいい 多少ヤンチャな男子が欲しい」とのことで採用されたようです。

採用当日に 組合加入届を出したのも 私たちの年代が最後のようです。

時間を作って 所沢のアパートや赴任先学校・環境を 激励として父母ともに訪問してくれて 案内した 若き日が思い出される今日この頃です。

多くが戦死した「海軍海兵団」「戦友」の待つ 8月15日までは 最低でも心臓の鼓動を止めないでと願う日々です。
posted by 小だぬき at 05:29 | Comment(1) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
立派なお父様ですね
息子の将来を心配し惜しまない努力と協力
痛みもなく苦しみもなく
それが幸いです。
Posted by みゆきん at 2014年07月23日 12:54
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