香山リカのココロの万華鏡:
尊重し合う心がなければ
毎日新聞 2014年07月08日 首都圏版
「孤立死」を防ぐ見守り活動などで知られる若き僧侶の中下大樹さんらと継続して行っているチャリティーイベントがある。
作家の雨宮処凛さん、反貧困の活動で知られる湯浅誠さん、自殺対策活動の清水康之さんとのトークが中心だ。
今回はゲストを呼ぼうということになり、南相馬市立総合病院の神経内科医・小鷹昌明さんに来ていただいた。
タイトルは「原発に一番近い病院から」。
それがまさに小鷹氏の職場なのだ。
たくさんの写真を使って病院の現状、南相馬市の復興の様子などを説明しながら、小鷹氏は「福島を忘れてほしくはないけれど、ことさら放射能の危険さを強調されるのもまた問題だ。私たちはそこに住むことを選択したのだから」と言った。
では外部の人間は、どういう態度を取ればよいのだろう。
その点について小鷹氏は「住んでいる人もいると想像し、言葉などに配慮してくれればいいんです」と笑顔で述べた。
なるほど、と思った。
「私がいまこう言ったら、言われた側はどう思うかな。
もし私だったらどう感じるかな」と想像さえすれば、自然に言葉の選び方にも配慮が生まれるはずだ。
「この単語はオーケー」「これはダメ」などとガイドラインを作れるようなものではない。
最近、こういった「相手の気持ちを想像する」「そして配慮する」という、とてもシンプルなことが苦手な人が増えている。
書店に行くと、日本以外の国の欠点や問題点をあげつらねて、強い言い方で非難したり笑いものにしたりするような本のコーナーができていて驚く。
もし自分が外国に出かけ、立ち寄った書店に「日本をののしる本」が並んでいたらどう思うか。そう想像してみれば、たとえ毅然(きぜん)として言うべきことは言う場合でも相手への一定の配慮が生まれるはずではないか。
「向こうがこちらに配慮しないのだからその必要はない」と言う人もいるが、「目には目を」がいさかいや争いを抑えたことが、歴史上でも日常生活でも一度だってあるだろうか。
「実際にはなかなかむずかしいけれど、お互いの気持ちや立場を尊重する努力はしよう」という気持ちを手放さなかったからこそ人間社会はなんとか続いてきたのだと思う。
「たいへんですね」「そちらこそ」。
ただ強気に出るのではなく、相手に配慮する姿勢、配慮を促す姿勢が大切。
福島でも国際社会でも外交や安全保障を考える上でも、それは同じであるはずだ。(精神科医)
昨日は軽い?熱中症で倒れてました。