一昨日は「眠れましたか」と心配して下さる方が沢山、正直嬉しかったです。
携帯電話を「落とした」、警察に遺失物届をしたことで 悪用されたらとかデーターを改ざんされたらなどと悪い方悪い方に思考がいき、正直眠れませんでした。
昨日の朝、ゴミ集積場でポリバケツの中を見たり、場所移動して発見した時は、オーバーなようですが「仏は我を見放さず」と思いました。
一昨日は、日没が早くなり 暗さで発見できなかっただけか、朝は ゴミの中の遺物・携帯を10分程度で発見。
アパートに戻って 充電している時に携帯に電話。
川崎市立病院から「入院期間証明ができました」とのこと。
やはり背後霊として父が見守ってくれているのかな? と感じました。
昨日は 川崎市立病院に行き それからN病院へ。
川崎市立病院15階の食堂は お勧めです。
安くボリュームもあり 栄養バランスのとれた定食。
携帯が見つかった安心感で完食しました。
途中タクシーに乗ったのですが、一昨日 「遺失物届」で乗った運転手さん。
彼も 我が事のように「よかった・・・」と喜んでくれました。
今日9時30分から 位牌をお願いするのですが、起きれるかな・・・。
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私説・論説室から
迎え火、送り火
東京新聞 2014年8月18日
親父(おやじ)が死んで七年になる。
八月、お盆の週になると街は静かになり、仕事の帰り道、夏の夕暮れを見上げると、親父の顔といっしょに浮かんでくる言葉がある。
もう何年も前、本紙の生活面「あけくれ」に掲載された女性の文章で、五十八歳の兄を亡くした悲しみを綴(つづ)り、こんなふうに締めくくられていた。
−兄さん、三途(さんず)の川の川底には、生前その人が持っていた執着が落ちているそうです。
それらをつかむことなく、仏の光に向かって歩いて行ってください−。
競馬が好きだった親父。
川底に万馬券でも落ちていないか、まだ探したりしていないだろうか。
三途の川は、ちゃんと渡れただろうか…。
迎え火も、お盆も送り火も、親父を亡くすまでは思いの外のことだったが、この夏も十三日の夜、ベランダの片隅でオガラを焚(た)いて迎え火をし、十六日の夜には送り火をした。
わずかなオガラなのに、炎が燃え上がると魂を迎え、送り帰したと実感してしまう。
ほんとうに不思議だ。
多くの人が心ならずも命を落として大戦争が終わったお盆の八月十五日。
戦争の世紀を生きて八十九歳で逝った親父。
そして執着と争いが絶えることのない二〇一四年。
来年は戦後七十年を迎える。平和を守り続けたい。
(安田英昭)
えっと・・・私は・・・
重い浮かばないΣ( ̄[] ̄;)!ホエー!!
これからは十二分に氣を附けてください。
それとですねぇ、汗などの防水対策も必要ですよ。
老婆(爺)心ながらでありました。
父の停止した携帯のドコモ嵩の長めのストラップをつけました。