香山リカのココロの万華鏡:
会話にバランス感覚を
毎日新聞 2014年09月23日 首都圏版
私がコメンテーターとして出演している情報番組で司会を務めるのは、お笑い芸人の加藤浩次さん。
いつも感心するのは「まじめ」と「おもしろさ」のバランス感覚だ。
事件や政治を扱うときは真剣かつ正確に伝え、軽い芸能やグルメのネタでは持ち前のお笑いセンスを発揮する。
加藤さんは私と同じ北海道小樽市出身なので親近感を抱いているが、会話のバランス感覚に関しては雲泥の差がある。
その加藤さんが最近、対談集を出したというので、少しでも話術のヒントを盗もうと読んでみた。
「一流の理由」というタイトルで、倉本聰さん、野村克也さんなどその道の第一人者が対談相手だ。
「一流の人」を相手に加藤さんは直球勝負。
倉本さんには「なんで北海道に行かれることになったんですか?」、野村さんには「野球のこと全然知らないんですよ」とズバリ切り込む。
当然、相手はたじろぎ、「それは……」などと口ごもりながらポツポツと人生の原点から語り出すことになる。
加藤さんは実は入念な下調べをしているので、そこから相手の話に対して巧みに「その年は優勝したんですよね」などとフォローを入れるのだ。
私は年齢や立場が上の人に接するとき、身構えるあまり自分が知っている情報や知識を先にペラペラ話してしまうことがある。
すると相手は「まあ、そうだけど」と言ってそれ以上語ろうとしなくなる。
それよりも、たとえ下調べをしていても「基本的なところからお聞かせください」と切り出したほうが相手も話しやすいはずだ。
それにしても、どうして私たちは「何も知らないので教えてください」と言うことが苦手なのだろう。
きっと「バカにされたくない」「下に見られたら負けだ」という勝ち負けの意識が働くからだ。
しかし、人とのコミュニケーションは決して勝負ではない。
たとえ最初は下に見られたとしても、気分よくその人の考えや経験を語ってもらったほうが結局、お互いずっと得をするということもある。
よく考えてみれば、私も若いころは診察室で「私は医者だから何でも知っている」という態度を取ろうとしていたが、最近になって「えーと、この薬の副作用、本を見ながら説明してもいいですか」とマニュアルを開くこともできるようになってきた。
こちらに余裕があるからこそ「わからない」「教えて」と言えるし、逆に「私のほうが知っている」と振る舞うのは、自分に余裕がないサインだと考えることもできるだろう。(精神科医)
物知りじゃないと、話が咬み合わないものね
努力したわ(*^m^*) ムフッ
問題は 理屈なしに盲信している人たち。この方達には話は通じないものです。
みゆきんさんのお客さんなら 安心してなんでもしゃべりそう・・。