2014年10月22日

香山リカのココロの万華鏡:最上級の「気づかい」

香山リカのココロの万華鏡:
最上級の「気づかい」
毎日新聞 2014年10月21日 首都圏版

 御嶽山での捜索活動は、降雪の時期を迎え、2次災害の恐れなどから打ち切りとなった。
家族はさぞ無念だろうと思うが、報道陣のインタビューに多くの人がこの決定を受け入れ、捜索にあたった救助隊員らへの感謝を静かに述べていたのが印象的だった。
「もっとやってほしい」「なぜ見つけられないのか」といった不満は、まったく聞かれなかった。

 一方、過酷な現場で捜索にあたった警察や消防、自衛隊の救助隊員らも「発見できなくて申し訳ない」「家族の元に全員を帰したかったのにつらい」と語り、疲れや活動の危険さをことさらに強調する人はいなかった。

 お互いが相手の状況や気持ちを考え、自分の悲しみやしんどさなどの感情を抑えて、ねぎらいあう。
これこそが本当の意味での「気づかい」と言えるだろう。

そしてもちろん、その様子をテレビなどで見ている人たちも、表面だけを見て「意外に元気なんだね」などとは思わず、「実際は心が引き裂かれるほど悔しいはずだ」など、その胸中を思いやっているに違いない。

 最近、書店に行くと「日本人のすばらしさ」を声高にうたう本が目白押しだが、私は日本人というより日本社会の本当のすばらしさは「激しく自己主張しなくても、お互いに相手の気持ちを察し合えること」ではないかと思っている。
「言わなくてもわかってますよ」の精神だ。

 現在は、どちらかというと「思っていることははっきり言おう」という傾向が強まっている。教育の現場では生徒や学生にしっかり自己主張するためのスピーチトレーニングが行われることがある。

しかし、それが行きすぎることもあり、とくにネット空間では感情的、攻撃的な言葉が飛び交い、あちこちで衝突が生まれている。

 もちろん、どんな場合でも感情を抑制し、言いたいことも言わなくてよいというわけではない。

ただ、たとえ落ち着いているように見える人でも、心の中には怒りや絶望などが渦巻いている場合もある。

相手の気持ちを想像し、「必死で耐えているのかもしれない」と察することだけは忘れないようにしたい。

 「たいへんでしたね。感謝します」「いえ、力が及ばずに申し訳ない」と、この世で考えうる最上級の「気づかい」をして、お互いに思いを伝えあった御嶽山の被害者の家族と救助隊員たち。

その美しい心が時とともに少しずつ癒やされ、新しい生活への力が生まれてくるように、と祈らずにはおられない。(精神科医)
posted by 小だぬき at 05:34 | Comment(2) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
兄妹でもいがみ合う世の中
感謝の気持ちと、広い心で生きていたいものです。
Posted by みゆきん at 2014年10月22日 15:20
お互いに生きてきた価値観や思想が違うと 近親者ほど関係は難しいですね。
何を根拠にしているかわからない言動にあうと 戸惑いと頭がパニックになりそうになります。
Posted by 小だぬき at 2014年10月22日 19:33
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