年のはじめに考える
「普段の努力」で守る
2015年1月7日 東京新聞「社説」
安倍晋三首相の悲願は憲法改正です。
衆院では与党が三分の二超の勢力を確保しました。
戦後日本の軌道を変えるのか、まさに正念場になります。
大阪大学の一千もの一般教養科目の中で、日本国憲法の講義が過去四度、学生の投票で「共通教育賞」を受けています。
いわば“ベストティーチャー賞”です。
教えているのは、大阪国際大の谷口真由美准教授(39)です。
わかりやすいのが、授業の特徴です。
谷口さんは先月、「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」(文芸春秋)を出版しました。
条文を大阪弁で言い表した内容です。
◆まず「知憲」が出発点
「護憲とか改憲とかいう前に、『知憲』でっせと声を大にしていうてます」−。
これが谷口さんのスタンスです。
学生が憲法を知らない現実があるからです。
「『知ってる』とみんな手を挙げても、『何条あるか』と聞くと、学生の手はほとんど挙がりません。
ええも悪いも知らないでいては、同じ素地に立って議論できませんやん」
おばちゃん語訳の憲法前文は、例えばこんな具合です。
<もう戦争はしやしまへんってきっぱり決めましてん。
(中略)他のお国のお人たちも同じように平和が好きちゃうかって信じてますねん。
そう信じることで、世界の中で私らの安全と生存を確保しようと決めましてん>
集団的自衛権の行使容認は「ヤンキーのけんか」に例えます。
「仲良しのツレがやられて、ツレの方がいじめてる側やのにとか関係なく、『ツレやから』という理由でケンカに行くようなもんですわ。
ツレが悪い奴(やつ)やったらというのは、すっ飛ばすんですな」
憲法九条は「永久」の戦争放棄を宣言しています。
でも、自民党の憲法改正草案からは「永久」の文字が消え、交戦権の否認などの条項も削除されています。
◆権力を縛る立憲主義
永久とは永久です。
戦後七十年、その年月で世界に向けた平和の宣言を取り消しては、先人たちの決意に背きます。
理想主義的と言われますが、この九条で戦後日本が戦争に巻き込まれなかったことは厳然たる事実です。
「永久」の文字が付いた条文は他にもあります。
基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」と定めています。
「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とも記しています。
人類の努力の一つにフランスの人権宣言があります。
一六条は「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものでない」と記しています。
ですから、基本的人権は多数決では決められない価値といえます。
先人たちが未来をも拘束する原理を憲法に埋め込んでいるわけです。
もちろん憲法とは、他の法律と決定的に性格が異なり、国家権力に向けて書かれています。
「憲法擁護義務を負うのは国務大臣や国会議員、公務員らと定めてます。
国民とは書いてないですね。
憲法に則(のっと)った政治こそ立憲主義であり、権力を縛る手段なんですわ」(谷口さん)
この立憲主義の考え方は先進諸国はどこも同じです。
人権を守るために政府に権限を持たせる一方、これだけは守りなさいと権力に約束させたのが憲法です。
でも、安倍首相は立憲主義について「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考えだ」と述べました。
珍妙な答弁です。
王権が絶対なら縛られてはいません。
自民党の憲法改正草案は、立憲主義を見失っています。
驚くべきことに、人類普遍の原理である天賦人権説についても、自民党は「改める必要がある」と公言しています。
自由と権利については「責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と国民に命令しています。
これでは権力を縛る憲法の役目になりません。
安倍首相は総選挙に大勝し、「公約でも憲法改正に取り組むことを明記している。
歴史的チャレンジと言っていい」と述べました。
やはり目指すは改憲です。
しかし、「知憲」は、本当に大丈夫でしょうか。
谷口さんは「権力が自由にしたいように勝手な解釈をして、国家のために国民に義務を果たさせるように変えられないやろか」と心配しています。
◆「あっさり奪われる」
自由と権利を憲法は「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と記します。
「人権を守るには『不断の努力』と『普段の努力』が必要ですねん。
そうせえへんかったら、あっさり人権なんか奪われていくことを自覚せなあきまへんな」
憲法の危機には「普段の努力」が欠かせません。