熱血!与良政談:
首相の「自由」のはき違え=与良正男
毎日新聞 2015年03月18日 東京夕刊
何が問題なのか、根本的なところが通じない。
安倍晋三首相が国会で「私が自分の考えを述べるのは言論の自由だ」と語るのを聞いていてそう思った。
改めて経過を記そう。
昨年11月18日、首相は衆院解散を表明し、その夜、TBSの番組に出演した。
番組ではアベノミクスに批判的な街の声が多く取り上げられた。
そこで首相は「(声を恣意(しい)的に)選んでいる」等々と不快感を示して反論した。
自民党が街の声の扱い方や番組のゲスト出演者やテーマ選定など細かく項目をあげ、公正な選挙報道を要請する文書を在京テレビ局に渡したのはその2日後。
そして今月3日の衆院予算委員会で民主党議員がこれらの動きを批判したら、首相は「言論の自由」を持ち出したのだ。
国会中継をテレビで見ていた私はあぜんとした。
そもそもなぜ憲法に「言論の自由」がうたわれているのか。
近代、憲法は国家権力の横暴を防ぐため、つまり国民でなく権力側を縛るためにできたと私は学んできた。
言論や表現の自由も権力側がむやみに国民を制限してはいけないという趣旨だ。
ところが権力者自らが「私の自由だ」と胸を張るとは。
問題点を整理したい。
首相が番組で反論するのは(私は「批判に謙虚に耳を傾けたい」と言ってほしかったが)、首相の自由かもしれない。
ただし昨年来私が批判してきたのは自民党がかつてない圧力的な文書を出した点だ。
狙いは批判封じであり、それは力の行使に本来抑制的であるべき政権党として行き過ぎだと思ったからだ。
憲法改正論議の前に、これはまず憲法とは何か、立憲主義とは何かの議論から始めないといけない。
先週の衆院予算委で民主党の細野豪志政調会長が私と同じ趣旨で追及したが、焦点がぼやけてしまったのは残念だった。
首相はこう答えた。
「私の疑問を国民に投げかけた。
それが正しいかどうかも含め選挙で審判を受けた」。
それもこれもすべて衆院選で支持されたというわけである。
そして「番組の人たちが、それくらいで萎縮してしまうのは情けない」とまで付け加えた。
「情けない」のくだりだけは首相の言う通り。
だから私はこれからも批判すべきことは、きちんと批判しようと思っている。
(専門編集委員)

