心療眼科医・若倉雅登のひとりごと
症状悪化でも、
介護保険の判定厳しくなり…自立困難に
2015年8月20日 読売新聞
前回、自立心のある70歳代の、両目視神経萎縮の女性が介護保険を申請したら、非該当になったことを取り上げました。
診察室では、このほかにも、いろいろな事例が聞こえてきます。
先日は、緑内障の末期で視野がかなり狭くなって、日常生活にも支障が出ている80歳に近い女性が、
「主人の介護保険の等級が、介護2から1になって困りました」 と報告してきました。
等級が軽くなったということは、状態が改善してきたことなのに、なぜ困るのかと聞きますと、御主人の状態はよいどころか、悪くなっているように感じるといいます。
加えて、自分の目の異常も、加齢とともに益々ますます進んできて、老々介護も限界なのに、介護1という判定に変わり、ヘルパーさんを頼める頻度が減って困り果てているのだといいます。
福祉予算が厳しさを増して、判定を厳しくしているのでしょうか。
介護保険では、本人以外の家族の健康状態に関しては不問であり、一人暮らしか否かということも評価に影響しません。
介護保険法を議論する段階で、家庭環境も考慮すべきとの意見も出たようですが、結局採用されなかったという話も聞きました。
脳梗塞などで身体障害が生じ、入院して一所懸命リハビリをして動けるようになった人が、家に帰ると再び寝たきりになってしまうといった事例は、時々聞かされます。
リハビリや自立には、それだけ周囲の協力や手間が必要だということの証左です。
視覚障害者でも、いろいろな工夫、努力、トレーニングによって、健常者と遜色ない社会生活ができるようになる人もいます。
しかし、たとえそれで、かなりの程度自立したとしても、自由自在に活動できる健常者とは明らかに違います。
自立して来ると、等級を下げ、はては福祉サービスを止めてしまうというような事態は、せっかく自立しはじめた者をもとに戻してしまう危険を孕はらむばかりでなく、自分も努力し、周囲も頑張って、その人が自立してきた暁にはかえって損をするという、逆行する風潮を招来しかねません。
国や政府が「国民のため」というとき、一人一人に隠されているさまざまな事情が、その人の頭に描かれているのかなと思うことが、最近よくあります。
「国民」という用語を十把一絡からげにした物体として扱うような考え方で、血の通った医療や福祉が実現するはずがありません。
医療や福祉にお金がかかるのは、高齢化社会では理の当然です。
だから、額を減らそうというのでなく、それを捻出するのが政治の仕事だと思うのは私だけではないでしょう。
◆ 若倉雅登(わかくら まさと)
井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長

