2016年02月27日

川崎有料老人ホーム殺人事件〜殺意の芽生える土壌〜

川崎有料老人ホーム殺人事件
〜殺意の芽生える土壌〜
労働ジャーナリスト 金子雅臣
2016年02月25日 読売新聞

 川崎市幸区の老人ホームで2014年11〜12月、入所者3人が転落死した事件。
今年2月、元職員の男性(23)が少なくとも1人の入所者を殺害した容疑で逮捕され、安泰な老後を望む多くの人に衝撃を与えた。

介護の現場で何が起こっていたのか。

様々な職場で悩む人たちの声を長年聞いてきた労働ジャーナリストの金子雅臣さんは、「仕事上の思いやりや共感、尽くす気持ちが罵倒され、なじられることで摩滅していく“感情労働”職場」の存在を指摘、そうした職場がはらむ危険に警鐘を鳴らす。

殺意を育む職場

 まさに起きてはならない事件が起きてしまったというのが、川崎の有料老人ホームの殺人事件である。
まだ、全容が解明されたわけではないが、これからの捜査で一体どこまで事実が明らかになるのであろうか、本当にこの事件の闇は解明されるのだろうか。
多くの人たちの関心は、捜査の行方に寄せられていくであろう。

 しかし、一方で、多くの人たちが、こんな事件がいつか起きるかもしれないことをどこかで、なんとなく予想していたことも事実だ。
それは、こうした介護現場ではこれまでも「起きてはならない事件」が幾度か繰り返されてきたし、その都度背景となっている過酷な介護労働の現場についての指摘も何度も何度も繰り返されてきたからだ。
そして、それにもかかわらず、その実態は一向に改善されていないことも知っているからである。

 過去にも、老人に熱湯をかけた事件やストーブに押しつけて火傷やけどをさせた事件、階段から突き落として重傷を負わせた事件など、「ありえない事件」は数々起きており、その都度、過酷な現場でストレスを抱えた職員の発作的な犯行であったことが報告されている。
決して今回の容疑者の行為を肯定するものではないが、今回も、徐々に現場の過酷な労働の実態が明らかになってきており、また彼の抱え込んでいたストレスや闇の部分もいろいろに伝わってくるだろう。

 だから、現場の労働条件を改善し、働く職員のストレスの軽減が図られなければ、こうした事件が繰り返されるだろうという主張にまったく異論はない。
しかし、果たして、これまでも繰り返されてきたこうした紋切り型の原因解明で済ませておいていいのだろうかというのが、私の疑問である。

 私が言いたいことは、介護労働という働き方のなかに殺意が芽生える動機が潜んでおり、そうした働き方を問題にしないかぎり、こうした悲劇は繰り返されるということである。

介護や医療の現場、そして障害者施設などでの患者や要介護者への思いやりを使命感として働く現場の共通した危うさを問題にしたいということである。

自分を殺して働く

 過去の多くの事件でも、「あんなに親切で、思いやりがあり高い使命感をもって働いていた人がなぜ、あのような事件を起こしたのか?」という疑問が繰り返されてきた。
今回の事件がどうかは別としても、「とてもそんなことをするとは考えられない」人が起こしてしまうというメカニズムこそが問題なのである。

 こうした現場で働く人たちの多くは使命感に燃え、人一倍、命や人間の尊厳に敏感で、共感力も高い人たちである。
そして、行為者となってしまう多くの人たちもその例外ではない。
こうした使命感と起こされた事件とのギャップが解明されない限り、少なくとも、この根本的な疑問を取り上げない限り、事件の本質に迫ることはできないような気がするのである。

 つまり、使命感が高い、親切で思いやりのある人ほど、悪意や殺意にからめとられてしまうシステムが働き方の中にあることを解明しないかぎり、解決や対策はありえないと思えるからである

 ケア・ハラという言葉がある。

今回の事件のようにケアをする人たちが弱者である要介護者にハラスメントをすることではない。
その逆で、要介護者からハラスメントを受けるようなことを言う言葉である。
実際、介護などの現場では、要介護者が強者となって介護者との立場が往々にして入れ替わることが起きるという。
 こうした現象は、まさに親切で思いやりがあり、使命感の高い人たちに向けられがちであるという。
つまり、そうした仕打ちにも反撃することなく、何とか相手の怒りを受け止めて、使命感で耐えようとするからエスカレートするというのである。

 一方の要介護者は、まさに社会的弱者としてストレスや不満、そして怒りを抱え込んだ人たちである。
そして、そうした人たちであることを知っているからこそ、親切や思いやりで接することが使命と感じている職員ほど、そのハラスメントに理解を示し耐えようとする関係が生まれることになる。
 そのことによって、いじめと同じ構造で、ハラスメントがエスカレートする事例も多く、こうした繰り返しの中で、職員の多くは、自らの怒りの感情を抑えて働くことになる。
まさに、職員の側は、自らの暴発を防ぐために、自らを守るために感情を日々殺して働くことになり、まさに“自分殺し”をしながら働くことになる。

“感情労働”という心の闇

 寝たきり患者のナースコールを引き抜いてしまい解雇になった女性看護師と面談した経験がある。
その看護師は夜中に何度も何度もコールする患者に悩まされていた。
そして急いで駆け付けても、「遅い」とか「何をしている」などとなじられ続けていた。
 しかし、彼女はそのことに怒りを感じてはいなかったし、そのことへの報復をしたわけでもなかった。
彼女は私に、淡々と「仕事ですから別に憎いとか、悪意とかではないんです。何度も何度もナースコールをされるので、ただ少し静かにしてほしかっただけなんです」と動機を語って私を驚かせた。

 「毎日自分殺しを繰り返しているうちに、感性が摩滅して、自分が何を考えているのかも分からなくなっているのかもしれない
「自分を毎日殺して働いているんですから、そのうち他人も殺せるようになるかもしれません」とも彼女は言っていた。
 こんな彼女の評判は、「よく気がつく優しい人」であり「有能な使命感に燃えたナース」であった。
そんな彼女が「静かにしていてほしい」という単純な動機で患者からすれば生死に関わるホットラインともいえるナースコールを引き抜くという暴挙を行ってしまったことに驚かされた。

 私は、こんな経験から、今回の事件も彼は「ただ、うるさい老人たちに少し静かにしてほしかっただけ」なのかもしれないなどという想像を働かせてしまった。
別の言い方をすれば、彼は燃え尽きてしまって共感性を失い、何も感じられないバーンアウトしてしまっている状態なのかもしれないということである。

 相手を思いやり相手に尽くし続けることは、相手からの感謝やねぎらいの言葉で癒やされてこそ帳尻合わせができる。
しかし、相手が認知症だったり、怒りで充満している老人だったりすれば、そうした期待は裏切られる。
それでも、彼らは自分の精神的なバランスは保ち続けなければならない。

 しかし、思いやりや尽くすことが、罵倒され、なじられる日々の連続になれば、精神的なバランスを保ち続けることや、精神の統合を維持し続けるのは容易なことではない。
こんな働き方を“感情労働”と呼んで警告を発した本がある。

 アーリー・ホックシールドが著した「管理される心―感情が商品になるとき」(世界思想社刊)である。
そこには、感情労働とは「表情と身体的表現を作るために行う感情の管理で、賃金と引き換えに売られ、したがって<交換価値>を有する」労働と表現されている。
 つまり、仕事上の思いやりや共感、そして尽くす気持ちは切り売りされて摩滅して枯渇していくというのである。
また、喜びや悲しみという感情は失われて感情が麻痺まひしていくという。
そして、そうした危機から身を守るためには「もし、あなたが何も悪いことをしていないのに、お客様ががみがみ言うことがあったら、その人が責めているのはあなた自身ではない、と思いなさい」と、解離(自分が自分であるという感覚が失われている状態)や心理麻痺状態になって事態を避けることが推奨されている。

 しかし、そうした手法が行き過ぎた場合には何が起きるのだろうか。
自らに起きていることを、自らのこととして受け止めず、相手への共感性も殺す努力には、他人を殺すことをも許容してしまう感情麻痺の危険性が潜んでいるような気がするが、どうだろう。

“よいホーム選び”幻想

 今回の事件についても、これから様々に行為者の抱えた特殊な事情が語られていくことになると思う。
しかし、これまで述べてきたように労働条件一般や特殊個人的な問題に解消してしまえば、真の原因は見えてこない。

 今回の事件は、介護にかぎらず看護職や福祉職など“感情労働”に関わる全ての人たちへの警鐘である。
職場が殺意を育むシステムとならないようにするには、職員の定期的なストレスチェックや、それに基づく心のケアを用意することが不可欠である。
 運転手が運転前に飲酒のチェックを受けるように、感情労働の現場にはストレスチェックを用意し、その結果については手厚いケアの体制を用意することが必要である。
そのことなしに、こうした事件の再発は防ぐことはできない。

 こんな事件が起きるとまたぞろ「よい老人ホームの選び方」的な解説が増えることも気になる。
皮肉なことに「よい老人ホーム選び」などという言い方や視線が、そこで働く人たちの感情労働へのハードルをまた上げて、ますます追い込む要因になるからである。

プロフィル
金子雅臣( かねこ・まさおみ )  
1943年生まれ。労働ジャーナリスト。
東京都職員として長年、労働相談に従事した経験を生かし、2008年に職場のハラスメント防止を支援する一般社団法人「 職場のハラスメント研究所 」を設立、同所長。
主著に「パワーハラスメントなんでも相談」(日本評論社)、「部下を壊す上司たち」(PHP研究所)など。
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは
いつもありがとうございます
インフル流行って
姪っ子学級閉鎖です
休みだったので
一緒にランチしてきました

素敵な週末を
Posted by トモ at 2016年02月27日 00:04
インフルエンザ 確かに流行しているようです。
ディケアで なんと母親がインフルに感染し帰宅しました。今 タミフルの副作用か 興奮状態とのこと。
妹が世話してくれています。

私は今は 熱は出ていないのですが、通院し状態を話したら先週は「インフルエンザ」だったのでは??と医師に言われました。おとなしく寝ていたので大事には至らなかったとのこと。お互いに気をつけましょう。

いい週末に!!
Posted by 小だぬき at 2016年02月27日 12:52
あたしは旦那が要介護4で車いすとベッドの生活です。
毎日のストレスはあります。
勝手も言われます。
殺意もあります。
ただ、手を出せばそこですべてが水泡に帰する。
それでもいいやと思えたら、手にかけるかもしれない。
正直「腹立つなぁ」と思いますもん。
薬をたくさん飲んでますから、ワーファリンなんかを多めに飲ませて、脳出血を促して殺してしまうことも可能なんですよ。
ただ、あたしは科学者であり、結果予測ができるからしないだけ。
ああいう現場で、ボケ老人を相手にして、クソ真面目に働く中での殺意は十分考えられます。
人間ですからね。
でも、それをやっちゃあおしまい。
核のボタンは押せるが、押さない確固たる自分を信じて生きてます。
Posted by なおぼん at 2016年02月27日 15:22
私の母も 要介護4で車椅子です。
家族介護でも「殺意」が生じることがあるのですから、施設では 尚更といってもいいのでしょぅ。

政府の言う「自助・互助」では 限界があります。

せめて家族が施設の人に「ありがとう。よろしくお願いいたします」との感謝の声がけで ストレス疲労を少なくする必要がありますね。
Posted by 小だぬき at 2016年02月27日 15:44
コメ欄を読んで、みんな苦労してるんですね
つくづくと・・・
Posted by みゆきん at 2016年02月27日 17:44
これは 国の福祉政策を抜本的に変えなければ 解決が難しいと思います。
よく欧米では消費税が高く それで福祉を維持しているなどと自公政権はいいますが 本質をずらさせています。

欧米やカナダなどは「国民あっての国」という当たり前の政策を実行しているのです。消費税も原価が安ければ高消費税も負担になりません。賃金への企業分配率も高いのが特徴です。日本は「低福祉・高負担」の国で、「国のための国民」となっています。
せめておにぎりを食べたかったという 餓死者がでる国が 今の日本。
何とか「市民革命」「貧困者革命」を模索しなければならないようです。
Posted by 小だぬき at 2016年02月27日 19:00
いつも素敵な意見を聞いて感銘しています。☆!!
最近の政権側の政治家は特に学識、品格がなく国際的に通じない恥知らずな議員ばかりですねー。渇)
高齢者を小ばかにするような政策を取り戦後命がけで働いてきたことが何だろうと涙が出ます。渇)
Posted by 荒野鷹虎 at 2016年02月27日 22:56
荒野さん、公害列島と言われた時代を乗り越えたのは、まさに市民の力と 社会・共産両党の選挙共闘で 全国に革新自治体ができたのが大きいと思います。

その後の保守勢力に革新自治体がまけてしまうのですが、
革新自治体の施策・条令は 長く生き続け 今になっています。一度できた福祉・環境・教育などの施策の削減は保守首長でも取り崩すことが出来ず、かろうじて市民生活の防衛線・陣地が残っています。
ウルトラ右翼の安倍首相に きちんと「国民のための国」「権力の暴走・乱用を禁止する憲法」で論戦をはれない野党の情けなさも恥ずかしい。

今の状況で 反戦平和と福祉・災害被災者に心を痛めているのが 政治家ではなく「天皇陛下・皇后妃殿下」であることで より与党の不甲斐なさが鮮明になっています。

Posted by 小だぬき at 2016年02月27日 23:38
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