しあわせのトンボ
忘れないために生きる=近藤勝重
毎日新聞2016年3月3日 東京夕刊
自分に正直に生きたい。
よく聞く言葉だが、ぼく自身はとてもそんなことは言えない。
正直に生きたらどうなっていたかと思うと、ぞっとする。
しかし何のために生きているのか、と自問して、生きるために生きようと思った時期がある。50すぎ、がんを患って以後のことだ。
当時「サンデー毎日」の編集長だったが、続行したいという思いもかなわず、何くその気概があったのだろう、1年後、みんなと夕刊編集部をスタートさせ、新聞と雑誌の中間を行くデーリーマガジンを目指した。
今は客員編集委員としてコラムなどを書いているが、そんな自分が年をとってなお、何のために生きているのかと問うて、案外すっと答えが出たのには驚いた。
忘れてはならないことを忘れないためにも生きよう。
ある種、義務めいた答えが浮かんだわけだ。
何より忘れてならないのは、この国が戦争で信じられないほど多くの犠牲者を出し、あやまちを二度と繰り返すまいと新憲法で「戦争の放棄」を誓ったことである。
ぼくらは当たり前の誓いと思って戦後を生きてきたが、現政権はその隙(すき)を突くかのように集団的自衛権の行使ができる、すなわち戦争の可能な安保関連法を成立させた。
そこまでやるかの思いと同時に、自分らが護憲のために、さして何もしてこなかったという自責の念にかられたのも確かだった。
忘れてはならないと思うことで大切なもう一つは、核である。
村上春樹氏は「3・11」の原発事故から3カ月後、スペインのカタルーニャ国際賞の受賞スピーチで、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民なのに、いつしか核への拒否感をまひさせ、地震の多い狭い日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたと現状を憂い、日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった、と述べている。
同感だ。
氏が核発電所と呼ぶ原発は次々と再稼働し、あろうことか、本来、40年で廃炉に向かうべきものまで動き出そうとしている。
人間は忘れるから生きていけるんだ、という人がいる。そうかもしれない。
ただし、それがこの国どころか、地球に人が住めるかどうかに関わる問題だとしたら、決して忘れてはならないだろう。
(客員編集委員)


えっ?
本土にキタキツネ?
みんな信じてくれない
けど、ネットでググッたら
やっぱり青函トンネル抜けてきてるみたい
側溝を通るのか 動物も生きるのが大変なんですね。
熊の移動は勘弁ですね。