2016年09月23日

炎上!長谷川豊ら「医療亡国論」の詐術

「人工透析患者は死ね」の
長谷川豊だけじゃない、
麻生、曽野ら“自己責任厨”が叫ぶ
「医療費亡国論」はインチキだ
2016.09.21 LITERA編集部

このおぞましいタイトルだけでおおよその中身はおわかりいただけるかと思うが、長谷川は〈ある「人工透析」を担当しているお医者さん〉から聞いた〈8〜9割ほどの患者さんの場合「自業自得」の食生活と生活習慣が原因〉という話を綴り、〈透析患者には一人年間500万円かかります。
日本人の平均年収以上ですね。
必死に払ってる保険料、そうやって食いつぶされ続けているのです〉と主張。

そして、人工透析患者と健康保険制度をこう罵倒するのだ。
〈健康を意識し、毎日、ランニングをし、お金を出して栄養バランスの良い食事をとっている人たちから保険料を巻き上げ、その金を使って、ディズニーの横入りをし、全額タダで医療を受け続け、毎月『障がい者年金』を支給されタクシーにタダ乗りしているのです〉
〈日本の利権まみれの保険システムと年金システムなんぞ、1秒でも早く解体しろ!日本の病魔の一つが「保険」であることは確かなのです!〉

 長谷川はこれまでも暴論によって注目を集めてきた“炎上芸人”であり、今回も同じように確信的に火を放ったのはミエミエだが、この“自己責任論”はいくらなんでもひどすぎて反吐が出る。

そもそも、「障がい者はディズニー横入り放題と」とか、内容自体もデマだらけなのだが、長谷川の言い分が正しいのならば、「がんや脳梗塞の原因は生活習慣病だから実費負担。
無理なら殺せ」と、どこまでも理屈づけられる。
よくもまあこんなことを書けたものだ。

 炎上すればするほど長谷川の思う壺となり、いつもならば無視するのだが、しかし、このような自己責任論をぶつ人間は他にもいる。
しかも、炎上目的ではなく本気で、だ。

 現に、麻生太郎副総理兼財務相は、2013年4月、長谷川と同じ主張を繰り広げている。
「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで糖尿になって病院に入るやつの医療費は俺たちが払っているんだから、公平じゃない」
「こいつが将来病気になったら医療費を払うのかと、無性に腹が立つときがある」(都内の会合で)

 これがこの国の副総理の発言であり、こんな暴言を吐いてなおもその座に就いていることが既におかしいのだが、総じて極右論客は、似たような持論をこれまでも展開してきた。

 たとえば、作家の曽野綾子は、複数の病気や障がいを抱えている息子をもつ野田聖子議員に対し、自著『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎新書)のなかで「自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、感謝が全くない」
「医療費を負担している国民への配慮が全く欠けている」と糾弾。そして、こう述べている。

「私の周囲には『どうしてそんな巨額の費用を私たちが負担するんですか』という人もいる。『野田さんの子供さんがお使いになるのは、ご病気なんですから仕方ありませんけど、ありがとうの一言もないんですね』と言った人もいた。

『もしもの時は安心してください、というのは。遠慮もせずにどんどん使えということですか? そういう空気を煽るから、健康保険は破産するんですよ』という意見もあった。
 増税論が始終話題になるこの時期に、仕方ないとは思いつつ、皆、健康保険料を払うのも大変なのだ。
私も後期高齢者医療制度の保険料を年額五十万円以上支払っているが。私にできる唯一のこととして、できるだけ医師にかからないようにしている」
「野田氏のように権利を使うことは当然という人ばかりが増えたから、結果として日本社会、日本経済はどうなるのだろう、という全体の見通しに欠けるのである」

 曽野にあるのは下劣な障がい者排除の思想だが、同時にこのような自己責任論には“医療費が財政を圧迫している”という「医療費亡国論」がつきまとう。
実際、曽野は今年2月、「週刊ポスト」(小学館)で“高齢者は「適当な時に死ぬ義務」がある”と主張した際、“権利を「求め倒し」、医療を「使い倒し」、他人を「頼り倒す」ことは肯定されない”ということを述べている。

 高齢者や自己責任の病気で保険を使う人間のせいで、この国はそのうち医療費で破綻する──。このように差別思想は人びとを扇動するために、もっともらしく「医療費亡国論」を振りかざすのだ。
だが、この「医療費亡国論」自体、疑わしいものだ。
 たしかに、2015年度の概算医療費は、前年度から約1兆5000億円増加の41兆4627億円と発表された。
また、日本の医療費の対GDP比でも、2013年には10.2%となり、OECD加盟34カ国の平均8.9%を大きく上回っている。

 しかし、日本医師会総合政策研究機構の主任研究員である坂口一樹氏は、この高い対GDP比の本質は医療費の増大にあるのではなく、名目GDPの伸び悩みにあると喝破する。
〈二〇〇七年から一五年までの日本の名目GDPの推移を見ると、リーマンショック(二〇〇八年九月)とデフレの影響で、アベノミクスというカンフル剤を打ち続けた後の二〇一五年段階(五〇〇・七兆円)に至っても、未だ二〇〇七年の水準(五一三兆円)に達していない。

すなわち、分子(医療費)が増えたというよりも、分母(名目GDP)が増えていない、あるいは減少したことによって、日本の医療費の対GDP比は押し上げられたのである
(「“自助”へと誘導されてきた医療・介護」/岩波書店「世界」16年4月号)。

 だが、「医療費亡国論」者たちは、「2025年には医療費が104兆円にも達する!」などと不安を煽る。
しかし、この数字にもカラクリがある。
それは、官製による医療費予測はかなり多く見積もられているからだ。
 前述した坂口氏の論考によれば、1994年、厚生省(当時)は2025年の国民医療費を141兆円と予測(97年に104兆円に下方修正)。

こうした官製予測への対抗策として日本医師会は2000年に「二〇一五年 医療のグランドデザイン」を発表したが、こちらは2015年の医療費を48.6兆円(保険者コストを除く)と予測した。
 日本医師会によるこの予測は〈厚生省予測に比べると手堅いもの〉だったが、実際はどうなったか。
現実の2015年の医療費は41.5兆円となり、日本医師会の予測よりも約7兆円も下回った。
さらに、厚生省の予測数値を遡って逆算すれば、2015年の医療費は103.8兆円(94年予測)や77.2兆円(97年予測)と予想されていたわけで、予測と現実では大きな隔たりがあるのだ。  

坂口氏は、この予測と現実の食い違いを指摘した上で、このように論じている。
〈マスコミも国民も厚生省による予測を一方的に信じ込まされてきた感が強い。
すなわち、厚生省による「医療費亡国論」という幻影に惑わされてきたといっても過言ではない〉
〈そこには、単に「医療費が大きく膨張して大変だ。だから医療費を抑えなくてはならない」というプロパガンダのみが存在し、的確な現状分析はもとより、将来の政策目標などは皆無と言わざるを得ない

 もちろん、医療費が今後増えていくことは間違いない。
しかし、ここで問題にするべきは「財政を圧迫するから医療費がかかる病気は自己責任で」などというものではけっしてない。
むしろ、国民に保険料の負担を強いてきたことによって起こっている“弊害”のほうだ。
 日本では2003年に小泉純一郎首相が行った医療制度改革によって、先進国のなかでも際立って高額だった病院窓口での医療費自己負担割合が2割から3割へと引き上げられ、国庫負担率は引き下げられる一方で家計支出が増した。
また、貧困化が進み保険料を払えない人も増え、病院にかかりたくてもかかれない受診抑制も起こっている。
その結果、本来なら早い段階で行えば最小限に抑えられた治療費が、重病化してさらに治療費がかかってしまうという悪循環を生み出してしまった。

つまり、いま問題しなければならないのは、「医療費亡国論」などではなく、国民への負担が高まったがゆえに弊害を生んでいる現行の政策についてだろう。


 現に、先進国のなかでもっとも医療費が高いアメリカでも、日本と同じように医療費抑制が唱えられているが、ミネソタ州ヘネピン郡では、プライマリーケアを受けられず悪化してから受診するという治療費がかさむ悪循環にあった貧困層を郡や医療機関が連携することで変調をきたす前に掬い上げるという方法で、医療費削減を実現したという(朝日新聞2016年8月15日)。

これは、健康を自己責任にするのではなく、地域で連携して市民の健康を守る取り組みを充実させることのほうがコスト減につながるという一例だ。
 このような現実に目を向けず、差別思想を正当化するために「医療費亡国論」を喧伝する輩に惑わされてはいけない。
そして、長谷川や曽野のような主張こそこの国を滅ぼすというのは間違いないだろう。
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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