私(小だぬき)は「沖縄戦史」「神風特別攻撃隊」「万歳突撃」「戦陣訓」などに 拘りを持っています。
日本の権力者・指導層・マスコミに大きな不信感を持つからです。
父が特攻隊待機で敗戦を迎えた影響かもしれません。
父は 海軍の一式陸攻の機銃手で 定員7名全てが「特攻要員」とされたそうです。
一式陸攻は 大戦初期にイギリスの「プリンスオブウェールズ」を撃沈したことと 山本五十六大将の戦死時の搭乗機として歴史に残る機体です。
今だ防衛省戦史編纂室の研究不足だと思うのは、「志願形式の命令」から「作戦命令」に、そして若い搭乗員に後に続くと訓示した 基地司令・幕僚、軍令部などの「敗戦後の身の処し方」です。
率直に言えば 玉音放送まで「死ね」と命令した者の 敗戦後の生き方です。
<明らかに人命を消耗品扱いした罪>
本当に特攻攻撃に成果を期待したのであれば、矛盾点が多すぎるのです。
人命を爆弾と一体化し「死」を強要したのですから、
日本人として死に行く人達への礼儀として
@防弾装備の新鋭機の投入
A死に場所への護衛の十分な配慮
B出撃は 心の整理ができたものから
C長男・家督相続者の除外 などが 必要だったと思うのです。
しかし、現実は赤とんぼ(初等複葉練習機)や白菊などの練習機から旧式で実戦で使い古された機体、桜花や回天・海龍など 出撃=死の兵器の開発と実戦投入。
せめて最後は 最善の葬儀をと願う 国民感情と相いれない
「下手な鉄砲でも数撃ちゃあたる」式の死の強要。
完全に10代 20代の若者達は 沖縄戦同様に「捨石」「絶望的な死の選択」しか許されない戦争でした。
確かに特攻隊員達の遺書に滲み出る 家族への想い、死の決意には 涙なしには読めません。
父もそうでしたが 敗戦で生き残った人達も長い期間 散った戦友達の死の評価で苦しんだと思います。
この作戦とも言えない作戦を推進・命令した人達の 戦後の豹変。
戦争遂行責任や死を強いた作戦へ反省・総括がないまま 敗戦後 警察予備隊・保安隊・自衛隊に入隊し 幹部になっていく。
今盛んに防衛論議がされていますが、いざ戦争になった場合に「死」を前提に闘わざる得ない自衛隊員や一般国民。*防空壕や核シェルターすらない。
靖国神社は「国から理不尽に 死を強要された人達」の無念さがこもった神社です。
愛国心を強調する人達は、参詣ではなく「二度と無益な死を強要するような国にはしない」と祀られている霊に誓う場でなくてはなりません。
もうすぐ「開戦の日」を迎えます。
二度と若者を 政権のために死なせない
決意の日としたいものです。