ダラダラとかっこ悪く
生きていくことのススメ
2017年01月07日 16時12分 SPA!
― 週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史> ―
BS朝日で『熱中世代』という番組の司会を進藤晶子さんと一緒にしています。
オンエアは、日曜朝8時なんですが、精神科医で作詞家の「きたやまおさむ」さんが何回もゲストで来てくれています。
きたやまさんは、「かっこよく去る」ということに一貫して反対しています。
かっこ悪く、ダラダラと、粘りながら居続けてもいいんじゃないかと言うのです。
例えばと言って「鶴の恩返し」の話を持ち出します。
あの時、鶴は自分の正体を見られたから、去っていく。
それはかっこいいんだけど、人生はそんなもんじゃないんじゃないか。
そんな風に去れたら素敵かもしんないけど、人生、そうはいかないと思うと言うのです。
じゃあ、どうすればいいんですか?と問いかけると、「だから、居座るんです」と、楽しそうに答えられました。
鶴は去っていかない。
見られて正体がバレても居座る。
ただ、ダラダラと居る。
そういう関係は面白いときたやまさんは言います。
そう聞いて、いきなり物語のイメージが膨らみました。
夫の「よひょう」は、女房の「つう」の正体を知った後も、なんとなく一緒の生活を続けます。
で、酔っぱらうと「お前は人間なの? それとも鶴なの?」なんて聞くのです。
つうのほうも「両方だし、両方でもないし、私も分かんないのよ」なんて困りながら答えるのです。
んで、また、自分の羽根で反物を織り始める姿を見て、よひょうは、「やせ細ったお前は、美しいのか? 醜いのか?」と混乱するのです。
つうは、そう聞くと「やせてガリガリだけどお金はある私と、見事に美しいけれどお金がない私。どっちを選ぶ?」なんていう究極の選択を迫るのです。
おお、これはまるで、「スタイル抜群で美人のモデルなんだけど性格は最悪でバカか、性格は最高でものすごく賢いんだけどデブでおブス。どっちを選ぶ?」という究極の選択の古典そのものではないですか。
◆かっこよく去った後に、残された人間は?
んで、そうこうしているうちに、つうとよひょうに子供が生まれるわけですね。
子供は、「うちの母ちゃん、昔、鶴だったらしいぜ」と知って、苦悩していいのか驚いていいのか分からないまま、生活を続けるのです。
やがて、子供は二人になって、「ねえ、私達もそのうち、鶴になるのかな? そしたら、空を飛べるかな?」なんてワクワクしながら話し合うのです。
「まあ、俺達は、最終的には鶴になって自分の羽根で反物を織ればいいんだから、最低保証はあるよな」
兄が妹か弟にそんなことを言うかもしれません。
ここらへん、物語の展開に気をつけないと、映画『おおかみこどもの雨と雪』とかぶりそうになります。
『こうかみしょうじの飴と湯気』なんて言われないようにしないといけません。
きたやまさんが、「ダラダラと生き続けること」を主張するのは、2009年に62歳で自死した加藤和彦さんのことを思うからでしょう。
加藤さんの去り際は、それは見事なものでした。
自分の荷物をすべて整理し、スタジオもきれいに片づけ、ただ、壁に一枚、アマチュア時代の『ザ・フォーク・クルセダーズ』のライブ風景を写した白黒写真を残しただけでした。
遺書の書き出しは、「今日は晴れて良い日だ。こんな日に消えられるなんて素敵ではないか」で、末文は、「現場の方々にお詫びを申し上げます。面倒くさいことを、すいません。ありがとう」でした。
あまりにも見事でスマートで手際がいいからこそ、きたやまさんは、「ちょっと待て」と思ったのだと思います。
お前はそれでいいけれど、残された人間はどうなる。
かっこよくさっと去っていくお前はいい。
けれど、残される人間の気持ちはどうなる。
だから、きれいに去るなんて思わずに、ダラダラとかっこ悪く生きていこうと言うのです。
中年の孤独死が問題になっています。
多くの人はかっこ悪くなりたくないから、ミジメな自分を見せたくないから、外部との接触を絶ったんじゃないかと僕は思っています。
でも、かっこ悪く、恥をかきながら世界とつながるのもいいもんだと僕は思うのです。