2017年01月21日

「教育困難校」妊娠事件に凝縮された日本の闇

「教育困難校」
妊娠事件に凝縮された日本の闇
東洋経済オンライン 1/20(金) 15:00配信

朝比奈なを

「教育困難校」という言葉をご存じだろうか。
さまざまな背景や問題を抱えた子どもが集まり、教育活動が成立しない高校のことだ。
大学受験は社会の関心を集めるものの、高校受験は、人生にとっての意味の大きさに反して、あまり注目されていない。
しかし、この高校受験こそ、実は人生前半の最大の分岐点という意味を持つものである。
高校という学校段階は、子どもの学力や、家庭環境などの「格差」が改善される場ではなく、加速される場になってしまっているというのが現実だ。
本連載では、「教育困難校」の実態について、現場での経験を踏まえ、お伝えしていく。

■受験校との決定的な意識の違い
 自分の将来を考えずに、今つかんでいる「恋愛」を信じ込み、妊娠→高校中退→結婚・出産と足早に進む高校生は、「教育困難校」では決して少なくない。
一方で、いわゆる「進学校」や「中堅校」ではこのような生徒はほとんど見られない。
これらの高校に通う生徒たちには、恋愛状態になっても、そこで起こす行動と結果が自分の将来にとって損か得かを考える知恵があるのだ。
受験校出身の読者の中には、気になる異性がいても、「お互いの受験が終わるまでは何もしない」と行動を自制していたことを、ほろ苦く思い出す人もいるだろう。

 もちろん、日本では小学校高学年以来、中学、高校と性教育の授業が行われ、その中では妊娠のメカニズムや予防法だけでなく、相手を尊重する人権教育や、キャリア教育の観点も含まれている。
しかし、熱い感情の前では、授業で得た知識は吹き飛んでしまうようだ。
高校生の恋愛では、妊娠する可能性のある女子高生のほうが、当然リスクは大きい。
 また、女子高生という立場をもてはやす現在の風潮と、それに便乗して次々と生み出されるJKビジネスなどを通して、異性と接する機会が多いのも女子のほうだ。
だが、恋愛から高校中退までの行動を起こさせる相手は、同じ高校の先輩や同級生、友達の友達、バイト先や遊びに行った先で知り合った若者など、同年齢か数歳年上の若者がほとんどである。

筆者が忘れられない女子生徒
 筆者には忘れられない女子高生がいる。
彼女はその「教育困難校」では抜群に能力が高かった。
父子家庭に育ち、小学生の頃から弟・妹の面倒を見ていた。
家では落ち着いて勉強ができず、学習塾にも通えなかったので、だんだん成績が悪くなり「教育困難校」に入学したのである。

小柄で眼鏡をかけ、ややふっくらした体形。
化粧っ気はまったくなく、アニメが好きで、お気に入りの作品の主人公をまねて自身を「僕」と称し、クラスの男子生徒とも気取らずに話し友達になれる、およそ「女子力」の低そうな生徒だった。
 事件は2年の2学期に起こった。
彼女は1年生から生徒会役員を務めていたが、1つ上の先輩と恋愛関係になり、妊娠が発覚したのである。
ほかの役員生徒が文化祭準備にほとんど協力せず、責任感のある2人が共同作業をするうちに恋愛に発展したのだ。
相手の生徒も、おとなしい性格の優等生で、男女ともにそのような事件の当事者になるとは教員はまったく予想していなかった。
妊娠が発覚したときはすでに中絶できる時期ではなく、学校を休んで産むことになった。
女子生徒は相手との結婚を望んだが、男子生徒の母親が猛烈に反対し、結局、生まれた子どもは児童養護施設に預けられ、2人の仲も引き裂かれた。

■強烈な愛情渇望症を抱えていた女子生徒
 不適切な男女交際を行ったということで男女別々に生徒指導の対象となり、彼女の指導の際には筆者も同席した。
生徒指導担当教員の話をうつむいて聞いていた彼女だが、「今後、高校生のうちは2度とこのような付き合いはしないように、いいね?」と言われたとき、一瞬顔を上げ、鋭い目つきで何か言いたそうになった。
しかし、次の瞬間、またうつむき、小声で「はい」と答えた。
 日頃見せている明るい表情の裏に、彼女は強烈な愛情渇望症を抱えていたのだろう。
彼女はこの「恋愛」で物心ついてから初めて自分に向けられる愛情を感じ、自分が大切な存在と信じることができ、この「恋愛」を貫く気持ちでいたに違いない。
筆者にはあの一瞬の鋭い視線は、彼女の幸福を壊した周囲の大人を憎む、彼女の気持ちの発露だと思えた。
そして、筆者自身が、まるで「教育困難校」版「ロミオとジュリエット」の悪役の1人のようにも感じた。
相手の男子生徒が卒業した後、彼女は学校に復帰したが、それからの1年は、誰ともほとんど話さず、教員とは目を合わせようとすらしない、寡黙な生徒に変わってしまった。

 子どもの頃に親からの愛を十分に受けられず、その後の人生で人間関係が苦手になることを、心理学では「愛着障害」と呼ぶ。
親の愛情を信じられず愛情渇望状態にあり、それを埋めたいがために恋愛至上主義者となった「教育困難校」の生徒たちは、まさに「愛着障害」の実例と言える。

早い時期に「家庭」を作ろうとするのも「愛着障害」のなせる業なのだろう。
こうして結ばれた若い夫婦は、子どもの数が愛情のバロメーターであるかのように、経済力を顧みず次々と子どもを作る。

「愛着障害」という問題  
「愛着障害」のある彼らは、心の底からわが子を愛したい、伴侶を愛したいと強く思っている。しかしながら、愛されたことのない者には愛し方がわからない。
大人、子どもを問わず、人と人が一緒に生活していくうちには、思いがけない感情の行き違いやトラブルが起こるものだ。
そのような際に、たとえ相互に一時的な感情の爆発が起こっても、相手との人間関係の基盤として愛情と信頼を持ち続けることができれば問題は解決できるが、そうしたことは特に苦手のようである。

 男女ともに若いうちに結婚すれば、経済基盤が弱い中での新生活のスタートとなる。
そして、今の日本社会では子育てに多額のおカネがかかるため、子どもが増えると家計は一気に厳しくなる。
懸命に働き、加えて児童手当や子育て支援を受けても生活は苦しくなる一方で、あまりの忙しさに精神的余裕を失う。

十分な愛情はあっても、子どもにそれを形で示すことが難しくなっていく。
極端な場合には、子どもへの虐待やネグレクトを起こしてしまう。
その結果、再び、子どもの頃の自分同様に、親の愛情を知らない愛情渇望症の子どもを作り出していくことになってしまうのだ。

■信頼関係の構築を体得していない
 また、思うようにならない家庭生活は、夫婦の人間関係にも亀裂を生む。
先述したように、相手に対して愛情と信頼を持ち続けることが苦手な「愛着障害」を持つ2人であれば、ほとんどの場合、離婚に至るだろう。
離婚した夫婦に対して「最近の人は我慢が足りない」と訳知り顔に言う年配者がいるが、我慢ではなく、夫婦とも愛情や信頼関係の構築を体得していないから、離婚するのではないだろうか。  

温かい「家庭」に強くあこがれながら、自身の作った「家庭」を短期間で失い、愛情の渇望感を埋めるために、また次の「家庭」を築こうとする。
このようにして、「家庭」を次々に変え、一生愛情を求めてさまよう人もいる。
いずれにせよ、1人親家庭になれば、相対的貧困状態は一気に加速し、新たに社会保障の必要性がある人が出現することになる。

 晩婚化や労働環境の問題で少子化が改善されない日本社会にとって、若くして結婚し子どもを産む傾向にある「教育困難校」出身者たちはありがたい存在と思えるかもしれない。
しかし、そこで生まれた子どもたちが、親のような「愛着障害」を起こすことなく成長できるようにしなければ、その子にとっても日本社会にとっても将来は楽観視できなくなる。
だが、何の手も打たれないまま、「教育困難校」には恋愛至上主義となってしまった若者たちが、適切なアドバイスを受けることもなく、放置されてしまっているのが現実だ。
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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