2017年04月14日

自主避難者 住宅提供打ち切り=大久保昂(大阪科学環境部)

記者の目
自主避難者 住宅提供打ち切り
=大久保昂(大阪科学環境部)
毎日新聞2017年4月13日 東京朝刊

再建支える体制、不十分
 東京電力福島第1原発事故で、福島県内の避難指示が出ていない区域から避難した「自主避難者」への住宅の無償提供が、3月末で打ち切られた。
昨秋からこの問題の取材を続けてきたが、困窮し、自立した生活ができる見通しが立たないまま打ち切りを迎えた避難者に数多く出会った。
事故から6年。
この間の国や福島県、避難先の自治体が避難者の生活再建を支える体制が不十分だったことが、こうした事態を招いたと考えている。

 原発事故後、福島県では放射線への不安などを背景に、避難指示区域外の住民の一部が自主的に県内外へ避難した。
県は自主避難者が避難先で入居した住宅は、災害時に一時的に住む「仮設住宅」とみなし、家賃を肩代わりしてきた。
避難指示区域からの避難と違い、自主避難者には東電からの賠償がほとんどなく、福島県による住宅の無償提供がほぼ唯一の支援だった。
しかし、県は2015年6月に「福島の生活環境は整いつつある」として17年3月末での打ち切りを表明した。

 福島の放射線量は事故直後から大きく下がり、私が住む関西と変わらない地域もある。
しかし、今も不安を抱く自主避難者がおり、避難先でできた友達と離れて帰還するのを嫌がる子供を抱えた世帯もある。
福島県の自主避難者は昨年10月時点で約1万世帯。
その多くが今春、「古里への帰還」と「家賃などを自己負担しての避難継続」との選択に悩んだ。

 取材で感じたのは、自主避難者の二極化だ。
避難先になじみ、生活を再建できた人は「もう『避難者』という立場から脱したい」と語った。避難先で自治会長になった人もいるという。
一方で「払える家賃の家が見つからず、夜も眠れない」
「引っ越し費用がない」といった訴えも聞いた。
その中には、障害者や日本語が不自由な外国出身の家族を抱え、震災前から弱い立場に置かれていた人がいた。
母子避難の末に離婚に至ったり、精神疾患や脳梗塞(こうそく)を発症したりと、避難後に生活が暗転した事例もあった。
こうした避難者は、就労や医療、教育など個別の事情に応じたきめ細かい自立支援を必要としていたはずだ。
しかし、サポートが十分ではないと感じることが度々あった。

 福島市から大阪市営住宅に自主避難する男性(57)は、避難してから4年半もの間、都会の片隅で孤立していた。
身体障害1級の視覚障害がある。
全盲ではないが、手紙を読むには明るいベランダへ出てルーペで文字を拡大しなければならない。
見知らぬ土地で一人で外出するのは不安だ。
介助してくれる韓国出身の妻(62)は、日本語の読み書きが満足にできない。
このため、避難先に行政や支援団体から郵便が届いても、ほとんど目を通すことがなかった。  こうして支援策や行政サービスにつながる機会がないまま困窮し、避難時の引っ越しや家財道具の調達などで背負った借金の返済に行き詰まった。
住宅の無償提供の打ち切りも、福島県の発表から半年間、知らなかった。
その後、自宅を訪問してくれた支援者の助言で大阪市に住民票を移し、市の福祉サービスを受けるようになった。
しかし、行政に対する複雑な思いはいまも消えていない。
「行政は目の障害のことは分かっていたはずだ。
福島市でも大阪市でもいい。
大事な情報が伝わるようにする配慮があれば、これほど苦労せずに済んだ」

訪問への熱意、自治体で温度差
 打ち切りを前に、福島県や避難先の自治体は昨年度、自主避難者を戸別訪問した。
打ち切り後の住まいの悩みを聞くだけでなく、困窮した世帯に自立へ向けた道筋を示す機会とすべきだったが、必ずしもそうはなっていなかった。
福島県郡山市から東京都営住宅に避難していた母子世帯の50代の母親は、住宅の管理者側から年度末での退去を求める話ばかりを向けられ、「出ていかなければ裁判もあり得る」とまで言われて精神的に参ってしまっていた。

 訪問に対する熱意も自治体ごとに温度差があり、打ち切り3カ月前まで訪問を実施しなかった自治体もあった。
そもそも、多くの自治体が福祉部門の職員ではなく、公営住宅の担当職員に訪問を任せていた。生活を包括的に支援する意識が希薄だったと言われても仕方がないだろう。

 取材を通じて気になったことがもう一つある。
生活保護の利用をためらう避難者が少なくないことだ。
大阪市に避難した母子世帯は「国の世話にはならない」と申請を拒み、月8万円ほどの収入で糊口(ここう)をしのいでいた。
しかし、生活保護は本来、こうした人のために用意されている制度だ。
戸別訪問などで困窮した避難者を把握している自治体は、誤解や偏見を解き、積極的に保護につなげるべきだ。

福島県と避難先、連携して注力を
 住宅無償提供の打ち切りに向けた支援が十分に行き届かなかった責任は元の居住地、避難先の双方にあると思う。
福島県は住宅の支援で事足れりとし、避難先の自治体には「自分の町の住民ではない」という意識がなかっただろうか。
今からでも遅くはない。両者で連携し、困窮にあえぐ世帯を中心にきめ細かい自立支援に力を注ぐべきだ。

posted by 小だぬき at 09:00 | 神奈川 | Comment(2) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
福島は本当に大変震災があった年に福島に行きました
高速は雑草が生え、観光地はガラーン
凄かったわ。
Posted by みゆきん at 2017年04月14日 14:43
放射能汚染を考えると 自主避難の人達につめたい国ですよね。
それでも自民党支持が5割以上というのだから 国民もオカシイです。

私は震災直後の水戸で墓石が倒れたり液状化現象などが見られました。日立の原発も爆発直前までいったということです。
みゆきんは 震災の語り部として 風化させないように時々でいいのですから発信してくださいね。
Posted by 小だぬき at 2017年04月14日 15:33
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