社会の匿名化
過剰反応が進まぬよう
2017年6月2日 東京新聞「社説」
十二年前に個人情報保護法が施行されてから、社会の匿名化が驚くほど進んだ。
多くの名簿や連絡簿などが作られなくなったのだ。
同法の改正法が施行され、再び過剰反応が進行しないか心配する。
個人情報が大事なことは、もっともだ。
それは十分に理解している。
だからといって社会全体がただ個人情報を理由にして萎縮してしまっては、有益な情報も閉ざされ、かえって市民社会に不都合が起きてしまう。
身近なケースでは、自治会などの名簿が作れない。
学校のクラスの連絡簿が作れない−。
こんなケースは緊急時に必要な情報を伝達することができないわけで、不都合が起きる典型例といえよう。
個人情報を盾にとって隠蔽(いんぺい)するケースもある。
報道機関は法規制の「適用除外」にもかかわらず、行政が懲戒処分の公務員の名前を匿名発表したりする。
これでは公務員がどんな悪質な行為をしたかも、あるいは冤罪(えんざい)であったかも具体的に取材しようがない。
日本新聞協会によれば、警察も重大事件の被害者を匿名発表するケースが常態化しているという。
これは被害者や家族の心情に報道機関が接近することを不可能にしてしまう。
まったく無機質な報道にならざるを得ない。
許されないことだが、プライバシーを理由に、警察が年齢や性別などについて虚偽の内容を発表する事態さえ起きている。
二〇一五年には記録的な豪雨で鬼怒川が決壊し、茨城県常総市などで洪水の被害が起きた。
だが、同市は行方不明者の氏名を公表しなかったため、安否確認が進まず、救助作業の現場が混乱したという。
これもプライバシー保護を理由に氏名を非公表としたのが大きな原因だった。
まるで人命よりも個人情報の方が大事であるかのような対応ではないか。
災害時は真っ先に不明者名を明らかにし、安否を確認するのが鉄則ではないだろうか。
従来は個人情報が五千件以下を対象外としていたのを、改正個人情報保護法では全事業者を対象にする。
病歴や人種など「要配慮個人情報」も規定されている。
制度がより厳格化する。
個人情報が保護されるべき価値を持っていることを否定しない。
人間の尊厳に敬意を払い、プライバシーにも配慮する。
それでも民主主義社会では伝えるに値する個人情報は無数に存在する。
「匿名なら無難」という思考停止にだけは陥らないでほしい。