沖縄は今も戦場なのか
不条理歌う「オスプレーの道」
2017年6月23日 東京新聞朝刊
◆伊江島出身の男性
72年前と重なる「頭上の恐怖」
二十三日は沖縄慰霊の日。
七十二年前のきょう、沖縄戦で組織的な戦闘が終結した。
ところが今も、三線(さんしん)の音にのる歌詞は「住み馴(なれ)し我島(わしま) 戦場(いくさば)どやるい(戦場なのか)」。
沖縄県宜野湾(ぎのわん)市上大謝名(うえおおじゃな)地区の老人会長、山城賢栄(やましろけんえい)さん(78)が最近あえて自作した地域の歌「オスプレーの道」だ。
米軍の新型輸送機オスプレイが頭上を通る。
「それが現実だから」(辻渕智之)
「うてぃらんかや(落ちはしないか)」。
オスプレイの「灰色の巨大な腹」が迫るたび、そんな会話や睡眠を騒音が妨げ、民家の防音窓は震える。
地区は米軍普天間(ふてんま)飛行場の滑走路の延長線上すぐにある。
「上大謝名ぬ部落(しま)や オスプレーぬ道でむぬ(上大謝名の地域はオスプレイの道だよ)」。
歌は二年前、地区公民館の完成式での余興用に作った。
「騒音はある程度慣れる。でも恐怖には慣れない」。
式に出る防衛省の職員や国会議員に伝えたかった。
だが一部の住民が歌詞に難色を示し、完成式で歌うことは断念した。
最近は地区の催しで仲間と披露している。
オスプレイは昨年十二月、同県名護市沖で不時着、大破した。
安全性が懸念される中、今月六日夜には県北部の離島・伊江島(いえじま)に緊急着陸した。
その伊江島は山城さんの生まれ故郷だ。
伊江島は沖縄戦の際、旧日本軍が急造した「東洋一」と呼ばれる飛行場があり、米軍が上陸。地上戦は悲惨を極め、島民の四割約千五百人が死亡した。
知人の少女らが爆弾を背負って戦車に体当たり。軍属の父、少年兵となった兄も命を落とした。当時六歳の山城さんは沖縄本島に疎開。
頭上の敵機が機銃掃射を浴びせ、「夜に森の中を逃げ回り、狭い壕(ごう)でおびえた」。
今、伊江島は面積の35%を米軍用地が占め、オスプレイが訓練で頻繁に飛来する。
「米軍は伊江島の飛行場を重要視して、伊江島を狙った。
だから今、北朝鮮あたりが沖縄を狙ってミサイル撃たんかや(撃ってこないか)、と」
故郷の島は「沖縄戦の縮図」といわれる犠牲を払った。
今の住まいは、「世界一危険」な普天間飛行場のそばだ。
「戦争でたたきのめされ、基地に苦しめられ続ける。あまりにも理不尽だ」
一方で、オスプレイは横田(東京都)、厚木(神奈川県)の両米軍基地をはじめ、沖縄から首都圏への飛来も増えた。
「オスプレイの道」は全国に広がっている。
「反対しても住宅密集地の上を飛ぶ。
ばかにされてるのかね」
二十三日は沖縄県南部の平和祈念公園に「平和の礎(いしじ)」を娘や孫と訪れる。
亡き父と兄の名が刻まれている。
「オスプレーん飛(とば)ん 平穏御願(しじかうにげ) オスプレーん飛ん 平和御願」。
自作の歌詞どおりに願う。
そこんとこをもっと考えてよ総理💢
今 政府や与党、右翼・常識派と自己規定している人達の「防衛論議」は、「沖縄戦」を日本全土で行おうというものです。
武装で独立を守るための最小限の条件は、国民の武装と退避豪の完備です。
今の日本で 自衛隊による防衛構想は空虚です。
寧ろ非武装レジスタンスの徹底が必要なのに、刀狩りの歴史以来 国民の武装を許さなかったのが権力です。
それほど 権力者は「防衛より反抗」を恐れているのです。