「吐いてでも給食を食べさせる」
熱心な教育の恐ろしさ
2017年10月21日 15時56分 SPA!
― 週刊SPA!連載
「ドン・キホーテのピアス」
<文/鴻上尚史> ―
じつに切ないニュースを見てしまいました。
岐阜市内の小学校の先生が給食を完食するよう児童に指導した結果、去年と今年7月までの間に、小学生5人が吐いていたというのです。
去年、1年生の学級担任だった時は4人に偏食をなくすために給食を残さず食べるように指導、4人が計8回、吐きました。
今年は、2年生の学級補助担任となり、7月に体調不良の児童に給食を食べるよう指導し、児童は吐きました。
保護者は学校に児童の体調不良を連絡していましたが、この先生には伝わっていませんでした。
市の教育委員会は「配慮にかけた指導だった」として女性教師に口頭で厳重注意処分を出しました。
先生は「子どもに負担をかけてしまい反省している」と話しているそうです。
最初、僕はこのニュースを知って、「ああ、若い真面目な先生なんじゃないだろうか。
この人は、自分が学生時代、先生の言ったことや校則に対して、まったく疑問に思わないで従ってきた人なんじゃないかな。
だから、こんなムチャをしたんだな」と思いました。
ところがよくニュースを調べると50代の女性だと分かりました。
ということは、この先生は、この指導をずっと熱心にしてきたと考えられます。
つまり、今まで、完食して吐いてしまった児童を見てきたはずです。
でも、その指導をやめなかった。
今回はたまたま匿名の情報が教育委員会に入り、問題になっただけなのです。
市の教育委員会は、この問題を受けて、「楽しく食べ物に感謝して食べる食育指導を職員に徹底する」とコメントしました。
けれど「楽しく」より「食べ物に感謝して」という部分を真面目に受け取れば「食べ物を残すことは食べ物に対して失礼です。
全部、食べなさい」という指導にすぐにつながります。
それが徹底されたら、吐いてもしょうがない、となるのです。
◆指導することと
指導を徹底することは違う
僕は肉の脂身が苦手です。
牛肉はまだなんとかなりますが、豚肉はまったくダメです。
小学校の時、給食で豚肉の料理がでた時は、本当に地獄でした。
給食用の安い豚肉だからか、いつも脂身がたっぷりありました。
もちろん、小学校時代の先生は、給食を残すことを許してくれませんでした。
僕はまず、豚肉の脂身だけを残して給食を食べ終えました。
そして、残った脂身を小さくスプーンで切り、一切れずつ口に含み、牛乳で一気に飲み込みました。
苦行のような時間でした。
あまりに多い時は、一気に口に含んでそのままトイレに直行しました。
今でも、その瞬間を覚えているのですが、トイレに行く途中、豚肉の脂身の臭いに我慢できなくなって、側溝に一気に吐いたことがあります。
汚い話で申し訳ないのですが、ぶわっとまき散らすように吐き出しました。
本当に泣きたい気持ちでした。
たぶん、偏食をなくすために「給食は残さない。完食する」と指導されていたのでしょう。
無理に食えば、偏食はなくなるという理論は誰が決めたのでしょうか。
そういう理論を提出した人がいたら、会ってみたいものです。
僕はいまだに、豚肉の脂身が食べられず、でも、肩こりは激しいですが、すこぶる健康に生活しています。
その後、「三角食べ」という、主食(パンやごはん)、おかず、牛乳という三種類をまるで三角形をなぞるように順番に食べる食べ方を指導され、「何をどの順番で食べるぐらい自由にさせろ!」と小学生ながらものすごく憤慨しました。
ツイッターで、この悲しいニュースをつぶやいたら「食育は大切です」とか「最近の女子小学生はごはんを残すのです。
ご存知ないのですか?」とか、いろいろツイートが返ってきました。
偏食をなくそうと「指導すること」と、「指導を徹底すること」は全然違います。
「あなたの健康を考えてあなたのためにやっているのです」という「正義と善意」を進めることと、徹底することは全然違います。
「熱心な教育」「完全な善意」「徹底した指導」は、目の前の人間が苦しんで吐くことを無視できるのです。
感じなくなるのです。
それはなんと恐ろしいことなのでしょう。