松尾貴史のちょっと違和感
電車内の優先座席
恥ずべきシステムでは?
2018年1月28日 毎日新聞
東京が4年ぶりの大雪で、通常ならば自家用車で新横浜まで行って新幹線に乗るのだけれども、自分の運転技術に鑑みて、電車で品川へ。
車内が意外と空いているのは、雪で中止になった「何か」で人が動いていない分と、前日からニュースや情報番組で「明日お出かけの際は時間に余裕を持って」とアナウンスしていたから人の動きが分散したのだろうか。
ガラガラに空いているというわけではないのに、「優先座席」に空席がある。
私は優先座席と指定されている椅子でも、そうでない椅子でも空いていれば同じように座るし、短距離ならば座らないことが多い。
そもそも優先座席というものが必要な社会というのは、どうにも納得がいかない。
誰かが見張っているわけでも、譲ってもらうべき人物だという明確な線引きがあるわけでもないのに、まるで「制度」であるかのような体裁で設置されていることに違和感を覚える。
こうと書いておかなければ、他の座席でも優先して座ってもらうべき人が座りにくい社会を前提としている時点で、私たちの社会は敗北している。
「そういう表示がなければ譲らない人がいる。
しかし書いておけば少しは効果がある」というのであれば、全ての座席を「優先座席」にすべきだろう。
大きな商業施設や公的な場所には、その入り口近くに体の不自由な人の乗る車を止めるための、専用スペースが設けてある。
それ以外の車は止めてはいけない場所だ。
電車の場合は定員以上乗ることが常態化しているので、そこに空席が常にあることは効率が良くないから「優先」と呼んでいるという苦肉の策なのだろう。
そもそもは、どこの座席でも当たり前のように、体が不自由な人や、けが人、お年寄り、妊婦、幼児を抱いている人らが座席を譲ってもらえる社会を作るべきだろう。
立川談志さんが生前、ラジオの公開収録に来られ、本番前に電車の中での出来事を話しておられたのを思い出す。
老人が1人、車両に乗り込んできた。座っていた中学生に談志さんが「坊や、譲ってあげたらどうだ」と言ったら、その子は素直に立ち上がり席を譲った。
するとその老人は黙って当然のように座った。
「ありがとう」の一言もなかったのだという。
そこで談志さんは車内中に響き渡るどすの利いた声で「悪かったなあ、坊やっ! おじさんが余計なことを言った、席を譲ってもらってありがとうの一つも言えねえくそじじいに席を譲らせちまった。すまねえ。
今度からじじいがいても、金輪際席なんざあ譲るんじゃねえぞ!」と叫んだのだそうだ。
さぞや老人は居心地が悪かっただろう。
日本人の多くは、大勢人がいる場所で他人と違う行動をとることに恐怖心のようなものがあるようで、座席を譲るという低レベルの親切ですら、「注目を集めてしまう」から抵抗を感じるのだろう。
しかし、席を譲る行為よりも、見て見ぬふりをして座席を占有し続けることの方が桁違いの「恥」であることは明白なのに、なぜ大恥の方を選ぶのかが不可解だ。
そろそろ、電車の中も監視カメラを設置する流れができている。
痴漢やスリ、テロの防止などいろいろ目的があるだろうけれど、譲るべき人が目の前にいるのに譲らない人の姿を紹介し続けるくらいのことをしなければ、車内民度は上がらないのだろうか。
もちろん、そんなことを推奨しているわけではない。
「優先座席」という恥ずかしいシステムがなくとも、全ての座席についてそうあることができる社会になってほしいというだけなのだ。
(放送タレント)
自分の事で一杯いっぱいなんだろう
今日はご近所の高齢お爺ちゃんの雪掻きを手伝ったわ
何度も何度も頭を下げてお礼
人の為に何か出来るって素敵^^
孤独では いくら恵まれた資産や環境に恵まれていても幸せは感じられないでしょうね。
人の手伝いも「〜したい」でするもので 「〜でなければならない」ならおかしなものになります。
不道徳な政治家が「道徳」を説くようなものに・・・。
みゆきんの手伝いは 花丸です。