きょうの潮流
2018年2月22日(木) しんぶん赤旗
子どもの頃から七五調の秩父音頭を聴いて育ち、自分の体は俳句に仕立てられているといっていた金子兜太(とうた)さん。
98年の人生のなかで句作を忘れてしまった時期がありました
▼海軍の将校として赴いた南洋のトラック島。
米軍の爆撃で島じゅうが黒焦げ。
本土からの補給は絶たれ、捨てられた「虚無の島」で飢えてやせ細っていく仲間たち。
ひとの死が日常化するなかで頭に浮かぶのは食べ物のことばかりでした
▼敗戦で捕虜となり、日本に帰るとき。
「非業の死」を思いながら、船尾から遠ざかる島を見ていたときにつくった句があります。
〈水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る〉。
その代表句は、戦後への出立の決意を込めた原点になりました
▼反戦・平和の社会を実現するために生きてきた俳人が危うさを感じたのが安倍政権です。
ふたたび近づいてくる軍靴の響き。
体を張って阻止しなければと筆をとった「アベ政治を許さない」の力強い文字は運動のシンボルに
▼カタカナでアベとしたのは、安寧が倍になるどころかどんどん脅かされていくから。
本紙のインタビューでもアベ政治のすべてを問うとして、戦争に反対することは人生の最後の仕事だと語っていました
▼人間の生や自然、社会を詠み、俳句によって時代を覆う空気を変えようとした生涯。
国のために働かされ、死んでいくという制度や秩序は我慢できない。
無理に生きる必要のない自由な社会をつくりたい。
1世紀近く日本の歩みを見つめてきた金子さんの遺志は、われらに。
欲を除いたら戦争もなくなるね
戦争で犠牲になるのは、老人・子ども・女性・青年達。
いつまでも平和であって欲しいです。
私は、戦争を知らない世代。だからこそ、先人の声を聞く機会をふやすことが大切だと感じます。
今日は、チビ(もう中二)の児童精神科受診から帰りました。チビにとって、かなり厳しい事を言われましたが、本人は、話を聞いてました
主人は、成績下がって学校行けないのなら、僕が一年休職して、勉強を教える(かなり、視野狭窄入ってる感あり)
私自身、体調を崩すのは、子供達の将来、進路が関わるこの季節。流石に今年は、入院したくはないので。
何とかなる、今なら勉強も間に合う、学校の交流級は完全アウェイ、友達が出来なくて当たり前と思え!と、薬もらってきました。
まあ、いいや、
今日は、お風呂入って睡眠薬飲んで、ほっといて寝よっと。おやすみなさい
長文失礼しました
お久しぶりです。お子さん方ですが、教育の現場でも論争のある所です。
1つは、主に共産党系の主張で障害を持つ子は、早い段階から 障害の程度に合わせて生活・学習をさせた方がいいという、普通??学級と障害児学級の分離論です。
2つ目は、普通??学級に全ての子を受け入れて それぞれの子どもの交流により人権・学習支援・発育支援をするべきだとの考えです。
どちらの主張も一長一短があり まだまだ迷走中という段階だと思います。
子どもの持つ可能性を探るには どのような場が望ましいのかは、教育委員会や学校、医療機関・養護支援員などとの連携で「居場所」「教育」を考えなくてはなりません。
障害の特性によって 今身につける課題は違うはずですので ワンさんが1年休職して子どもに拘るより 養護教員や支援級担任の元での方がプラスです。
極端なことを言えば、勉強は年齢での習得ではなく 必要による習得と考えた方がいいと思います。
ゲームなど楽しいことは まわりから強制されなくても身につけていけるのが「人間」です。
ちゃいねさんの心身のストレスを減らすことが 冷静に子育て・主婦業をする土台です。
障害のある・なしに関わらず、人間としての得手・不得手はあるはずです。
今できること、できる可能性のあるものにチャレンジすることが大切です。
私は 障害者手帳3級に前進しましたが まだ生活のリズムが作れていません。
ちゃいねさんの 真面目さや責任感が 自分を追い込んでいないか 問い直してください。
障害や病気などは それぞれの専門家の知恵と支援を得るのが当たり前と割り切り、自分もお子さんも 普通にという固定観念から脱却し 「今から明日に」回復、幸せがある 「冬眠・療養」期間で みんな違ってみんなよいと居直ることです。
看護師さんだった頃、患者さん一人ひとりが違い 手を焼いたり 爽やかだったりと個性豊かだったはずです。
他人には 性格や知性の違いが認められるし客観視できるのに 自分や家族には 得体の知れない普通を想定してしまう・・・、これは障害・病気のせいだと思います。
私は 四月に前期高齢者の仲間入りをするのですが、わからないことは その専門家に聞くことが平気になり それに従いストレスも軽減されてきています。
ちゃいねさんは、私の娘といっていい年齢。可能性が信じられるはずです。眠くてもいい、怒りぽくていい・・
決して 孤立はしていないと信じてください。
障害手帳・障害年金を受給するようになって 教員時代の「〜でなくてはいけない」「〜しなくてはならない」という固定観念がなくなり、わからないことは聞けばいい、できないことは 助けてと支援をうければいいと思うようになりました。
ちゃいねさん「青い鳥」は「身近にいる」、共に自分の今の限界を認めて 支援・援助は 緩解のためにも必要と割り切り、笑顔が増えるように自然体で過ごしていきましょうね。
主人は、夜勤終えて06:00に帰宅し、8時になっても誰も起きないと腹立ててました。
私は、新しい睡眠薬(レンドルミン2錠)で、起きれなかった。子供達も目覚ましかけてなかったので。
腹を立てながら、台所を片付け、コーヒー飲んでめした。
主人が、休職したい理由:仕事が辛い。辞めたいって。
ま、子供達がいる前で吐き出す事は難しいですね。
辛くなる前に、一度受診しよう。少しでも楽になるかもだよも、話をしました。
子供達の事は学校と他機関に相談する事かな?
私がもっと上手に子育てできれは?と考える事自体、貴女調子が悪いといい加減気づいて欲しいのだけど。と、私に対する支援を決めるのは貴女じゃないから!役所は、そんなに甘くないの!と、言われています。
やはり、お騒がせのちゃいねでした。
週6回の居宅サービス(ヘルパーさんの支援)は、まだ受けてもいいようです
わんさんの辛さは理解できるようです。テロ事案の対処の最前線での圧力が激務になっているのでしょう。
でも 今 勤められているという自分に自信を持って欲しいのです。
誰でも勤務する中で辛さや怒り、自信喪失はあるものです。わんさんが復職できている中でも通院して メンタル面で折れないようにして欲しいものです。
「うつ」の既往症があるのだ、再発防止のために通院は欠かせないとワンさんも職場で居直って欲しいです。
私も 1度復職して 初めのうちは管理職も配慮をしてくれたのですが 私の「復職したのだから 仕事も完ぺきに」と勤めて居るうちに 職場で主任・ベテランとして頼りにされ 拗らせてしまい 再休職に陥りました。
わんさんには 職場で「辛いな」「疲れた」と感情を口にして 自分だけではないと知ることが大切だと思います。
役所の「そんなに甘くないの」という反応は 役所の方がオカシイと思ってください。
福祉は 必要としている者に寄り添うのが職務であり、本人が障害かどうかは 主治医に聞いてくれと 強気?に出ることも大切ですよ。
今 福祉の現場では 本人からの辞退に誘導する圧力がかかっているようです。
決して、支援されるのは申し訳ないとは思わず、緩解のためには「必要なのだ」と強く思ってください。
看護の現場で 患者に金銭的余裕がないからといって手抜きはできないのと同じと思ってくださいね。
生活リズムも「障害のなせる事」ととらえる 心の余裕が必要です。
心の余裕がなくなること自体が「障害のため」と・・・
わんさんもちゃいねさんも子ども達も「今の状態が精一杯」なのだと 家族の中で共有することです。
極端に言えば、お互いに家族といえども「他を思いやる心の余裕はない」ということを 共通理解として プロに支援・援助を求める姿勢を確立することです。
他人の評価など気にする余裕はないと居直る大切さです。
私も マンション管理組合理事長は うつの今の状態では 受けられないと断っています。
「できること」はやり、「できないこと」はできない、「困難なこと」は 支援・援助を受けるという 当たり前の姿勢がブレないことです。
何も好き好んで「障害」に陥っているのではありません。
「緩解」のために できないことや困難なことで 自分を低評価にしなないでください。
今年、私は老齢年金の受給年齢になるのですが、あえて支給額が低い 障害年金希望として申請しました。
今の感情の動きに正直に 生活することです。
母親として「もっと上手に子育てできれは?と考える事自体、貴女調子が悪いといい加減気づいて欲しいのだけど」のソーシャルワーカーの言葉は 励ましと受け取ってくださいね。
今の ちゃいねさんの心身の安定を願っています。
「鬱で悩む 患者の会」小だぬき。