2018年03月08日

全被災者の歩みに拍手

香山リカのココロの万華鏡
全被災者の歩みに拍手
毎日新聞2018年3月6日 東京版

 今年ももうすぐ3月11日がやって来る。
あれ以来、何度か東北などの被災地に出かけ、知り合った人たちの顔を思い出し、普段の不義理をわびながらメールをする。
そのうちの何通かが、「あて先が見つかりません」というメッセージとともに戻ってきてしまった。
 メールアドレスが変わったのだろうか。
それとも、何か考えがあってメール自体をやめたのかもしれない。

高齢の人だと、「体調に何かあったのでは」と心配になる。
 でもしばらく心配した後、「7年もたてば生活にも人生にもいろいろ変化があるだろう」と納得して、それ以上、考えるのをやめる。
誰かに聞けば消息がわかるのかもしれないが、「しょせん私は支援活動を通して出会っただけだし」と、あえて探し出そうとはしないようにしている。

 もし私が逆の立場なら、つらいできごとから7年たっても誰かに「本当に気の毒ですね。早く元気になって」などと言われたら、つい「もうふつうに生活しているのですから、そっとしておいてください」と言い返してしまうかもしれない。

でも、逆に「これからは被災者と支援者ではなくて、ふつうの友だちになりましょう」と思う場合もあるだろう。
私に告げずにメールアドレスを変えた人は、どんな気持ちだったのだろうか、とまた考え込みそうになる。

 支援者の立場から被災地、被災者にかかわった私ですら、こんなふうにちょっと複雑な気持ちになるのだ。
東北や関東の被災地に住んでいる人、とくに大きな被害を受けた人たちも、この7年間、さまざまに心が揺れ、「もうやめよう」と思っても考えてしまい、それでも必死に生活してきたことだろう。

 「本当に大変なことだ」とその苦労を想像するだけで気が遠くなりそうだが、同時に「人間ってすごい」とすばらしさを感じずにいられない。
メールで連絡がつく人たちも、それぞれ「地元で店を開いた」「避難先で結婚して子どもが生まれた」「海外への赴任が決まったので行ってきます」などと悲しみやつらさを抱えながらも、たくましく自分の人生を切り開いている。

 もちろん、家族や郷里を失った人にとっては、「7年」という時間が何かを解決するわけではない。
時間がたてばたつほど逆に苦しさが増す場合もあるだろう。
それでも、がんばって生き続けてきた。
メールで連絡が取れる人、取れない人、それ以外の人。大震災で被災したすべての人の歩みに拍手を送りたい。
    (精神科医)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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