週のはじめに考える
見たくないものを見よ
2018年3月11日 東京新聞「社説」
南海トラフ巨大地震も首都直下地震も、いつか必ず襲ってきます。
東日本大震災の経験を風化させず、社会全体の耐震性を高めておかねばなりません。
東日本大震災は、何よりも強烈に津波の恐ろしさを私たちに見せつけました。
海に向かっていかに暮らしていくべきか。
突きつけられた課題の大きさには目がくらむばかりでした。
それでも私たちは、この先、いつか必ずやってくる南海トラフ地震も見据えて沿岸部での懸命の津波対策を始めました。
◆遠くで大きく揺れる
語り継ぐべきものは、無論、津波の恐ろしさだけではないはずです。
では、大都市の備えは…。
七年前の三月十一日、例えば震源から七百七十キロも離れた大阪湾の人工島、咲洲(さきしま)では五十五階建ての大阪府咲洲庁舎が最上階付近で左右に往復三メートルも揺れました。
大阪の揺れは最大で震度3。
にもかかわらず、建物は三百六十カ所も損傷し、エレベーター利用者が五時間も閉じ込められる事態に陥ったのです。
原因は、規模の大きな地震で生じるゆっくりとした大きな揺れ、長周期地震動にありました。
その建物に固有の揺れやすい周期(固有周期)とゆっくりとした地震動の周期がほぼ一致し、共振現象が起きて揺れが激しく増幅されたと考えられています。
超高層ビルの構造は柔軟で、かつては地震の揺れを柳に風と受け流すから安全だ、とされていました。
ところが、長周期地震動の共振現象が起きれば想定外の大揺れとなることが分かってきたのです。
国土交通省は昨年四月から、太平洋側の大都市圏に建てる高さ六十メートル超の新築物件について、従前の基準より大きな揺れ幅の長周期地震動に耐えられる設計を義務付けました。
◆「ホンネ」が教える弱点
裏を返せば、それまでの対策では不十分だったと認めたことにもなるわけです。
であるならば、さて、既設の超高層ビルは大丈夫だといえるのでしょうか。
その昔、織田氏の居城があった尾張・清洲の城下町は徳川家康の命で名古屋へ丸ごと引っ越しました。
いわゆる「清洲越し」です。
濃尾平野の軟弱な沖積低地にあった清洲城跡の地中からは、戦国の世を揺るがした一五八六年の天正地震による液状化現象の痕跡が見つかっています。
地盤の固い熱田台地への清洲越しは、つまり、防災プロジェクトたる集団高台移転だったと推察されるのです。
こうして始まった名古屋の街づくりでしたが、やがて都市域は再び沖積低地にまで広がり、今では軟弱な地盤にも高層ビルが次々と建っています。
東京も事情は同じ。江戸時代には海だった軟弱な低地に高層ビルがそびえ立っているのです。
便利で快適な都市にいると、自然の猛威が縁遠いものに見えてしまうのかもしれません。
名古屋大学減災館を拠点に、企業や行政の防災担当者が自らの弱点をオフレコでさらけ出し、共有しようという「ホンネの会」が活動を続けています。
参加組織は現在、七十にまで増えました。
設立のきっかけは、減災連携研究センター長の福和伸夫教授と三企業の防災担当者との飲み会でのやりとり。
お酒が進み、電力会社が「実は、南海トラフ級なら二週間はだめ」。
製造業は「電気がだめでも、ガスで発電できるから大丈夫」。
でも、ガス会社は「電気がないとガスは作れない」。
これでは、とても都市は守れない…。
それぞれが地震への備えを考えているつもりでも、さまざまな組織が相互依存している現代社会を俯瞰(ふかん)的に眺めると、大丈夫と言われていたものが実は大丈夫でないと分かってくる。
だから互いに本音を話し、見たくないものを見よう、というのです。
「東海地震を予知して警戒宣言を出す」という虚構に終止符が打たれ、国の地震対策は昨年、現実路線に大きく舵(かじ)を切りました。
では、予知を前提とせず、南海トラフ地震にいかに備えるか。
静岡、高知両県と中部経済界をモデル地区に指定し、まずは対策の指針をつくることになりました。
中部経済界としてまとめる指針には、「ホンネの会」のオフレコ論議で明らかになった課題も盛り込まれるはずです。
◆揺れに耐える社会に
これまでの「予知」は、いわば地震から逃げて命を守ろうという防災思想でした。
これからは、生命はもちろん、都市機能をも守る発想が必要になります。
産業や経済を崩壊させぬよう、社会の耐震性を高めなくてはなりません。
揺れから逃げられぬ都市を守るため、そこに潜む見たくはない弱点を直視し、次なる揺れに備えなくてはならないのです。
地震はトラウマ
当時の記録映像を見直しましたが 決して記憶を風化させてはいけないと思います。