しあわせのトンボ
「復興の思想」を=近藤勝重
毎日新聞2018年3月15日
人間が生きていくためには、ものすごいいろんな物の協力がある。
電車から降りて帰宅途中目にする風景や松の木一本だって自分の存在を支えてくれているんです。
臨床心理学の第一人者だった河合隼雄氏が「対話する人間」でそういう趣旨のことを書いておられた。
そうだなあ、とそのことを実感したのは、生まれ育った田舎の生家が跡形もなくなったときだ。
長年兄夫婦が住んでいたが、事情があって売却した。
所用で帰省した折、すでに空き地になっていた生家跡を目にし、受けたショックは大きかった。
河合氏のおっしゃる「ものすごいいろんな物」の中でも生家というのは格別な物であろう。
庭の松の木一本も目に浮かんで、思わず嘆息をもらした。
いつもあるはずのものがないという違和感と喪失感。
「3・11」の被災者たちが、家どころか古里と生活を丸ごと奪われ立ちつくしていたことを思うと、ぼくの精神的ショックなど比べようもあるまい。
「3・11」後7年を数え、各メディアの報道も多面的だった。
その後の復興の様子を追って「取り戻す笑顔」「前向きに」といった言葉も耳にした。
そのことに異議を唱えるつもりはないが、復興を「元に戻す」「再び盛んにする」というレベルでとらえてはおざなりに過ぎよう。
被災直後、日を追って強まったのは「身の丈に合った国に」とか「右肩上がり一辺倒の国を見直そう」といった考え方で、併せて原発を必要としない国づくりも論じられた。
脚本家の倉本聰さんは巨大地震をテーマにした特集ワイド「この国はどこへ行こうとしているのか」でこう話していた。
「せめてバブルの兆しもなかった1970年代前半ぐらいの暮らしに戻れればいい。
非常に不幸な出来事だけれども、これを機に人間の生き方を考え直せばいい」
しかしそれらの声はどうなっているのか。
相変わらず経済発展を言いつのっている国である。
「3・11」は地震大国としての新しい「復興の思想」を国中で確認する日になれば、と心から願う。
福島第1原発は今なおうめいているし、原発の諸問題もそのままに「復興五輪」なんて、ぼくにはちょっと調子が良すぎるように思えてならない。
(客員編集委員)
今 言えることは 死ぬときに後悔しない生き方をしたいと思うだけです。