2018年05月01日

軍隊としての自衛隊を真剣に考えよう@

0.小だぬきの問題意識
憲法改正問題で 「自衛隊」を憲法に明文化しようとする世論が多いとのことですが、災害・救難活動の心強い組織としての「自衛隊」と軍隊である「自衛隊」を明確に分けて慎重に考えないと未来に禍根を残すことになります。

1,「本土決戦」思想の軍隊もどき
大陸型の国境線を接する国の軍隊と島国の日本では 軍隊の在り方が決定的に違うという点を冷静に考えないといけないと思うのです。

国防を軍隊を中核にして考える時、どのような戦闘が想定されるか 被害をどこまで許容し、どのような国防体制を整備していくかを 国民合意の元 
「軍組織・装備」とインフラ整備、国民の避難の在り方、自衛隊後方支援の体制など 日本という国の主権を守るのに何ができるのか軍隊としての「自衛隊」で守れるかという根源的な問いは避けて通れません。
これらの点を曖昧にしたままで 軍隊として自衛隊があるから戦えというのは 太平洋戦争敗戦時の大本営の無謀な「本土決戦」思想と同じです。

太平洋戦争・大東亜戦争で戦略・戦術思想がなく 多くの兵員を生命軽視・補給無視で餓死・万歳突撃・特別攻撃隊として「死」を強要するとともに
本土爆撃や機銃掃射・餓死で多くの国民に「死」を強要した歴史の教訓を学ばないことに通じます。

2.敗戦の総括・反省をしないままの不幸
昭和20年8月15日の午前中まで「一億火の玉」「大和魂」「鬼畜米英」と国家総動員体制で戦争を推進した軍指導部、官僚、政治家などの指導層が
 天皇陛下の「玉音放送」後、戦争の責任・総括なしに敗戦処理、米軍の占領政策を担う指導層にそのまま横すべりした矛盾を放置したまま 戦後がスタートした不幸です。

 ナチス党の戦争責任を国の責任として追求しながら 戦後をスタートしたドイツとの決定的な違いです。

玉音放送までは、戦争に対する批判や生活の不満を「非国民」「売国奴」として 取り締まった権力が
 敗戦後は「占領軍」批判や国民の生きるためのヤミ市を取り締まる権力に何の反省もなく移行した無節操、無責任な国家権力の在り方が問われていないことです。

また、軍として戦争指導した指導層が 戦死者や戦傷者、国民犠牲者への責任を曖昧にしたまま軍の武装放棄をした「戦争責任」の曖昧さが残ったまま、
朝鮮戦争への米軍出兵の占領政策の米軍の肩代わりとして マッカーサーの命令としての「警察予備隊」創設が 自衛隊の母体になった歪さが 日本の国土・本土防衛としての「自衛軍」として成長できていない、軍としての装備を持ちながら「軍隊」として機能できない自衛隊の不幸になっているのです。

3.憲法9条改正のための前提条件(続く)
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自衛隊に入隊する人、減るかも
Posted by みゆきん at 2018年05月01日 15:28
国民の生命財産を守る組織という確信が持てれば 入隊者は減ることはないと思います。
映画や架空戦争小説と違い 自衛隊の運用と作戦行動が国民を保護した上で 侵略する国と戦えるかという問題意識です。国民を人質に取られて 戦車砲弾やミサイル、小銃火砲を使用する覚悟があるかという点です。
最後まで抵抗するのか どの程度の犠牲で軍事抵抗を止め降参するかとのリアルな認識も大切です、
戦闘には勝ちました、でも放射能汚染やダム破壊、ビル倒壊、インフラ全滅で 国民の生活が成り立たなくなりました、では軍隊は国防軍にはなりえないと思うのです。
今までの政治家や官僚が 真剣に国防を考えずに形だけの軍隊にしてしまい それを憲法に明記しても国民の軍隊になりえませんし「死」を強要される隊員にムダ!!な戦死者を出すだけです。
Posted by 小だぬき at 2018年05月01日 16:47
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