山谷ブルース
岡林信康 詩・曲
♪きょうの仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ
どうせ、どうせ山谷のどさ住まい
ほかにやる事ありゃしねえ
一人酒場で 飲む酒に かえらぬ昔が 懐かしい
泣いて泣いて みたってなんになる
今じゃ山谷が ふるさとよ
工事終われば それっきり お払い箱の おれ達さ
いいさいいさ 山谷の立ちん坊
世間うらんで なんになる
人は山谷を 悪く言う
だけど俺達 いなくなりゃ
ビルも ビルも道路も出来ゃしねえ
誰も解っちゃ くれねえか
だけど俺達ゃ 泣かないぜ
働く俺達の 世の中が
きっときっと 来るさそのうちに
その日にゃ泣こうぜうれし泣き♪
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素朴な疑問を書きます。
かって「日本共産党への手紙」という書籍が 発行され、その内容に少なくとも党員であった私は共鳴しました。
11回大会だった時?に 議案の党内論争が別刷りで全党員に配布され 少数派に鋭い指摘もみられました。
この時が「共産党」の再生に重要だったと 今感じています。
本来は山谷ブルースの最後の詩にある世の中を作る一員になる決意で入党した人たちが 多くいた筈です。
でも中央の文書から「労働者」がへり「国民の支持を得て」との文言が多用されることで停滞し始めたと思います。
私たちの頃は、「選挙」と「大衆運動」を両輪として、「選挙」は大衆運動を盛り上げる一手段との意識でした。
だから全選挙区立候補で 当落より投票率・投票有権者数の拡大が目的でした。
国会活動では「反対しましたが 賛成多数で可決されました」結果は 本来の党路線から外れたものだと思います。
山本太郎君のような徹底抗戦が 共産党の本来の闘いのハズです。
志位さんは、多数決までどのような抵抗をしたのか、余りにも整然と紳士的に「多数決」を容認していないかと感じます。
96年の「輝く歴史」は、党員・支持者には ピンときません。
96年経っても 10〜20%弱の投票者、党員・赤旗の減少などは 党路線の誤りとは感じないのでしょうか??
野坂参三議長、金子満広書記長の時は、動員なしでも 多くの人が足を止めて演説に聞きいったものです。
また 過去に誤りがあったとしても100歳の野坂さん、袴田副委員長の除名の時の 罵詈雑言・人間性否定の赤旗記事やパンフには 党員でも「全否定と批判は行き過ぎ」と話したものです。
<党員>
収入の1%の党費以外にも 赤旗購読・月刊「前衛」「学習」「労働運動(廃刊)」「各種パンフレット」、幹部著作などの購入費、党員としての加入組合費、各種カンバ(党建物、選挙供托金、他労組闘争支援など)、ただでさえ苦しい家計が「党員としての教養・義務」として徴収されるのです。
金銭的にも耐えられない党員や離党者が多いのではと思うのです。
また支部・班活動でも 職場の問題・活動方針を話し合う余裕がないほど 中央からの「党員拡大」「赤旗拡大」のウエートが大きかったです。
実質、教員党員は 公務員法に触れないように 前任地や前赴任校の名簿を頼りに「拡大」を図るのですが、負担は前任地・前赴任校の居住支部が配達・集金を担うのです。
私は「拡大英雄賞」として 中央委員会の名入りボールペン2本頂きましたが、思いは複雑でした。
<全労連ではなく 合同労組に>
労働分野でも 理不尽な扱いを受けた労働者が、自由に加盟できる「合同労組」での戦いを選ぶのかは きちんと分析した方がいいと思います。
多くは新左翼といわれる人達が幹部を担っています。
なぜかは明瞭で「最後まで加入労組員の立場で戦い抜く」という点です。
共産党執行部は 過去「突然のスト中止指令」や「成田闘争途中撤退」に限らず、地域問題などでも「権力の介入の恐れ」としてウヤムヤ解決が多くあります。
今こそ「党名」「綱領」「規約」「党員個々の負担軽減」などを 常任幹部会、書記局で真剣に論議して欲しいと思います。
少なくとも「山谷ブルース」の詩「働く俺たちの世の中」に希望が持てる党になって欲しい。
96年の歴史を きちんと「党勢拡大」ではなく「党勢後退」の現実から総括して欲しいものです。
今度 倒れる時は みゆきんに会う約束をしてから みゆきんの前で倒れて 人工呼吸を・・・、なんて軽口がでるようになっただけ病状は安定しています。
これからもよろしくお願いいたします。