2019年03月07日

虐待サバイバーが語る「児童相談所は私を助けてくれなかった」

虐待サバイバーが語る「児童相談所は私を助けてくれなかった」
3/5(火) 文春オンライン(渋井 哲也)  

今年1月24日、千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(10)が自宅で死亡した。
父親の勇一郎容疑者(41)と母親のなぎさ容疑者(32)が傷害容疑で逮捕された。
この事件では、柏児童相談所の不適切な対応が問題となっている。

 柏児相は心愛さんを一時保護していたが、一時保護を解除して預けていた親族宅から自宅に戻すかどうか判断する際、父親から「お父さんに叩かれたのは嘘」などと書かれた手紙を見せられた。
しかし真偽については十分に確かめず、自宅に戻した。
市が合同委員会を設置。再発防止策を検討することになっている。

 児相のあり方が問われる中、過去に両親から虐待され、児相と関わった2人に話を聞くことができた。

「死ぬならここにしようと決めている」
 今年2月某日、明穂(27、仮名)から無料通信アプリLINEのメッセージが届いた。
「死にたいと思って、気がついたら更地にいた。
震災前、ここには児童相談所があった。
死ぬならここにしようと決めている」

 東日本大震災9年目の取材で筆者は被災地にいた。
そのことをツイッターで知ったという。
さっそく連絡を取り、会うことにした。
明穂の自宅は津波被災をしたため、一旦、仮設住宅に住んだ。
現在、実家は建て替えた。

 明穂はよく父親からこう言われて、体罰を受けながら育った。
“なぜ叩かれたのか。理由を探しなさい”

100点を取っても、「こんな簡単なテストで喜ぶな」
 例えば、幼いころは親戚に挨拶をするタイミングが遅いという理由だったり、小学生のときは成績が理由だったりした。100点以外は許さないが、100点を取っても、「こんな簡単なテストで喜ぶな」と言われた。

そのためか、小1の頃から自殺を考えていたという。
「1年のころは飛び降りれば死ねると思って、自宅の2階から飛び降りたことがあった。
2年のときからはリストカットをしたり、頭をぶつけるようになった」

 勉強するモチベーションが上がらず、5年の頃には100点を取れなくなっていた。
「友達を家に呼ぶと、父は『君はどこの大学に行くの?』と聞き、答えられないと家にあげなかった。
次第に友達が来なくなった。
でも、授業参観にも父親がくるので、熱心に思われていた」

児童相談所に行き、家で虐待されたと訴えたが……
 母親も明穂を虐待した。
「もっと叩いて育てればよかった」と言っていたほどだ。
晩ご飯前後には、外に締め出されたことも多かった。
近所の人に見られない時間帯でもあった。

小3からは「死にたい」と強く思う。
父親から性的虐待を受けるようになった時期だ。
「週末に、中2までされていた」

 中学では、学校の先生に家のことを話すようになった。
「性的虐待のことは、されなくなってからも、すぐには話す気になれなかった」
 中3のとき、明穂は自分から児童相談所へ行き、家で虐待されたと訴えた。

一旦は「保護する」という話になったが、連絡が行った母親の反対で、実現しなかった。
当時は、親権が強かった。
「児相に夢と希望を持ちすぎた。何かが変わるという期待があった。
児相が介入してくれると思ったのに、それ以上のことはしない。
骨折でもしないといけないのか。
このとき母親も性的虐待のことを知ったけれど、家に帰ると、ケーキが用意され、なかったことにされた」

 明穂はずっと親に殺されると思ってきた。
震災の時は無職でも避難所などで役に立ったことから、「無職を責められず、よかった」と振り返る。
家族との関係は変化しないが、両親は年をとったこともあり、暴力は受けていない。
そして、無職ながらも一人暮らしをしている。

「今も死にたいと思っている。
高校生までは早く死にたいと思っていた。
なぜなら若いうちはニュースに取り上げられるはず。
しかし、そのタイミングを逃した。
一回しか死ねないので、ここぞという時に死にたい。
(家の)系譜を断ちたい」

30代の男性とラブホテルから出たところを補導
 那美(20、仮名)は16歳のとき、池袋駅北口で警察に補導された。
30代の男性とラブホテルから出たところだった。
「警察官とラブホテルで現場検証をした。
生々しい感じで、『こんなことをしたのか?』とか『相手は全部吐いたよ』とか言われたりして、私は『たぶん、そうだと思います』と受け答えした。
何をしたのかをしゃべらせようとしていた」

 東京都青少年健全育成条例(淫行)違反事件となった。
那美は援助交際もしていたが、このときは、金銭のやりとりはなかった。
いわゆる素行が悪いとされたため、神奈川県内の児童相談所に送致され、児童福祉司と話すことになる。

「めちゃ、性格が悪い人だった。“そんなこと(援助交際等)をした人はゴミ”と言うように、冷たい人だったので、2、3回行って、ばっくれようと思った」
最初の担当には「あんたとは話したくない」
2回目は性格検査をした。臨床心理士が対応した。

「優しい人だった。話しやすかったし。
そのため、最初の担当には『あんたとは話したくない』
『心理士となら喋っていい』と言った」

 カウンセリングされるようになると、自分の家族のことも話した。
「母はマンションを買うために借金をした。
そのことをきっかけに父親は私にも暴力をふるうようになった。
離婚して母親と暮らしたが、おじいちゃん、おばあちゃんから掃除機の尖った部分で殴られたりした。
自分の殻に閉じこもる性格で、読書で集中していると、返事をしないからでしょうね」

 中学の頃は、母親の彼氏と一緒に住むこともあったが、その男から暴力を受けた。
その後、父親と暮らすようになるが、父親からも暴力を受ける。
自傷行為を繰り返すようになり、何度か病院に入院するが、PTSDの診断を受けた。

「虐待のニュースは自分の心が死んじゃうので……」
「母親と暮らしたときは明確な虐待だと思う。
でも、どこからが虐待なのかわからない。
例えば、高校生のときは父親と暮らすが、手をあげられたり、物を壊されたり、部屋のものがなくなっていた。
作った食べ物は捨てられ、皿ごと捨てられていたこともある」

 殴られたりすると、泣き叫ぶ子もいるだろうが、那美は殴られてもフリーズし、泣かなかった。
「だから近所の人にもわからないし、父親は外面がいいので、発覚しない。
心理士の人からは『家を出た方がいい』と言われたが、児相は初めてだったし、万引きもタバコもしてないので、非行だと思っていない。
保護されるレベルでもない」

 児相は虐待自体には介入しなかった。
高校卒業後、就職した那美。
会社の寮で暮らしているため、しばらく父親とは会ってない。
ただ、成人式を迎えたために手紙とお金が送られてきた。
「どうしたらいいのかわからないので、(お金は)使ってない」

 心愛ちゃんの事件について、那美はニュースを見聞きするのを避けていたという。
「ニュースは見ないようにしていた。虐待のニュースは自分の心が死んじゃうので……」
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]