道徳を「教科化」してもいじめは減らない!?
きれい事ばかり並ぶ残念な中身
3/14(木) ダイヤモンドオンライン (福田晃広)
2018年度から小学校で教科化された「道徳」。
文部科学省は、道徳教科化の目的として、いじめ問題の対応を第一に挙げているが、はたしてどのような効果が期待できるのだろうか。
著書『誰が「道徳」を殺すのか』(新潮新書)がある、教育評論家の森口朗氏に話を聞いた。(清談社 福田晃広)
● 道徳の「教科化」 きっかけは壮絶ないじめ事件
道徳が教科になったとはいえ、授業時間は1年生から6年生までずっと、週1時間であることに変わりはない。
では、これまでと何が違うのかというと、大きく2つある。
1つ目は、文部科学省の検定を受けた教科書を使って、授業が行われるようになること。
これまで道徳は、教科外の活動とされていたため、各学校で内容がバラバラだった。
そこで、学校現場でしっかりと学習指導要領に沿った内容の教育を行なうことが義務づけられたというわけだ。
2つ目は、通知表で評価が付くようになることだ。
ただ、評価といっても、数値化するのではなく、生徒1人1人の道徳性の発達を見て、記述による積極的評価を付けることになっている。
なぜ教科外だった道徳が、このタイミングで教科化することになったのか。森口氏はこう説明する。
「2011年10月11日、滋賀県大津市立皇子山中学校で2年生の男子生徒が自殺した事件が直接のきっかけです。
この事件は、男子生徒の手足をハチマキで縛り、口を粘着テープで塞ぐほか、トイレや廊下での暴行、万引の強要、ハチの死骸を食べさせるなど、あまりに凄惨ないじめだったため、社会的に大きな注目を集めました。
この事件で明らかになったのは、教師や教育委員会がいかに信用できないのかということ。
その表れが道徳の教科化に結びついたというわけです」(森口氏、以下同)
● 道徳教育を本格化させても いじめの認知件数は増える理由
森口氏は、学校現場がまったく信用できないからこそ、国は道徳を教科化することに踏みきったと語る。
ただ、いじめに関する行政の統計データがデタラメであるため、道徳教育といじめ問題を関連づけて、効果を論じることは難しいとも指摘している。
学校から報告を受けたデータを積み上げているだけ。
教育行政も『いじめは本来あってはならないものだが、起きたらしょうがないからきちんと報告しなさい』というスタンスから、『いじめは起きるものだから、気づいたらすぐ正直に報告しなさい』と、考え方をシフトしたため、報告しやすくなっている。
つまり、これから道徳教育を開始しても、いじめ認知件数は増えていく可能性が高いのです」
2015年度の統計によると、小中高の児童生徒1000人あたりのいじめ発生数が最も多かったのは京都府で96.8件。
反対に最も少なかったのは香川県の5.0件と、約20倍の差が出ている。
森口氏の言うように、文科省が公表するいじめ認知件数は、学校の正直度を表す調査にすぎないともいえるのだ。
● 道徳教科書は大丈夫か!? 具体性を欠く内容
とはいえ、道徳教育が無意味だというわけでは決してない。
森口氏も、むしろ今回の教科化には大賛成だという。
ただ、現在採択されている教科書の内容には問題があると指摘する。
たとえば、森口氏が問題とするのは、小学校6年生向けの道徳教科書に掲載されている。『青の洞門』という物語だ。
簡単に物語のあらすじを説明すると、
ささいなことをきっかけに主人・中川四郎兵衛を殺してしまった武士・福原市九郎という男がいた。
罪滅ぼしのために僧になり、名を禅海と改め、何か村人の役に立てないかと交通が不便だった場所に洞門(トンネル)を掘り始める。
25年間も掘り続けたある日、禅海が殺した中川四郎兵衛の息子・実之助が、父の敵を取るために姿を現す。
すると、禅海は「洞門を掘り終わるまで待っていただけないだろうか」と懇願。
ボロボロになりながらも、必死に頑張る姿に心を打たれた実之助は了承してしまう。
それから5年後、洞門がついに完成。
禅海が「もう思い残すことはない。さぁ、お斬りなされ」と首を差し出すと、実之助は固く握手を交わしただけで、その場を去っていくという話だ。
森口氏は、この物語を道徳の授業で扱うことに苦言を呈す。
「常識的に考えれば、『人を殺すことは絶対にやってはいけないこと』とまず教えないといけないはず。
ですが、この話は人殺しよりも高い道徳があることを教えているようなものです。
これははっきり言って、反道徳教育と言い切ってもいいでしょう」
森口氏によれば、道徳の教科書の内容は、物語中心になっているが、その前に、たとえば「なぜ人を殺してはいけないのか」、「なぜ人をいじめてはいけないのか」など、人として誰もが守らなければならない道徳律(ルール)をまずは教えなければならないはずと、強調する。
ほかにも、「なぜ法律を守らなければいけないのか」といった順法精神や、現実に起こったいじめの事件を教材に取り上げることなど、現状の道徳教育の内容はまだまだ改善の余地があると、森口氏は語る。
2019年度からは中学校でも同様に、道徳教科化がスタートする。
道徳教育がどのような成果を上げるのか。長い年月がかかるが、しっかりと注視する必要があるだろう。
というか私の頃はあったのに
その後、なくなっていたんですか!?
なるほどと納得してしまいました。
そうそう、子だぬきさん、コメレス見てくれてますか?
桜について、心を込めてお返事したのですが
今日のコメントに何も書かれてませんでした。
まぁ「雑草より桜の方が強い」って事ですけど。
そういうやり取りをしたくてコメント開けているのです
以前から道徳は 特別活動として 週1時間、日課表には位置づけられていました。
道徳は、ケースバイケースで 善悪も分かれるものです。
「〜すべき」ではなく「何が最善か」が問われるのです。
例えば 病気一つでも本人が受け入れられる状態なら告示するのが正直になるのでしょうが・・・、そうでない時は患者にはオブラートに包んだいい方で 家族には正直がベストですね。よく笑い話になるのは 交通量が少なく見通しのいい場所で信号機に従うか否かです。
歩行者として「自己責任で渡る」ことが許されるか・・
生活していくには「相対的な判断」が求められるのです。道徳の徳目は、その人の環境・立ち位置・状況によって変化するのに「〜が正しい」と同調させる方向にいくのが怖いのです。