世界から愛される「イチロー流」コミュ力とは
「人の痛みを想像する力」が示す人間の器量
2019/03/25 東洋経済オンライン
岡本 純子 :
コミュニケーション・ストラテジスト
世界中の野球ファンが、一時代の終わりを感じたかもれない。
「野球界のレジェンド」イチローの引退は世界のメディアに大きなニュースとして伝えられた。
彼の引退会見や数々のエピソードから見えた「世界に愛されるイチロー流コミュ力」について、ひも解いてみたい。
「後にも先にもイチローはイチローだけ。
彼は野球選手であり、ロックスターであり、国際的なセレブリティーであり、そして、もし彼がジェームズ・ボンドの映画の中に出てくるようなスーパースパイだったとしても驚きはしない」。
MLBのサイトに3月22日に掲載された記事にこう記されている。
同じサイトに掲載された「イチローは史上、最も愛される野球選手なのか」という別の記事には
「彼には敵がいなかった。誰も彼を嫌わず、ブーイングをすることもなかった」
「人生をとことん楽しむ姿、研ぎ澄まされたユーモア、そして、強烈で、ほとんど神秘的なほどの 世界から愛される (野球への)献身が、人々の心をとらえて離さなかった」
「彼の生き方はあらゆる年代、国境を越えて、共感された。
彼は何百万人という人に野球の魅力を気づかせた。
こういった、そしてもっと多くの理由から、イチローが野球史上最も愛された選手であると信じている」とある。
ファンを魅了したのは野球の技法だけではない
打撃や守備など野球の技法・技術、輝かしい実績だけではなく、試合前の儀式的なルーティーンや求道者のようにストイックな鍛え方に至るまで、彼の生き方そのものの高い精神性、神秘性が世界の野球ファンを魅了し続けてきた。
今、ツイッターなどソーシャルメディアは、多くのメジャーリーガーやチーム、世界の野球ファンの、イチローの功績をたたえ、引退を惜しむコメントであふれかえっている。
海を越え、国境も言葉も越え、まさに世界に愛された不世出のプレーヤーということだろう。
日本で9年、アメリカで19年の計28年の選手生活を締めくくる引退会見にはそうした彼の魅力が、ほとばしり出ていた。
特に印象に残ったのは、つねに自然体な受け答えと、記者を気遣い、対話をしながら、話を進めるコミュニケーションスタイルだ。
「え、おかしなこと言ってます、僕。大丈夫です?」
「聞いてます?」など、一方的に話を進めるのではなく、つねに記者の反応を確認しながら、聴衆を巻き込んでいく。
「おなか減っちゃったよ〜」「眠いでしょ、皆さんもね」などと子どものように茶化すイチロースタイルのユーモアも随所にうかがえた。
「イチローは面白い。
愉快。
一言でバシッと決めるし、ちょっと小ばかにするようなコメントでも笑いを取る。
自分を笑い者にする方法も知っているし、ほかの人たちを笑いの輪の中に巻き込む」(MLB.com)。
会見やインタビューでは通訳をつけ、英語で話すことはあまりないが、日頃のチームメートとのコミュニケーションでは英語で軽口をたたくことも多く、インタビューでチームメートの口真似で冗談を言い、爆笑を誘ったこともある。
オールスターに出場した時期には、試合前に、クラブハウスで、アメリカンリーグの選手たちを前に、「放送禁止用語」を連発するクレイジーな英語スピーチを毎年行い、伝説となっていた。
キャンプで着用した奇抜なメッセージやイラスト入りのTシャツの数々が話題になるなど、その独特で皮肉の効いたユーモアとウィットはよく知られるところだ。
「禅と迷信と徹底したこだわりの交差点に住んでいる」(ESPN)と称されたイチローの魅力は「自我」や「私欲」を超越した、たたずまいにもある。
会見の中で、彼はこう言っている。
「ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後くらいからですかね、人に喜んでもらえることがいちばんの喜びに変わってきたんですね。
その点でファンの存在なくしては自分のエネルギーはまったく生まれないと言ってもいいと思います」
「二グロリーグ」との接点
アメリカでは、ボランティアや人助けをすることに積極的な人が極めて多い。
これはあらゆるスポーツチームや選手のDNAにも埋め込まれており、チャリティーや寄付などの習慣が根強く、スポーツ選手の社会貢献欲も非常に高い。
こうした環境に身を置くうちに、自分のための野球から、ファンに喜んでもらうための野球という「利他視点」に変わったのではないだろうか。
彼のこうした側面を伝えるエピソードがある。
1920〜1950年まで存在していたアフリカ系アメリカ人で構成された「ニグロリーグ」の伝説的プレーヤーで、のちにメジャーリーグのコーチともなったバック・オニール氏と親交を結んだイチローはカンザスシティーに遠征するたびに、その経験談を聞き、交流を深めた。
オニール氏が設立に一役買った同地にあるニグロリーグ野球博物館にも足を伸ばし、熱心に展示を見学。
その1年後に再訪した時、おもむろに小切手帳を取り出し、博物舘史上最も高額な寄付をしたのだという。
アメリカで差別や偏見と闘い、苦労を重ねた黒人選手と、小柄で決して体格のよくないアジア人選手である自分の苦闘を重ね合わせたのかもしれない。
会見の中ではこうも話している。
「外国人になったことで、人の心をおもんぱかったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。
この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれない」。
「自分だけがよければ、人のことなどどうでもいい」
「人のことなど構う余裕はない」
「間違いを犯した人間は徹底的にたたくべき」――。
そんな寛容性のない空気が重く漂う日本社会において、イチローのこうした「人の痛みを思いやる想像力」がことさら尊く感じられる。
会見には終始一貫、彼の野球に対する徹底した「愛」がにじみ出ていた。
「(イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは、との問いに)野球のことを愛したことだと思います。
これが変わることはなかった」
「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げる」と表現したように、まさに「我を忘れる」境地に達した人こそが無双の力を発揮できることを証明した。
「おにぎりを3000個握らせたかった」
「僕はゲームの前にホームのときはおにぎりを食べるんですね。
妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるのですけど、その数がですねぇ、2800個くらいだったんですよ。
だから3000いきたかったみたいですね。
そこは3000個握らせてあげたかった」と、大切な仲間や妻、愛犬への感謝も、もちろん忘れてはいなかった。
「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。
あくまでも、はかりは自分の中にある。
それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。
そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。
だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思う」
85分の会見に、何気ないようで、実に奥深い言葉をこれだけ積み込める彼のコミュ力はやはり神がかっている。
「言葉にして表現することというのは、目標に近づく1つの方法ではないかなと思っています」というように、言葉の力を知る彼だからこそ、一言一言を無駄にしない。
大切にする人やモノがあり、愛するそれらのために「自我」を超越し、「我を忘れる」という生き方。
そんな彼の生きざまはまさに「幸せな人生」の見本であり、多くの人の憧憬の的となる理由なのだろう。
リハビリも大変だと思いますが頑張ってくださいね・・
一歩づつ・・一歩づつ・・
明日も素晴らしい1日になりますように・・〜=*^-^*=〜thanks‼
ありがとうございます。
母の介護の時、歩行するとき「あんよは上手」などと声かけしたのを思い出し リハビリに努めます。
明日は、精神科で飛鳥山公園経由。無理しないようにベンチに座りながら鑑賞してきます。
私的なことを書き込み ごめんなさい。