2019年04月26日

「義務教育の敗北」に見る教育アップデートの必然性

「キャベツ枕」と「妊娠米」
「義務教育の敗北」に見る教育アップデートの必然性
2019/04/24  文春オンライン(吉川 ばんび )

少し前から、インターネットで「義務教育の敗北」という言葉をたびたび目にするようになりました。
「何が敗北なんだろう?」と思い調べてみると、子育て中のママ向けサイトで

「熱冷ましの新常識『キャベツ枕』! キャベツを頭にかぶせると、熱が下がり、体内の毒素を吸い取ってくれる」という記事が掲載され、それを安易に信じる人が後を絶たなかったり(現在記事は削除、お詫びもされています)、
「妊婦が触って妊娠菌が付き、妊娠しやすくなる『妊娠米』」がメルカリで高額取引されたり(医薬品医療機器法[旧薬事法]に抵触する恐れがあるとして、現在は「妊娠菌」商品は削除されています)と、とんでもない情報が続々と出てきました。

SNSの登場によって可視化されやすくなった

 確かにネットで簡単に情報が手に入る今の世の中は、正しい情報だけでなく「間違った情報」が入ってきやすい時代でもあり、私たちが肌で感じている「常識」は、相手にとっては「常識でない」可能性もあります。
そう考えると、もはや「常識で考えたら分かるだろう」という一言で片付けてはいけないのかもしれません。

 念のため付け加えると、私が言いたいのは「今の若者は常識がない」ということではありません。
「医学的根拠のない民間療法を信じる人たちが一定層いる」という状況は今も昔も変わりませんし、「義務教育の敗北」問題は年齢とは関係がなく、単純にSNSの登場によって可視化されやすくなったり、間違った情報にリーチしてしまう人が増えたりしただけだと思うのです。

「ゆとり世代」が生まれるまで  

こうした状況を見ているかぎり、今は「義務教育のあり方そのもの」をアップデートすべき時代に入っているように思えます。  

そもそも「義務教育」とは、近代国家にとって「人権」「産業振興」の両面から「一人前」の国民を育てるための制度です。戦後は、子どもたちが全国のどの地域でも「一定の水準の教育」を受けられるようにするため、全国共通のカリキュラム(学習指導要領)が定められました。

 学習指導要領は時代とともに改定されており、平成元年以降は生活科や「総合的な学習の時間」の新設、道徳教育の充実など「生きる力の育成」に重きを置いています。
いわゆる「ゆとり世代」も、こうした流れの中で誕生しました。

実際に「生きる力」は育成されたのか

ゆとり世代」と呼ばれる私が義務教育を受けていた9年間を振り返ると、
「総合学習」の時間には、学年全員が体育館に集められ、例えば盲導犬の生涯を描いた『クイール』などの感動的な映画を見せられることが多かったと記憶しています。
あんなに懸命で可愛いワンちゃんの映画を強制的に見せられて泣かないわけがなく、女子中学生たちが号泣していたのも鮮烈に覚えています。

 個人的には、義務教育の中で「生きる力」の育成にも重きを置く姿勢には大賛成です。
しかし、実際にそういった姿勢の下に教育を受けて育った世代としては、すべての子どもにとって総合学習の時間が有効に活用されていたとは言い切れず、学校によって大きなバラつきが生じている、と実感しています。

 そして「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」という目標についても、全国的に見るとまだまだ達成されていないように思えます。
 例えば冒頭にも触れたように、子どもの発達や子育てに必要不可欠な「科学的根拠のある知識」であるとか、子どもの精神疾患について、義務教育ではほとんど触れられません。

ゆえに、そうしたことに知識がない大人たちがいざ子どもを作り、何か子育てで困ったときにその場その場でスマホで調べ、友人やネット経由で間違った情報を共有してしまうことも少なくないでしょう。

「あとは大人になって自分たちで勉強してね!」

 親となる以上は、子どもの発達や成長過程で起こりうる問題については最低限の知識を有しておくべきですし、子どもが健やかに成長できるような環境づくりを常にしておく必要があります。

 しかし今の日本では実質、この具体的で大事な部分をまるっと「あとは大人になって自分たちで勉強してね!」と本人たちに委ねているため、知識量に大きな格差が生じてしまっているのが現状です。

 とことん子どもの発達について調べて、子どもの健全な成長の障壁となる可能性のあるものをすべて取り除いてから子どもを作る人たちもいれば、
一方ではあまり子どものことを理解しないまま、何となく子どもを作って「まぁ、何とかなるだろう」と安易に子育てをスタートした結果、「キャベツ枕」を信じてしまう人もいるわけです。

「正しい情報」がフェイクに埋もれてしまって、本当に必要な人の元に届かない。
 これは「常識がない」と言われる個人の責任ではなく、情報過多の社会全体が抱える、深刻な問題だと思うのです。

生きていく上で本当に必要な教育とは何か  

では「生きる力」を育成する上で必要な教育、とは一体何か。
インターネット上で間違った情報が氾濫している現代において、もっとも重要なのは「正しい情報を見極める力」を養うことではないでしょうか。

 正しい情報を選び取るためには、その分野について最低限の知識を持っておくことが不可欠となります。
そうなると、義務教育の段階で「勉学以外の、生きていく上で本当に必要な教育」をある程度はしておくべきで、社会のひとりひとりの知識レベルの底上げが必要になるでしょう。

 私が通っていた中学校での総合学習の時間は、映画を見るか、主に学年の生徒全体を集めて行われる「お説教の時間」であることがほとんどでした。

「性の知識をどこから得たか」というアンケートに答えさせられ、漫画作品『NARUTO』と回答した生徒の犯人探しが始まってめちゃめちゃに怒られていたり、バレンタインデー直前には「チョコレートをもらった、または誰かにあげた者は正直にその場に立て」と言われ、私を含めた「バレンタインデーなどには関係がない風」の生徒も含めて全員が1〜2時間かけて懇々とお説教を食らったりと、「この時間を使ってやるべきことがもっと他にあるだろうに」と思うことも多々ありました。

「総合学習」の時間をそんな風に使うくらいなら、子どもたちにはもう少し社会に出てから役に立つ話をしてあげたほうが、よっぽど「生きる力」が養われ、「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」に繋がると思います。

いろんなことをタブー視した結果……

 子どもの精神疾患や政治絡みの話など、大人たちが色んなことに対して「タブー視」を続けたこともあり、子どもは「人生において重要なこと」をほとんど知らないまま大人になってしまう気がします。

 私たちが生きている世界には膨大な問題があるので、それらすべてを義務教育の期間で網羅することは到底不可能だと言えます。
だからこそ自力で勉強し、判断することはもちろん必要になってくるわけですが、「そもそも社会にはどんな問題が溢れているのか」を知らなければ、問題意識を持ちようもなく、自主的に勉強すらしようがありません。

 そのため「個人間の知識量の差」の問題を、「常識がない」という一言で片付けてしまうことは非常にナンセンスで、非生産的な行為であると思うのです。

 日本政府が少子高齢化を危ぶみ、「労働人口の減少を補填するために労働生産性を高める」と唱えているのであれば、せめてこれから大人になる「労働者たち」には、より豊かな人生を歩めるような教育を、できるかぎり学校でやってあげるべき段階に入ったのではないかと、危機感を覚えずにはいられません。

 少子高齢化の日本が労働人口を確保して、数十年後も国として機能し続けるために、義務教育をすでに修了した我々の「常識」も、時代の変化に合わせて少しずつアップデートし、互いに理解しあい、助け合うことができる社会にしなければならないのではないでしょうか。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☔| Comment(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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