2019年05月02日

令和が受け入れられた理由は「意識の低さ」だ

令和が受け入れられた理由は「意識の低さ」だ
ネタとして盛り上がったことも一役買った
2019/05/01 東洋経済オンライン
小口 覺 : ライター、コラムニスト

多くの人が使った「平成最後の〜〜」というフレーズは、5月以降「令和初の〜〜」に置き換わるのでしょう。
新元号「令和」は思いのほか早く受け入れられ、すでに世間に浸透した感もあります。

30年前、平成には慣れるのにもうちょっと時間がかかった記憶がありませんか?
 令和がなぜここまでスムーズに受け入れられたのか、『ちょいバカ戦略』の筆者小口覺氏が「意識低い系マーケティング」の観点で分析します(本稿は書籍からの引用ではなく、書き下ろしです)。

誰にでもある欲望や感情こそが社会を動かしている
意識低い系マーケティングとは、ヒット商品や流行など、世の中のトレンドを「意識の高さ・低さ」で分析し、戦略に役立てる手法です。
意識が高い」とは、知識がある、論理的、公について考えるというような思考です。
片や、「意識が低い」とは、知識がない、感情的、自分視点というような状態です。

一般的には、意識が高いことがよいこととされますが、世の中に与える影響としては、意識低い視点も見逃すことができません。
むしろ、おいしいものを食べたい、贅沢(ぜいたく)したい、ラクしたい、恋したいといった、誰にでもある欲望や感情こそが人、ひいては社会を動かしているのです。

さて、令和に対しての人々の反応を意識低い系マーケティングの視点で分類してみました。
横軸の右側が「意識が高い」、左側が「意識が低い」とします。
縦軸は、上が「ポジティブ」、下が「ネガティブ」です。
ポジティブは賛成、ネガティブは反対にも置き換えられます。

令和が発表されたとき、典拠となった「万葉集」に注目が集まりました。
書店では万葉集やその解説書が売れているといいます。
これを機に日本の古典を教養として知ろうという思考は、意識が高い。
つまり「意識高い&ポジティブ」です。
また、元号は日本の伝統であるから尊重すべきだという保守派の意見もここに入るでしょうか。

「意識高い&ネガティブ」は、思想的に元号に反対、もしくは使われた文字や典拠が学術的に気に入らないという意見です。論争は、意識の高い者同士の間で行われます。

意識低い者同士は、単なるケンカです。
全体からすると、意識の高い人は少数派です。
思想的なこだわりが強い人や、万葉集を読んでテレビで知る意味以上に知ろうとする人は全体からするとマイノリティです。ボリューム的には意識の低い人が多くなります。

30年前の発表が、ネタとしてのテンプレートに 令和が発表されると、TwitterなどのSNSで「ネタ化」が始まりました。
レイワという音の響きが、エリック・クラプトンの「レイラ」に似ていると、菅官房長官の映像に曲をかぶせた映像や、コラージュなどのおもしろ画像がアップされました。
また、令和をプリントしたTシャツなどのグッズがすぐに販売され、NHKの映像で令和の額に手話のワイプがかぶったのがバズり、フリー素材集「いらすとや」はすぐにイラスト化しました。

改元のチャンスは一生に何度もないので、乗っからないと損とばかりにさまざまなおもしろネタが披露されます。
この盛り上がりは、30年前当時官房長官だった小渕恵三元総理が、「平成おじさん」として有名になったことも影響しています。

30年前の発表が、ネタとしてのテンプレートとなったのです。
ネットのネタに盛り上がらなくても、新しい元号が発表されるときに純粋にワクワクした人も含めて、「意識低い&ポジティブ」に位置づけられるでしょう。
もちろん、1人の人間の中にも、意識の高い部分と低い部分があります。
思想として元号に否定的でも、こうしたワクワク感が生じたとしても不思議なことではありません。
そして、ラストは「意識低い&ネガティブ」です。

和暦(元号)が面倒くさいという意見は、かつてからありました。
昭和までは西暦と同じぐらいに使われていましたが、平成以降は西暦を使うことのほうが圧倒的に増えた印象があります。
公文書には和暦での記入が求められ、「今年平成何年だっけ?」と毎回思うものです。
「面倒くさいから要らない」は、元号に反対する最もメジャーな理由だったはずです。

しかし、日常生活で和暦を使用する頻度が少なくなり、面倒も小さくなりました。
運転免許証や銀行通帳もこのタイミングを機に西暦表記となりました(運転免許証は併記)。
保守派は元号の軽視と言いますが、そのぶん一般の人から面倒という理由で反対されることも少なくなったのです。
最大の障害となりそうな、ITのシステム変更も、1カ月猶予期間が設けられたことで、多少は緩和されそうです。
また、今回は天皇の崩御に伴う改元ではなかったのでネガティブ要因が減り、心置きなくネタ化できました。

ネタ化という“遊び”は、戦前なら許されなかったはずです。
いずれにせよ、令和という文字や発音に早く慣れ、早くも定着したのは、ネタとして盛り上がったことも一役買ったのではないでしょうか。

芸能人の不倫もネタ化で許される?
ネタ化がネガティブな要因を覆い隠してしまうケースは、ほかにもあります。
下世話な例ですが、有名人の不倫報道もその1つです。
世間から許してもらえず、いつまでも前の状態に復帰できない芸能人がいれば、笑って許されている芸能人もいます。

許されないのは、「いい人だと思っていたのに裏切られていた」という感情が強いケース、
許されるのはその話題がネタとして笑いにつながった場合です。

三遊亭円楽さんやダウンタウンの浜田雅功さんのように、芸人仲間からいじられて笑いに変わると、ネガティブなイメージは薄まります。
ユーチューバーのヒカルさんは、女性関係を『週刊文春』にさらされましたが、自身のYouTubeでネタ化することで鎮火しました。
俳優の袴田吉彦さんも、「アパ不倫」なるキャッチーなフレーズによってかえって許されたのではないでしょうか。
そもそも他人の不倫になぜ人が怒るかというと、「なんか腹が立つ」という意識の低い感情です。

本当に意識の高い人は、他人の不倫などに興味を持ちませんし、社会性のある話題ではありません。
不倫が増えている社会背景、みたいな考察はありえるでしょうが。もちろん、世間には笑って許してもらえても、当事者となる配偶者に許してもらえるかは別の問題です。

 ネタ化、ウケ狙いによってネガティブな要素がすべて許されるかというと、そう単純ではありません。
政治家の不倫、女性関係のトラブルは一般人よりも厳しく批判されますし、笑いでカバーするのは難しそうです。
さらに、度々問題視される政治家の失言は、このウケ狙いが原因となっています。
政治家の失言は、大抵が講演会など、内輪での発言です。
れが、外に漏れて批判されます。

政治家との発言として正しいか否かは、ある程度意識の高さから来る判定です。
そして、それがNGだとされると、マスコミが大きく報道し、一般の人も怒り、大臣なども辞任に追い込まれます。
毎度「なぜ、政治家の失言が後を絶たないか」と嘆かれるわけですが、政治家も人気商売の側面があり、話題をネタ化することでウケようとする習性が大本の原因といえるでしょう。

笑いをとろうとすると、どうしても、人々の意識の低い部分に合わせてしまい、不適切な表現が入ってしまうのです。
実際に、その場ではある程度ウケるんでしょうし。
また、政治家の場合も、芸能人と同じように、同じ行為・発言でも許される場合と許されない場合があります。
石原慎太郎元東京都知事や麻生太郎財務大臣などは、失言も大きな痛手には至らないのですが、これは知名度が高くキャラクターが確立されているせいでしょう。
「なんか許しちゃう」も意識低めの感情です。

新しい元号と芸能人の不倫、政治家の失言。それぞれ関係のなさそうな出来事ですが、その反応には人々の意識の高低とそれがポジティブ、ネガティブどちらに振れるかが大きく影響することをおわかりいただけたでしょうか。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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