この墜落事故に強烈なショックを受けました。
大阪で「学校体育同志会」サークルの全国大会があり 新幹線か飛行機で帰宅を考え、大阪伊丹空港からの羽田便に乗りました。
川崎の実家に帰るには 羽田から京浜急行利用が便利なこと、 価格的にも新幹線と違わない、時間的にも1時間、そしてジャンボに乗ってみたいなどがあり搭乗しました。
そのジャンボが 羽田から折り返し 大阪行き123便になって事故機になったことを知り、とっても複雑な気持ちになったことを記憶しています。
隔壁損傷が事故原因なら 大阪発 羽田便で 起こっても不思議ではなかったという思いに取りつかれ ニュースを他人事ではなく「搭乗名簿に載ったかもしれない 一人」として視聴して 「運命の残酷さ」と「生と死の境」、亡くなった方に対する負い目のような感情にとらわれました。
全国大会の分科会報告の原稿を〆切すぎても 一字も書けない位 虚脱状態に陥った「夏」でした。
亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに ご遺族の方々の心の平安を節に願います。
そんな深い関わり合いがあったんですね。
あれ以上にショッキングな事故はなかったと思います。
当日夕方、与論島から羽田に戻ってきました。
家に帰ってテレビを付けたらあの事故のニュースをやってました。
逆算すると羽田に着いた時にはそのジャンボはまだ離陸前だったと思います。
ということはその搭乗者はその時空港内でまだ生きていたわけです。
ほんのわずかな時間ですが、亡くなられた方々と空港内で同じ時を過ごしたことに不思議な縁を感じました。
知り合いの専務の方も搭乗されていました。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。
強烈なトラウマになっています。
その時から「鬱気質」が固定し始めたと感じています。
運命のイタズラ・歯車って 本人の努力ではどうしようもない、「今」の生きている時を大切にしていく、その積み重ねしかないと強く思うようになりました。
機体の欠陥ではなく 外部的なミサイル撃墜事件だという陰謀論を信じようとしていました。そうだと「犠牲者は自分だったかもしれない」という思いから解放されるからです。
ボイスレコーダーの解析で その可能性が打ち消される度に虚無感が強まりました。
慰霊登山のニュースに接するたびに 当時にタイムスリップしてしまう自分がいます。
「死」と「生」が 紙一重という思いは今も引きずっています。
そのことが 数々の局面で「生」に繋がったと感じています。
同機体への思い、空港での思いは 決して忘れられない記憶として残っていくのでしょうね。
その後の航空機搭乗時も 周りの座席の人との一期一会を大切にするようになりました。
亡くなられた方、生還された方、ご遺族の方とは思いは違うのでしょうが 大阪発羽田便に搭乗された方々の多くも「123便事故」は その後の生き方に影響を与えているのでしょう。
改めて犠牲になられた方々のご冥福を祈ります。