2019年10月05日

庶民苛めが英断なのか 悪魔の増税2度の首相を称える倒錯

庶民苛めが英断なのか
悪魔の増税2度の首相を称える倒錯
2019/10/04 日刊ゲンダイ

10%への消費税引き上げは、案の定、混乱とドタバタの出発だった。
回転ずしチェーンはレジのシステム障害で消費税が「0%」になるトラブル。
キャッシュレスのポイント還元は期待されたほど利用されず。
軽減税率の導入で価格表示が複雑化し、各地で「分かりにくい」の声が続出した。

 実質賃金が7カ月連続マイナスとなるなど景気指標は「最悪のタイミング」なのに、安倍政権は今月1日、増税を断行した。
 その直後に発表された日銀短観でも大企業製造業の景況感が6年3カ月ぶりの低水準となり、2日発表の「消費者態度指数」は12カ月連続の悪化と、消費意欲の冷え込みがクッキリである。

低所得者ほど負担が重くなる逆進性のある消費税は「悪魔の税制」なのだから当然だ。
 ただでさえ景気は底割れなのに、増税でさらに日本経済は破壊され、国民は半殺しでお先真っ暗。
これが偽らざる庶民感覚だろう。

ところが、日本のエスタブリッシュメントは「消費増税は当然」と捉え、「よくぞ増税実施にこぎつけてくれた」と、安倍政権を高く評価しているのだから頭がクラクラしてくる。
 その代表格は財界だ。経団連の中西宏明会長は、口を開くごとに消費増税の確実な実施を政府に求めてきた。

昨年10月に安倍首相が1年後の消費税引き上げを明言すると、すぐさま「歓迎する」とコメント。
毎月の定例会見でも、「10%の引き上げをしっかり行っていただきたい」(今年4月)、「消費増税は予定通り実行すべき」(同5月)と念押し。
病気療養を経て9月に復帰すると、「財源確保に向けた手段の選択肢のひとつ」と強調してみせた。

 経済同友会の桜田謙悟代表幹事に至っては、今月1日の会見で、「10%で未来永劫大丈夫と言い続けるのは危険」と、さらなる増税を促す始末である。

 同志社大大学院教授の浜矩子氏が言う。
「経団連などが無定見に安倍政権に従っているのは、政府が『強い者をより強く』『大きいものをより大きく』という方針だからで、悪代官にどこまでも付いていく越後屋のようなものです」

■「消費税を社会保障に」はきれいごと
 持続可能な社会保障制度のために必要。
将来世代に負担を先送りしない――。
政府も財界も、消費増税についてこう解説するが、きれいごとだ。

消費税は社会保障の充実のためではなく、財政赤字の穴埋めに使われているのが現実。
1990年代以降の法人税減税と所得税減税がまるごと消費税の増税分になり代わっている。
大企業・富裕層優遇が加速しただけなのである。

 そのうえ、経団連加盟のグローバル企業は「輸出戻し税」の還付金で潤う。
その額はトヨタや日産など日本を代表する製造業13社だけでも年間1兆円超(17年度)と推計される。

 要は、財界が消費増税に賛成するのは、大企業は痛まないから。苦しめられるのは中小企業と庶民なのである。

 しかし、こうした欺瞞が世間に知られるところになっても、景気減速が明確になっても、安倍政権は立ち止まることはなかった。
政界と財界に加え、軽減税率の適用を受ける大新聞を筆頭にした大メディアがグルになって同じ方向へ突っ走るから、「増税は当然」になってしまうのだ。

 著名エコノミストが新聞コラムで、経済における安倍の2つの功績として、「戦後最長の景気拡大期間」と「消費税を2度も上げたこと」を挙げ、次のように書いていた。
<日本の人口減少が始まったばかりのこの時期に、2つとも価値あることであったと後世の人々は評価することだろう>
 安倍政権の7年弱で消費増税は2度実施された。
14年4月の5%から8%への引き上げと今回だが、エコノミストが「2度も」と強調するのは、消費増税は歴代首相にとって“鬼門”の政策だからだ。

1989年4月に3%の消費税を導入した竹下登内閣はその2カ月後に退陣、97年4月に3%から5%に引き上げた橋本龍太郎内閣も景気悪化の影響で翌98年の参院選で敗北し、退陣している。

増税で内閣が吹っ飛んできたのに、安倍は2度も乗り切った。
それを称えているのだが、庶民生活を犠牲にする税制など正しいわけがない。
この倒錯した感覚。
「上級国民/下級国民」という新書がベストセラーになるわけである。

非常識が日常になると常識に変わる恐ろしさ
 安倍政権が悪政の旗を振り、経済界がそれを後押しし、その発言を大マスコミが垂れ流す。
こうして、3者が一体化したこの国では、いまや“お上の理屈”こそが正義になってしまっている。
それは消費増税に限らない。

 沖縄県の米軍普天間基地の辺野古移設なんて、2度の知事選に県民投票、国政選挙と、何度も繰り返し「NO」の民意が示されているのに、政権は意に介さず、新基地建設を強行する。
「辺野古移設が唯一の解決策」と念仏を唱えながら、既成事実化を進めていく。

 かつて96年に、橋本が普天間返還に動いたのは、米海兵隊員による少女暴行事件を契機に沸騰した、県民の怒りの民意に突き動かされたからだった。
当時のクリントン米大統領に返還を要請、日米で合意に至った経緯がある。

 今夏訪米して国務省と国防総省の日本部の副部長を訪ねた沖縄選出の屋良朝博衆院議員が、本紙のインタビュー(9月20日付)で<沖縄への基地集中は米国の意向なのかと聞いたところ、「日米が協議して決めています」という回答でした>と明かしたが、安倍政権は沖縄の民意を受けて米国と協議できるのに、それをしない。
そこに民主主義はない。

 原発再稼働だってそうだ。
世論調査ではいまも国民の過半数が再稼働に反対しているのに、安倍政権は原発推進の旗を降ろすことはない。
マトモな政権なら民意を無視したりしないが、安倍はへっちゃら。
そんな政権をなぜか国民は受け入れる。
だからおそらく、福島原発の汚染水も海に流せば世論は容認するのだろう。

 政治評論家の森田実氏がこう話す。
「橋本首相には、日本国民の声に耳を傾けなければならない、という民主主義国家の総理大臣たる自覚があった。
そこが安倍首相との違いです。
安倍首相は全てを力ずくで押し通す。
問題は、それが長く続き過ぎると、国民の感覚が麻痺してしまうことです。
『人間は従順な動物である。どんなことにも慣れてしまう存在である』というドストエフスキーの名言がありますが、強引な人間が権力者として君臨しているうちに、国民は抵抗力を弱め、とんでもない状況にもかかわらず、慣れてしまう。
加えて、マスコミが権力の手先に変質してしまったことも大きな原因ではあります

■洗脳、扇動、誘発を見抜く力が必要
 非常識でもそれが日常になれば、常識になってしまう。
おかしなことでも、おかしいと指摘しなければ、当たり前になる。
政権のイヌに落ちた大マスコミが無批判だから、庶民も感化され、悪政を許容してしまう。
そうして民主主義は形骸化する。

 その末期症状がいまの日本の姿である。
民主主義を装いながら、民衆をいかに叩き潰すかが権力者の歴史だが、いまの安倍政権ほど露骨で恥じない政権はないのではないか。

 前出の浜矩子氏はこう言う。
「まさに『戦後レジームからの脱却』を目指し、国民の目も耳も体も全てを一方向に向かわせる1億総動員作戦が展開されていると考えた方がいい。
消費増税にともなうキャッシュレス化の進展、会社と雇用関係を結ばないフリーランスの一般化、副業や兼業をしなければ満足な収入を得られない社会などもそうです。
そうした風潮が醸成されていく中で、政府が行うことは何でも『当たり前』になっていく。

国民は洗脳、扇動、誘発を見抜く力を養わねばなりません。
そこには、パイプラインのようにただ二者をつなぐだけのメディアではなく、ジャーナリズムの復活が必要なのですけどね」

 もはや末期症状のこの国で、我を保ち続けるのは困難になってきているが、それでものみ込まれたらオシマイだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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