既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方
若き天才経済学者が「ラディカル」に提言
2019/12/20 東洋経済オンライン
安田 洋祐 : 経済学者
21世紀を生きる私たちには3つの課題がある。
富裕層による富の独占、
膠着した民主主義、
巨大企業によるデータ搾取だ。
この難問に独自の解決策を見いだそうとする野心的な理論書が刊行された。
気鋭の経済学者として名を馳せるグレン・ワイル氏を共著者とする『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』だ。
プリンストン大学留学時にワイル氏とも接点があり、今回、本書の監訳を担当した大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐氏による「日本語版解説」を、一部加筆・編集してお届けする。
学部生ながら大学院生に教えた「天才経済学者」
本書の執筆者の一人であるグレン・ワイル氏は、筆者のプリンストン大学留学時代のオフィスメートである。
と言っても、当時の私は大学院生で彼はまだ学部生。
ワイル氏は学部生でありながら大学院の難解な講義を楽々と突破し、さらには大学院生たちを(ティーチング・アシスタントとして)教える、スーパーな学部生だった。
すでに大学院生用の研究スペースまでもらい、ハイレベルな学術論文を何本も完成させていた彼は、プリンストン大学を首席で卒業したあと、そのまま同大学の大学院に進学。
平均で5、6年はかかる経済学の博士号(Ph.D.)を、驚くべきことにたった1年でゲットしてしまう。
この規格外の短期取得は経済学界でも大きな話題となり、「若き天才経済学者登場」「将来のノーベル賞候補」、といった噂が駆け巡った。
そんな若き俊英が、はじめて世に送り出した著作が本書『ラディカル・マーケット』である。
今回、記念すべきこの本を監訳することができて、イチ友人として、またイチ経済学者として、とても光栄に思う。
「ラディカル」(Radical)という単語は、「過激な・急進的な」という意味と「根本的な・徹底的な」という意味の、2通りで用いられる。
本書『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』は、まさに両方のラディカルさを体現した「過激かつ根本的な市場改革の書」である。
E・グレン・ワイル/マイクロソフト首席研究員で、イェール大学における経済学と法学の客員上級研究員。
ボストン在住。
市場が他の制度――たとえば中央集権的な計画経済――と比べて特に優れているのは、境遇が異なる多様な人々の好みや思惑が交錯するこの複雑な社会において、うまく競争を促すことができる点である。
市場はその存在自体がただちに善というわけではなく、あくまで良質な競争をもたらすという機能を果たしてこそ評価されるべきだ。
もしもその機能が果たされていないのであれば、市場のルールを作り替える必要がある。
今までのルールを前提に市場を礼賛する(=市場原理主義)のではなく、損なわれた市場の機能を回復するために、過激で根本的なルール改革を目指さなければならない(=市場急進主義)。
本書の立場は、このように整理できるだろう。
現代世界が直面する問題とその解決策
では、著者たちが提案する過激な改革とは、いったいどのようなものなのか?
本論にあたる第1章から第5章までの各章で、私有財産、投票制度、移民管理、企業統治、データ所有について、現状および現行制度の問題点がそれぞれ整理され、著者たちの独創的な代替案が提示されている。
どの章もそれだけで1冊の専門書になってもおかしくないくらい内容が濃く、驚かれた読者も多いに違いない。
第3章から第5章では、世界が現在進行形で抱える深刻な社会・経済問題に対する処方箋が示されており、移民、ガバナンス、データ独占などの現代的な問題に関心のある方は必読だ。
本書の中心となる第1章と第2章は、資本主義および民主主義の大前提を揺るがし、思考の大転換を迫るようなラディカルな提案を読者へと突きつける。
たとえば、第2章「ラディカル・デモクラシー」では、民主主義の大原則である1人1票というルールに改革のメスが入る。
具体的には、ボイスクレジットという(仮想的な)予算を各有権者に与えたうえで、それを使って票を買うことを許すという提案だ。
これによって、有権者は自分にとってより重要な問題により多くの票を投票することができるようになる。
その際に、1票なら1クレジット、2票なら4クレジット、3票なら9クレジット……という具合に、票数の2乗分のボイスクレジットを支払う仕組みを著者たちは提唱し、「二次の投票」(QV)と名付けている。
ここで登場する「2乗する」というルールは、単なる著者たちの思い付き、というわけではもちろんない。
現在までに購入した票数と追加的に1票を買い足すために必要なボイスクレジットが比例的な関係になる、という二次関数の性質がカギを握っているのだ。
そのうえで著者たちは、一定の条件の下で、QVによって公共財の最適供給が実現できることを示している。
独創的なアイデアをきちんと先端研究によって補完する、という組み合わせは他の章にも通底する本書の大きな魅力である。
さて、ここからは第1章「財産は独占である」の中身と、その評価について述べたい。
本書の中でも最もラディカルなこの章で著者たちが改革の矛先を向けるのは、財産の私的所有に関するルールである。
私有財産は本質的に独占的であるため廃止されるべきだ、と彼らは主張する。
言うまでもなく、財産権や所有権は資本主義を根本から支える制度のひとつだ。
財産を排他的に使用する権利が所有者に認められているからこそ、売買や交換を通じた幅広い取引が可能になる。
所有者が変わることによって、財産はより低い評価額の持ち主からより高い評価額の買い手へと渡っていくだろう(配分効率性)。
さらに、財産を使って得られる利益が所有者のものになるからこそ、財産を有効活用するインセンティブも生まれる(投資効率性)。
私有財産制度がもたらす問題
著者たちは、現状の私有財産制度は、投資効率性においては優れているものの配分効率性を大きく損なう仕組みであると警告している。
私的所有を認められた所有者は、その財産を「使用する権利」だけでなく、他者による所有を「排除する権利」まで持つため、独占者のように振る舞ってしまうからだ。
この「独占問題」によって、経済的な価値を高めるような所有権の移転が阻まれてしまう危険性があるという。
一部の地主が土地を手放さない、あるいは売却価格をつり上げようとすることによって、区画整理が必要な新たな事業計画が一向に進まない、といった事態を想定するとわかりやすいだろう。
代案として著者たちが提案するのは、「共同所有自己申告税」(COST)という独創的な課税制度だ。
COSTは、
1.資産評価額の自己申告、
2.自己申告額に基づく資産課税、
3.財産の共同所有、という3つの要素からなる。
具体的には、次のような仕組みとなっている。
1. 現在保有している財産の価格を自ら決める。
2. その価格に対して一定の税率分を課税する。
3. より高い価格の買い手が現れた場合には、
3─i. 1の金額が現在の所有者に対して支払われ、
3─A. その買い手へと所有権が自動的に移転する。
仮に税率が10%だった場合に、COSTがどう機能するのかを想像してみよう。
あなたが現在所有している土地の価格を1000万円と申告すると、毎年政府に支払う税金はその10%の100万円となる。
申告額は自分で決めることができるので、たとえば価格を800万円に引き下げれば、税金は2割も安い80万円で済む。
こう考えて、土地の評価額を過小申告したくなるかもしれない。
しかし、もし800万円よりも高い価格を付ける買い手が現れた場合には、土地を手放さなければならない点に注意が必要だ。 しかもその際に受け取ることができるのは、自分自身が設定した金額、つまり800万円にすぎない。
あなたの本当の土地評価額が1000万円だったとすると、差し引き200万円も損をしてしまうのである。
このように、COSTにおいて自己申告額を下げると納税額を減らすことができる一方で、望まない売却を強いられるリスクが増える。
このトレードオフによって、財産の所有者に正しい評価額を自己申告するようなインセンティブが芽生える、というのがCOSTの肝である。
現代によみがえるジョージ主義やハーバーガー税
実は、COSTのような仕組みの発想自体は、著者たちのオリジナルというわけではない。
シカゴ大学の経済学者アーノルド・ハーバーガーが、固定資産税の新たな徴税法として同様の税制を1960年代に提唱しており、彼の名前をとって「ハーバーガー税」とも呼ばれている。
またその源流は、19世紀のアメリカの政治経済学者ヘンリー・ジョージの土地税にまで遡ることができる。
ただし、適切に設計されCOSTを通じて、所有者にきちんと正直申告のインセンティブを与えることができることや、配分効率性の改善がそれによって損なわれる投資効率性と比べて十分に大きいことなどを示している点は、著者たち(特にグレン・ワイル氏と、別論文での彼の共同研究者)の大きな貢献だ。
整理すると、大胆な構想と洗練された最先端の学術研究によって、本書はジョージ主義やハーバーガー税を現代によみがえらせ、土地をはじめとするさまざまな財産に共同所有への道筋を切り拓いた、といえる。
財産の私的所有は、確かに著者たちが主張するように「独占問題」を引き起こし、現在の所有者よりも高い金額でこの財産を評価する潜在的な買い手に所有権が移転しにくくなる、という配分の非効率性を引き起こす。
ただし、この非効率性は悪い面ばかりとは限らないのではないだろうか。
非効率性の正の側面として、3つの可能性に思い至ったので書き留めておきたい。
1つ目は、予算制約である。
ある所有者にとって非常に価値がある財産であっても、租税に必要な現金が足りず、高い金額を申告することができないような状況が当てはまる。
私有財産が認められていれば、手元に現金がなくても大切な財産を守ることができるが、COSTはこの「守る権利」を所有者から奪ってしまう。
経済格差の解消が大幅に進まない限り、この種の「不幸な売却」をなくすことは難しいのではないだろうか。
2つ目は、生産財市場の独占化だ。
いま、2つの企業が同じビジネスを行っており、事業継続のためにはお互いが所有している財産――たとえば事業免許――が欠かせないとしよう。
ここで、ライバルの免許を獲得すれば自社による一社独占が実現できるため、高い金額で相手の免許を買い占めるインセンティブが生じる。
免許の所有権がCOSTを通じて円滑に移転することによって財産市場の独占問題は解消されるものの、その財産を必要とする生産財市場において独占化が進んでしまう危険性があるのだ。
3つ目は単純で思考コストが挙げられる。
COSTにおいて申告額をいくらに設定すれば最適なのかは、税率だけでなく、自分の財産に対する他人の購買意欲に左右される。
需要が大きければ価格を上げ、小さければ下げるのが所有者にとっては望ましい。
つまり、市場の動向をつぶさに観察して、戦略的・合理的な計算をする必要があるのだ。
こうした調査や分析は、市井の人々に大きな負担を強いるかもしれない。
「スタグネクオリティ」を解決する卓越したアイデア 最後に、COSTや本書全体に対する監訳者の評価を述べておきたい。
現在の資本主義が抱える問題として特に深刻なのは、経済成長の鈍化と格差の拡大が同時並行で起きていることだろう。
著者たちが「スタグネクオリティ」と呼ぶ問題である。
こうした中で、一部の富裕層に過剰なまでに富が集中する経済格差の問題を見過ごせない、と考える経済学者も増えてきた。 ただし、著者たちのように、私有財産という資本主義のルールそのものに疑いの目を向ける主流派経済学者はまだほとんどいない。
ポピュリズムや反知性主義が世界中で台頭する中で、専門家として経済の仕組みを根本から考え抜き、しかも過激な具体案を提示した著者たちの知性と勇気を何よりも称えたい。
COSTを幅広い財産に適用していくのは、少なくとも短期的には難しいかもしれない。
しかし、補完的なルールをうまく組み合わせて、前述したような問題点にうまく対処していけば、実現可能な領域は十分に見つかると期待している。
ポズナー氏とワイル氏の卓越したアイデアをさらに現実的なものとするためにも、本書が多くの読者に恵まれることを願っている。
さぁ、ラディカルにいこう!