小だぬき
紹介するドラマ批評は、優れていると思います。
ですが、何かドラマに違和感を感じ 2度視聴してみて その正体がつかめました。
もう40年以上前に法学部で学習した「刑法」「刑事訴訟法」の法解釈、「警察官職務執行法」の運用の問題点について、このドラマは無関心であったということです。
「推定無罪の原則」
「職務質問」「取り調べ」の扱いについて その弱点がもろにでていました。
職務質問、取り調べのテクニックは、描かれているのですが、前提となる不審者、被疑者になるまでへの人権の考慮が触れられていないのです。
証拠に基づかない限り 本来逮捕は請求できないし許されない。
自白偏重では 冤罪や不当逮捕・誤認逮捕の温床になる。
職務質問も される側に拒否権があり ドラマのように警察官のテクニックでは冤罪を生む誤りをおかしかねない。
どのような場面や状況なら「職務質問が許されるのか」が 前提として示されなければならない。
私の世代の学生運動鎮圧の手段として多用された「転び公妨」(警察官が自ら転び、公務執行妨害で逮捕する)の時代に戻ったのか それに近いことを「警察学校」は 教育しているのかと 人権軽視の批判がおきかねない描き方でした。
「任用試験と学校の教育」
建前をいうようですが、警察官の採用にあたっては、試験合格後に厳しい信条・素行調査をした上で 採用者が選別されるハズです。
本来ならこの時点で適性が見極められなければならない。
公務員試験は、採用候補者名簿登載試験で 名簿登載=採用ではないからです。
そうであれば 学校の役割は 採用された候補者を 育てることに重点がおかれるハズで ドラマのように振るいにかけ途中退職者がでることを正当化しては 警察官として希望を持って入校する者への背信行為ではないか。
体力的な問題での自主退職、犯罪非行での退校処分は、容認されても 「退職届」をつきつけての教育は より成長するための手段としてでも許される教育だろうか??
神奈川県民として 治安を守る警察官に感謝しつつ、警察学校教育への誤解を生みかねない描写には 慎重であって欲しい。
ただでさえ 防犯カメラなどの普及でプライバシーが脅かされる恐れと背中合わせの今、
警察描写は 警察の腐敗や警察官犯罪があっても 大多数のノンキャリア警察官は 懸命に治安を守る最前線にいるということを忘れずに 彼ら彼女らを励ますものであって欲しい。
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木村拓哉は『教場』で「ヒーロー・キムタク」を葬れたかも
2020.01.08 NEWSポストセブン
木村拓哉は日本においてその作品動向が最も注目される俳優のひとりであると同時に、常に失敗が許されない立場を求められる。
ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。
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年末、電車の中でもテレビ画面でも、妙に頬がこけ白髪で濃いサングラス姿の中年男性の不気味な顔が目に飛び込んできた。
これがキムタク?
警察学校の鬼教官をキムタクが演じるという衝撃的なSPドラマ『教場』(フジテレビ系)の番宣でした。
年末年始といえばまさに「キムタク祭り」の様相で、天才シェフ・尾花夏樹役が話題となったドラマ『グランメゾン東京』(TBS系)は29日の最終回の視聴率が16.4%。
まずは成功と言える着地ぶりで、続編を期待する声も聞かれました。
続けて、年が開けると3日に映画『マスカレード・ホテル』の地上波放送。
フジテレビとしてはその勢いを保ったまま、視聴者に『教場』へとなだれこんで来てほしい、という願望ありあり。
そんな「キムタク祭り」の作戦にのって騒ぐのには多少抵抗感があった人もいたはずです。
という状況下、1月4日、5日2夜連続で放送されたスペシャルドラマ『教場』。
木村さんは適正の無い人間を容赦なくふるい落とす鬼教官・風間公親として、異形の風貌で登場してきました。
案の定、登場してしばらくの間は、何とも居心地の悪い浮遊感が漂っていた。
「鬼」と呼ぶにはドス黒い迫力が欠けている印象か。
セリフにキムタク節の抑揚やクセもちらり感じられたりして、鬼教官よりも「木村拓哉」が前面に出てくるのかどうか、視聴者としてはとまどいつつ見ていました。
しかし。物語が展開していくにつれて、「鬼教官」としてのキャラクターがしっかりと立ち上がってきたのです。
静かで落ち着きのある怖さ、何を考えているのかわからない不気味さ、メガネの奥にのぞく瞳の不自然さ、ピクリとも動かない顔の筋肉。鬼教官・風間の暗さと凄まじい集中力とが、見ている人をぐいぐいと惹き付けて最後まで離しませんでした。
もうこの人を、「キムタク」とか軽々しく呼んではいけないのかもしれない。
「何をやってもキムタク」という言葉を封印すべき時がきたのかと感じさせるほど、役者としての決意が伝わってきたのです。
世の中、ファンと同じくらい突っ込みを入れようと待ち受けている辛口視聴者がたくさんいます。
そうした人々を前にして、演技で説得しねじ伏せるのは、並大抵のことではない。
その意味で正統派役者・木村拓哉の誕生の夜、だったのではないでしょうか。
もう一つ、このドラマで指摘したいのは役者陣の素晴らしさでした。
警察官になる夢を叶えるべく入校してきた生徒たち──宮坂定に工藤阿須加、落ちこぼれの平田和道に林遣都、元インテリアコーディネーター楠本しのぶに大島優子、自信過剰な菱沼羽津希を川口春奈、仲間と馴染まない都築耀太を味方良介。
一人一人が役者として人物を造形する力を発揮し、目の前にいる「木村拓哉」の重さに動じず、同じ比重で立ち向かっていこうとする姿勢が印象的でした。
例えば工藤さん演じる宮坂が、風間教官を前に一対一で「補習」されるシーン。
教官の指示に素早く反応し、警察官としての所作を一つ一つこなしていく。
敬礼をする。
手錠を出す。的確にぴたりと動作をし、また元に収める。
二人は演技でしっかりと対峙し、拮抗しているように見えました。
これまで多くの場合、ヒーローとしての役を固定され、結果としてヨイショされてきた木村さん。
本人が望むか望まないかに関わらず、一人だけ高い位置に立つ構造も多かった。
しかし、このドラマは役者たちの頑張りもあって、水平的な位置取りで鬼教官と生徒が向かい合った。他の役者と水平的な関係になった時、「木村拓哉」はまた違う味わいを見せることができる。
それがはっきり伝わってきたのです。
その意味で、このドラマは「ヒーローとしてのキムタク」を葬ることができた作品かもしれません。
唯一、残念だった点があります。
それは、短い時間の中にいろいろと多彩な生徒たちのエピソードを凝縮して詰め込みすぎた点。
これならスペシャルではなくて、むしろ連続ドラマで見たかった。
学校という場所の特徴は多くの生徒がいること。
だから、一人一人育った環境、抱えている問題も違い各人の個性から家庭、過去までをバリエーション豊かに描き出すことが可能です。
今回の役者たちが優れていた分、一人一人の人間性をもっと味わいたかった……と感じさせるくらい、『教場』は興味深い仕上がりだった、ということでしょう。
気になるのは最後にさらっと映ったシーン。
風間が次に担当する教室の中に、なぜか佐久間結衣、上白石萌歌、伊藤健太郎、三浦貴大らが座っていた。
ということはすでに続編が仕込まれている兆しなのか。
制作陣の手の内に、まんまとはめられてしまうのもまた、ドラマ好きの至福かもしれません。
いいですね!!
ありがとうございます。
何をしても「かわい〜い」と見えるので キャンディは得してますね。