日本人が「お上の要請」に真面目に従う根本意識
統治客体意識からの脱却は20年以上叫ばれたが
2020/04/28 東洋経済オンライン
青沼 陽一郎 : 作家・ジャーナリスト
新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本全国に「緊急事態宣言」が発令され、国民には外出の自粛、特定の業種には営業の自粛が要請された。
ところが、休日になると湘南の海に人が殺到。
慌てた自治体は、地元の駐車場を閉鎖して、県知事が「神奈川には来ないで」と会見で訴えた。
休業要請に応じず営業を続けていたパチンコ店に、大阪府知事は全国で初めて店舗名を公表して、法に基づくより強い要請を出した。
人との接触を最低7割、極力8割削減することを呼びかけた政府は、その目標に近づけようと、経済団体はじめ、あちらこちらに、とにかく「要請」を出し続ける。
夜の東京の繁華街には警察官や都の職員らがまわって、帰宅の呼びかけや営業中の飲食店の閉店を求めている。
是が非でも「自粛要請」を徹底しようと、行政側はあの手この手を尽くす。
なぜ、ロックダウン(都市封鎖)をしないのか――。
欧米諸国のように、市民の外出禁止を伴うロックダウンを実施してしまったほうが、早くて効率的ではないのかと考える読者の方もいるだろう。
しかし、日本にはそうできる法的根拠はない。
日本の統治機構の歴史を考えてみる
「緊急事態宣言」の根拠となった改正新型インフルエンザ等対策特別措置法には、国民の外出自粛の要請、施設や事業の営業の自粛要請ができるが、そこに罰則規定はない。
あくまで行政から国民への「要請」なのだ。
そこには、日本の統治機構の歴史に染み込んだ国民性が根本にある。
そもそも、国民に外出禁止や営業停止を強いることは、私権を奪うことである。
強制や強要となれば、戦争に突き進んだ過去の苦い経験が、重くのしかかる。
戦後に制定された日本国憲法とも齟齬が生じかねない。
それが歯止めとなって、罰則のない国民への「自粛」と「要請」で「緊急事態」を乗り切ろうという日本独自の姿勢を貫いている。
そう考えると、強制力行使への抵抗から、法律に「要請」しか盛り込まなかった理由もわかりやすい。
だが、それだけだろうか?
むしろ、「要請」でも日本人は真面目に従うという、日本の歴史に裏打ちされた統治機構側の無意識が働いていたというべきだろう。
いまから20年前のいわゆる「小泉構造改革」を思い出してほしい。
郵政民営化など、小泉純一郎内閣が取り組んだ政策課題だ。
もっと言えば、新自由主義への転換を目指したものだった。
その一連の構造改革の流れは、もっと前の橋本龍太郎内閣の時代からはじまっていた。
折しも、終戦から50年が過ぎ、バブル崩壊の余波が押し寄せてきていた時期だ。
その最初は、行政改革だった。
1996年11月、当時の橋本首相を会長とする「行政改革会議」が立ち上がり、翌97年12月には「最終報告」が取りまとめられた。
そこでは、当時の日本は、第1に黒船来航にはじまる明治維新、第2に1920年代の世界恐慌と軍部の台頭から戦争、第3に敗戦と米軍の駐留、戦後復興に次ぐ、第4の転換期にあると位置づける。
そして冒頭において、行政改革の趣旨としてこう記載されている。
われわれの取り組むべき行政改革は、もはや局部的改革にとどまり得ず、日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へと転換することに結び付くものでなければならない。(「行政改革会議」最終報告「はじめに」より)
ここに登場する「日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質」という言葉。
すなわち、国がなんでもやってくれるというまさに国家への依存体質であって、国民は統治される側の客体であるという意識が色濃く残っていたことを指している。
事前規制型行政の弊害
この「行政改革会議」を経て、1998年1月に、政府内に総理大臣を本部長とする「行政改革推進本部」が設置され、その下に「規制緩和委員会」が立ち上がる。これは翌1999年4月には「規制改革委員会」に名称を変更し、さらに組織が強化される。 小淵恵三首相に代わった1998年8月には、内閣の諮問機関「経済戦略会議」が組織される。
バブル崩壊後のどん底の状態にあった日本経済の建て直しが急務となった
この会議では、発足からわずか半年後の翌年2月に「日本経済再生への戦略(経済戦略会議答申)」が提出されている。
これらの諮問機関の審議の中で、「事前規制(調整)型」の行政(すなわち、事前にあれやこれやと規制をかけつつ、全体を調整しながら、企業や国民を守って戦後成長を支えた行政姿勢)から、規制を撤廃して自由競争を促進させる「事後チェック型」の行政への転換が求められるようになり、そこで「小さな政府」という言葉が用いられて、米英型の新自由主義社会こそが、日本経済再生の道であると方向づけられていく。
ここでは、自由競争社会で事後チェックと救済の機能を果たすものが、司法であるとされた。
そこで次に司法制度改革が求められた。
2001年6月、「司法制度審議会」が当時の小泉純一郎首相に「司法制度改革審議会意見書 ―21世紀の日本を支える司法制度―」と題する報告書を提出している。
ここで、裁判員制度の導入も提言された。
その中に「改革の基本理念」として、行政改革からはじまる一連の構造改革を以下のように統括するところからはじまっている。
このような諸改革は、国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするものである。
統治者(お上)としての政府観から脱して、国民自らが統治に重い責任を負い、そうした国民に応える政府への転換である。(報告書「T 今般の司法制度改革の基本理念と方向 〜 第1 21世紀の我が国社会の姿」より)
ここではっきり「お上」という言葉が記載されているように、国民の統治客体意識とは「お上」に支配されているという江戸時代から染み込んだ国民意識に他ならない。
「お上」が平民を守ってくださる、その代わり「お上」から言いつけられたことは絶対である、という統治される側の常識。
お上の要請に従う者と従わない者
それが現在の「緊急事態宣言」の状況下におかれても国民への「要請」を立て前とするのは、この統治客体意識、すなわち「お上」意識によって立つところにある。
お上のいうことは絶対であるという無意識のうえに、行政側が、「お上」のいうことだから聞いてくれるよね、とする「要請」の正体。
実際に真面目な日本人はそれに従う。
むしろ、そのほうが多いことは現状を見ての通りだ。
だが、それに従わない者も出てくる。
新型インフルエンザ等対策特別措置法では、「協力要請」からはじまって、「要請」「指示」へと自治体は厳しくしていくことができる。
最初の段階で営業自粛に従わない場合には、「お上」は店名を公表するなどして、ギリギリと締め上げていく。
統治客体意識の訣別を目指した20年前の構造改革とはなんだったのか。
そう疑問になるような、国民の「お上」意識に依存して、この難局を乗り切ろうとしている。
だが、それもいずれは「指示」に変わってしまう。
罰則はないとはいえ、それに代わる合法的措置も検討されるはずだ。
「お上」の仕返しが待つとすれば、その効果はてきめんだ。
それでも、あくまで法的には「要請」なのだ。
その真意は国民が察しなければならない。
しかも「要請」であり「自粛」であるとすると、国がその損失分を補償する必要もない。
東京都は営業自粛に応じた事業者に協力金を支給することをいち早く表明し、他の自治体もこれにならう方向だが、この「緊急事態宣言」が長引けば、それでいつまでも耐えられない。
もっとも、事後チェック型の社会であれば、あとで補償を求めて国や自治体などを提訴すればよい。
その為に構造改革があったはずだ。
すでに訴訟社会のアメリカでは、ミズーリ州が新型コロナウイルスを蔓延させた元凶として、中国政府に対し、賠償を求める訴えを起こしている。
一方で、裁判沙汰を嫌い「お上」に楯突くことを嫌う日本人に、「お上」を訴えることができるだろうか。
できないのなら、そこは真面目に「要請」に従うしかない。