「緊急事態宣言」の延長は本当に正しかったのか
新型コロナウイルス政策をめぐる3つの疑問
2020/05/07 東洋経済オンライン
小幡 績 : 慶應義塾大学大学院准教授
緊急事態宣言が延長されたばかりのタイミングなので、ここは改めてじっくりこれまでの新型コロナウイルス対策の政策に関して、少し「外野的な議論」をしてみたい。
政策の是非は問わず、どのような立場にも立たず、純粋に議論することは有益だと思う。
そこで今回はコロナ対策の政策の議論を観察してきた中で、私が素朴に疑問に思っていることを、五月雨式に書いてみたい。私自身結論のないものを、あえてここで3つ取り上げてみたいとおもう。
いまさらだが、そもそも「行動変容」って何だ?
まず1つ目。
行動経済学者の私にとって、一番不思議なのは「行動変容」という言葉だ。
緊急事態宣言を延長するかどうか議論するときにも、「行動変容」が十分に起きているか、8割削減が達成されているか、というフレーズが何度も繰り返される。
しかし、そもそも「行動変容」って何だ?
これほど多用されているのに、政府が直接説明したのを記者会見の報道では見たことがないし、新聞などでもワード解説みたいなものは目にしない。
さらに疑問なのは「本当にみんなわかっているのか?」
「わかって使っているのか?」という点だ。 「いまさら何を言っているんだ。
『行動が変わること』だよ。それ以外あるのか?」と言われるかもしれない。
しかし、どういう行動の変化を指すのか?
たとえば、馬券が当たったから、いつも食べているカツ丼の並を上に変えるということか?
あるいは、うちの息子に彼女ができて、急におしゃれになったとか?
毎日風呂に入るようになったとか?
カネが必要だからバイトを始めたとか?
行動経済学の範囲に入るのかもしれないが、その他の学問などいろいろな分野でも使われているようだ。
おおむね、学習の心理学から出てきた概念で、「経験によって生じる比較的永続的な行動の変化」ということのようだ。
また、医療保健の分野では、人間の行動が変わるときにはいつくかのステージを経て変化するという「行動変容ステージモデル」というものが使われているらしい。
禁煙の研究などで生まれたようだ。
たとえば、厚生労働省のサイトでは「人が行動(生活習慣)を変える場合は、「無関心期」→「関心期」→「準備期」→「実行期」→「維持期」の5つのステージを通ると考えます」と説明されている。
これをコロナ感染拡大防止の点で考えると、行動変容とは、外出を自粛してステイホームを徹底するとか、三密を避けるとか、マスクを必ずするとか、手洗いは欠かさないとか、そういうことであろうか?
それともパチンコ屋に行くのをやめる、夜、飲むお店に行くのをやめるということか?
そうであるし、そうではないとも言える。
行動変容とは「永続的に変わる行動変化」のこと
つまり、単純なことだが、大まかに言って行動変化には2通りあり、
1つは制約条件が課されたために行動が変化した場合。
もう1つは、行動する人間の行動原理が何らかの理由で変わった場合だ。
前述のように、行動変容というのは、永続的に変わることだから、後者のことを指す。
前者の行動変化は意味がない。
なぜなら、制約条件が外れれば行動は元に戻るわけだから、行動原理はまったく変わっていないからだ。
馬券が当たってカツ丼を上に変えても、明日からは並に戻る。
息子も彼女に振られれば、ファッションのことは忘れ、バイトも止める。
これらは意味がない。
では風呂はどうか?
もし風呂に入る習慣ができて、彼女と別れても毎日風呂に入るようになったらどうか?
これは行動原理が変わるというよりは、風呂に入るということの価値に気づいたことによって、これまでの行動を決定するときの行動の選択肢に関する価値評価が変化することであり、「行動変容」である。
さて、緊急事態宣言を続けると「行動変容」が起きる、というのはどういうことか?
マスクをしなかった人たちがマスクを嫌がらずに必ずするようになる。
頻繁に手を洗うようになり、外出先でも食事の前には必ず手を洗うようになる。
満員電車はコロナがあろうがなかろうが、インフルエンザにもただの風邪にも良くないから、避けようとするようになる。
企業は、テレワークのほうが効率的な部分もあるから、今後永続的にテレワークの割合を増やす。
夜の店の濃厚接触というのはいろんな感染リスクがあるから、もともと必需でもないからこれを機会に通うのを止める。
こういうことが起これば、「行動変容」であろう。
一方「今はステイホームがんばろう」「緊急事態宣言が外れた、よし、外出しまくろう」「ライブに行こう」「みんなでパーティやろう」。
これでは「行動変容」は起きていないことになる。
この観点で見ると、緊急事態宣言、とりわけその延長というのは「行動変容」に関して、どのような意味があるのだろうか?
「マスクをするようになる」。
これは日本ではもともと確立していた習慣だから、効果はない。
欧米には大きな効果があっただろう。
マスクをしなければ外出できないのであれば、嫌がらずにマスクをしよう。
欧米の人々はこれまでほとんど手を洗わなかったから、手を洗う習慣ができる、トイレに石鹸が置いていなかったのが置いてあるようになった、それを使う習慣ができた、ということで欧米には絶大な効果があったはずだ。
「緊急事態宣言延長」は「行動変容」に対して効果なし?
一方、日本ではほとんどない。
そんなことは分かっているし、多くの人がしていた。
「満員電車を避ける」「テレワークが進む」。
これらは大きな効果があっただろう(と期待したい)。
ただ、延長してもしなくても関係なかったかもしれない。
要は企業側次第だが、延長してもしなくても、しないところはしないだろうから、延長の意味はないだろう。
そして、パーティなどは、延長は逆効果ではないか。
延長で不満が溜まる。
規制が外れたらとことん遊んでやる、騒いでやるという気持ちが、ストレスの高まりとともに、限界値を越えて高まったのではないか。
夜の店に通うのはどうか。
パチンコはどうか。
一種の中毒だとすると、規制が外れればとたんに押し寄せるだろう。
この意味でも、緊急事態宣言はその期間だけ押しとどめているだけだから「行動変容」にはつながらず、意味はないだろう。
もともと、「行動変容」は、タバコ中毒、アルコール中毒に対して、それを脱却するために不可逆的な行動の変化をもたらすために、ある程度の期間が必要で、その期間において前述の5つのステージを経てようやく実現する、というものだ。
肥満対策として、運動習慣、食習慣を変えさせるというのが、今回のコロナ対策における「行動変容」としては近いだろう。 あらゆる意味で、少なくとも「行動変容」に対して、緊急事態宣言の延長というのは効果がない、あるいは逆効果なのではないか。
「行動変容」にも関係するが、2つ目の大きな疑問は、「8割」「8割」とノイローゼになるぐらい繰り返されるお説教である。
第1に、8割というのは人出なのか、接触なのか?という疑問である。
これは、安田洋祐氏なども指摘しているが、当初は、人出を8割減らせというように、政府側も言っていたようであるが、あるときから、接触率を8割減らせ、という風に変わった。
もし接触率8割でよいなら、人出は8割減らす必要はない。
10人同士で接触するのが10×10=100だったのが、2人になれば2×2=4で、8割の人出削減だと接触は96%減るからだ。
第2に、私の反論は、4月17日配信の記事「接触機会8割削減策がズレていると考えるワケ」でも述べたように、接触の質にもよるので、濃厚接触を厭わない人の外出が減らなければ意味がない。
逆に言えば、非常に気をつけて外出する人が多ければ8割減らす必要もないということだ。
ここでは、「住宅地のスーパーで多少の密になったときに、本当に感染が起きているのか?」あるいは「通勤の電車で、満員でなく普通に少し混んでいるときぐらいで、本当に感染が起きているのか?」。
そういうデータも分析も公開されないので、どこをどう自粛していいのか、どういう自粛がもっとも効果的なのか分からない、ということが問題だ。
ライブに行くこと、夜の店に行くこと、みんなで飲み会をすること、これらが悪いのは分かったが、あとは良く分かっていないのだ。
「8割達成」も「延長の判断」とは無関係?
しかし、ここでもっとも大きな疑問は、緊急事態宣言が必要かどうかだ。
「行動変容が起きているか」「8割達成できているかどうか」ということがしつこく言われるが、それは、そりゃあ自粛しろ、といわれているから達成できているが、緊急事態宣言が外れれば、すぐに動き出すわけだから、今8割達成できているかどうかは、緊急事態宣言の延長の判断とは無関係であるはずだ、ということだ。
なぜそこまで8割にこだわり、街中に出ている人を見つけて批判したり、戦時中の隣組みたいに、近所の人に白い目で見られなければいけないのか。
1つ考えられるのは、感染者数というのは1週間前から2週間前の感染状況であるから、足元の感染状況は、今、人出が少ないかどうか、それしか判断材料がないから「今8割削減が達成されていれば、2週間後の数字はきっといいだろう、感染者数の増加幅は減少しているだろう」、という推測に使えるということだ。
おそらくこれなのだと思うが、そうすると最大の疑問点について考えざるを得ない。
つまり、ロックダウン(都市封鎖)、外出自粛はどこまで効果があるのか?
これが3つめにして最大の疑問点だ。
外出を自粛したほうがしないよりも、感染の拡大が少ないのは分かる。
だがロックダウンを外せばまた感染が始まってしまうのだから、意味があるとするなら、あくまで、感染スピードが加速しているときにそのスピードを一時的に抑えるということが最重要である場合にやるべきということだ。
感染者をゼロ、ウイルスを根絶できない以上、外出制限はあくまでそのときだけ効果があり、制限を外せば、また感染の広がりは始まるわけだから、あくまで緊急避難的な措置だ、ということだ。
ロックダウン=「命も経済も守れる」という前提 ここで最大の疑問は、その効果の程度なのである。
いったい、どこまで効果があるのだろうか?
すでにアメリカでは、アカデミックな議論が盛んである。
もっとも有名なのは、3月末に発表された1918年のスペイン風邪の流行のときに、政府介入による行動規制を行った都市の方が、健康被害も経済被害も長期的には小さかったという論文だ(Sergio Correia et. al.Pandemics Depress the Economy, Public Health Interventions Do Not: Evidence from the 1918 Flu)。
したがって「命か経済か」というトレードオフではなく「命も経済も」、とにかく厳しい外出制限、ロックダウンを長期に継続したほうが守れるという主張に学問的なサポートを与えた。
経済学者達は、トレードオフに見えるが実はそうではない、というロジックの美しさに興奮しており、これに注目が集まっている。
だが批判もあり、私も疑問を持っている。
実例として1回の例に過ぎないこと、1918年と現在ではすべての環境が大きく異なること、データが年度ごとなので、経済回復の影響が行動規制によるものなのか、第1次世界大戦によるものなのか、さらにアメリカの西部と東部、中西部ではそもそも経済環境や状況、成長段階が異なったのではないかなど、さまざまな疑問がある。
一方「ロックダウンが唯一の感染拡大防止策であり、かつ効果的だ」、という断定的な論調に疑問を投げかけたのは、2013年にノーベル化学賞を受賞したスタンフォード大学医学部で生物学教授であるマイケル・レビット氏だ(参照記事はこちら)。
彼は「感染症が専門ではない」と強く留保条件をつけたうえで、「純粋に統計的な数字を見ると、疫学の学者達が前提とするような、指数関数的な感染爆発は、世界中のどこでも起きておらずもっと緩やかだ」、と主張する。
かつ、「どこの都市も、感染拡大のスピード、最終的な感染者数や死亡者数の規模が余りに良く似ており、各都市の都市封鎖の程度や方法は異なるにもかかわらず、同じような感染拡大カーブを描いているのは驚きだ」と指摘し、ロックダウンの効果に疑問を投げかけている。
彼の主張は、ロックダウンに効果がないことを示すものではない。
だが、これまでのすべての議論は、ロックダウンの感染拡大防止効果は絶大であることを前提としてきた。
それゆえ、こうした前提は定量的にどこでも示されておらず、効果はあるが、どの程度か、それは地域、対象の人種、そのほかの環境によってどう変わるか、まったくわからないまま、「とにかくロックダウンするしかない」「命を守るためには何がなんでもするべきだ」、という議論に対する疑問としては、意味のあることだと思う。
ちなみに、彼は、ロックダウンではなく、普通の行動制限、感染拡大防止行動(マスクや手洗い)をした上で、死亡リスクの高い人々を隔離して徹底的に守るべき、こちらの守りを固めるべきだと主張している。
この主張と整合的なMIT(マサチューセッツ工科大学)の経済学者達の分析もある(Daron Acemoglu et. al., A MULTI-RISK SIR MODEL WITH OPTIMALLY TARGETED LOCKDOWN)。
この出来立てほやほや(5月3日公表)の論文では、人々を年齢によって3つの世代に分けたシミュレーションを紹介している。
結論として、国民全体に一律の行動制限、ロックダウンをかけるのでなく、世代ごとに分け、特に高齢者世代に絞って、徹底的なロックダウンをかけた方が、健康被害を減らすという意味では断然効果的であり、経済的被害も健康被害もともに最小化できる、ということが示されている。
このようにアメリカでもさまざまな議論が行われているのだが、読者の皆さんはどう思われるだろうか。
5/8. 今日の応援 完了です ゙(*・・)σ ポチッ♪
過去記事の再度アップの件、解決して良かったです^^
5月の満月をフラワームーンと呼ぶそうですね
4月がスーパームーンだったため
5月の満月も通常よりも少し大きく見えるとか・・
昨夜が、その満月!
お天気に恵まれ夜空にロックオン!
明るく見えました〜♪
お月見しましたか?
マスクの試作品、あと2種類あります♪
最近は、寝るのが朝の6時とか7時になってます^^;
そして必ず!8時間前後、たっぷり寝てます(笑)
生活リズムが出来上がっていれば 健康的には大丈夫でしょうが・・・。
私は、通院予約がAM.9:00なので 8時間ねるためには23時には床に入る必要があるのですが、4時過ぎまで寝られない日が続いています。
昨夜は、亡き父母の紙焼き写真を処分し デジタル保存にするために四苦八苦。まだ ネガの落ちがないかどうか探している段階です。
満月は見られなくて残念でした・・。