2020年05月14日

コロナが試す「人間性のテスト」で問われること

コロナが試す「人間性のテスト」で問われること
「過去」に学び、「水平思考」で攻めていく
2020/05/13 東洋経済オンライン
清水 久三子 :
アンド・クリエイト代表取締役社長・人材育成コンサルタント

緊急事態宣言の延長が決まり、コロナ禍での生活が長期戦・持久戦となってきました。
短期間の戦いであれば、守りを徹底してやり過ごすということも可能ですが、長期にわたる場合には、守りと攻めとを両輪で考える必要があります。

コロナ感染拡大は人間性のテスト
ドイツのシュタインマイヤー大統領は国民向けのスピーチでこのようなことを述べています
「新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は戦争ではない。
国と国、兵と兵が相対しているのではなく、私たちの人間性が試されている。最高の姿を示そう」

確かにコロナ禍は戦争というよりも、人間性のテストと言ったほうがしっくりくるかもしれません。
自分勝手な振る舞いをせず、他人を思いやり、職務に誠実であること、さらに言えばアフターコロナ時代をよりよいものにするために新しいやり方を見いだしていくこと。
これはまさに人間性のテストといえるでしょう。

この人間性のテストに合格するために、攻めと守りの思考で今、何をすべきかを考えてみたいと思います。
私たちがコロナ感染拡大に対してどう守りを固めるかは、やはり古典から学ぶことで得られることが大きいでしょう。
全世界で今再び多くの人に読まれている、カミュの『ペスト』は読むのがとてもしんどい本ではありますが、コロナ時代のあり方について多くの示唆を得ることができます。一部を引用します。

「りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。
しかも、そのためには、それこそよっぽどの意志と緊張をもって、決して気をゆるめないようにしていなければならんのだ」

まずは、自分自身の守りの姿勢として、気を緩めないことが必須だということ、大前提だということが実感できます。
「自粛に飽きた」「コロナ疲れ」などという言葉も聞きますし、感染者の少ないエリアに旅行に行く、レジャースポットや商業施設に人が集まるという事象も散見されますが、今気を緩めることは守りの壁を崩してしまうことにつながります。

また、この後には以下のように続きがあります。
「ペスト患者になることはもちろん苦しいことだが、ペストになるまいとすることはもっと疲れることだ」

すでに多くの方が自粛によるストレスを感じ、疲れがたまり始めているでしょう。
しかし、そのストレスを身近な人にぶつけたり、他者を非難することで解消しようとすることは内側から守りを崩す行為と言えます。
疲れている中で他者をどれだけ思いやれるか、人間性のテストは範囲が広くかつ、深いものです。

そして、医師であるリウーの言葉は私たちが持久戦でどうあるべきかを端的に示唆しています。
「これは誠実さの問題なんです。
こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、ペストと戦う唯一の方法は、誠実さです。
僕の場合には、自分の職務をはたすことだと心得ています」

医療現場の方々は今、まさに誠実さを持ってコロナに立ち向かってくださっていますし、製造・物流・小売り・社会インフラに携わるエッセンシャル・ワーカーの方たちの誠実さなくしてはステイ・ホームはなしえません。
もちろんそれ以外の職種は何もできないかと言えばそういうわけではなく、例えばミュージシャンが自宅での演奏を動画で公開するなどはそれぞれが自分の仕事において何ができるかを考えて誠実に行動している例でしょう。
多くの方はこれで儲けようという気持ちではなく、「今、自分にできることをしよう」という気持ちで行動に移していると考えられます。

長期にわたり、気を緩めず、疲れている状況で誰も責めず、誠実に今できることをする。
コロナに対する守りとはかくも難しいのかと少し気が遠くなりますが、これは人類として一致団結して取り組むべき壮大な試験問題だと認識すべきではないでしょうか。

攻め方は「未来」から考える
守りは過去に学んでみましたが、攻めはどうしたらよいでしょうか。
ここでいう攻めとは直接コロナを打ち負かすということではありません。
ワクチンや治療薬など直接的なコロナへの攻めは研究者や医療従事者にしかできませんが、それ以外の人は攻められないかと言えばそうではありません。
コロナ時代のマイナスをプラスにしていくために何ができるかを、考えてみたいタイミングです。

私はコンサルタントとしてさまざまな思考法を研修や書籍でご紹介していますが、今の時代に攻めに転じるにはラテラルシンキング(水平思考)という思考法を使ってみるとよいと考えています。
ラテラルシンキングとは物事を見る角度を変えて発想の確率を上げる思考法です。
私が行う研修の中では視点移動を身に付けてもらうために「それはちょうどいい!」というエクササイズをやってもらいます。
このエクササイズは数人のグループの中の1人を「社長役」とし、ほかの人は社員として以下のように社長に困難な状況を報告、社長が視点移動をして発想します。

例:「社長、大変です!オフィスビルが火事になり仕事が当面できません」
社長は「それはちょうどいい! ◯◯◯しよう!」とプラスに転じるアイデアを出します。

例:「それはちょうどいい! 社員全員テレワークにしよう!」
社員は「さすが社長!」とポンと手を打ち、「ついでにこうしてみてはいかがでしょう?」と補足していきます。

例:「ついでにコールセンターもリモート対応にしましょう!」 社長が困ってしまい、よいアイデアが出てこない場合は、部下が「それはつまり◯◯するということをおっしゃりたいのでは?」など助けてあげます。

この「それはちょうどいい!」エクササイズのポイントは問題そのものを解消する(例:火を消す)のではなく、あくまでもプラスに転じるアイデアを出すという点です。
これは何を意味しているかというと、出来事はあくまでも出来事であり、問題かどうかは見方や解釈で決まるということです。
出来事をあくまでも出来事として受け止め、出来事があったからこそ起こる未来に意識を集中させることが目的なのです。

「肯定的な見方をする」という考え方が必要
目の前で起きている出来事は、現時点での視点で見ればトラブルや問題と認識されますが、未来から見ればそれは1つのきっかけと認識できます。
もちろんコロナ禍を「それはちょうどいい」と思うのは難しいことですが、コロナ禍を1つのきっかけとして、これまでのやり方を大きく変えていくことはできます。
「災い転じて福となす」ということわざがありますが、これは単に災いが過ぎ去ったらよい結果になっていたという受動的な意味ではなく、自分の身にふりかかった災難や失敗をうまく利用して、よりよい状態になるよう工夫するという能動的な意味です。

災いを福とするには、まずは「状況に対して肯定的な見方をする」という考え方が必要です。
状況に対して、「ああ、最悪だ……」「困ったな……」「早くこの状況が変わらないかな……」と否定的に捉えるのではなく、まさに「それはちょうどいい!」と、思い切って肯定してみるのです。
前述の「それはちょうどいい!」という思考のエクササイズは、初めのうちは社長役の人は「え〜! それは困ったなあ……」となってしまい、なかなかよいアイデアが出てこないのですが、繰り返すうちにほかの人も「お〜!」と感嘆するようなアイデアが出てきます。
このように発想の切り替えは訓練で身に付けることができるのです。

思考は言葉で動き出します。
無理やりでもまずは「それはちょうどいい!」と言ってみると、頭はちょうどよくなることを考え始めます。

例えば、「外出自粛だ。料理教室に人が来られない。これは困った」を「外出自粛だ。料理教室に人が来られない。それはちょうどいい!」と考えてみると「みんな家にいるんだから自宅からオンラインで教室に参加してもらったらどうだろう?」というアイデアが出てきます。
通常の料理教室では作った料理を持ち帰ることはできませんし、いざ自宅で1人で作ろうとすると「あれ、どうやるんだっけ?」とわからないことがあります。
それを夕飯時刻に合わせて自宅のキッチンで先生にオンラインで教えてもらいながら作れば、レッスン終了後にはそのまま家族の夕食の出来上がりです。
自粛生活のストレスにあげられる食事作りも解決され、まさにちょうどいい結果につながるでしょう。

外出自粛という状況をチャンスと捉えればほかにもいろいろなことが考えられると思います。

変えるべきことを変えれば未来は生きやすくなる
また、新しいことを生み出すだけでなく、あえてこの状況において、今まで困っていたことを解消するのも「それはちょうどいい!」と考えることから始まります。
企業においては無駄な会議や承認プロセスを見直すなど、今まで進まなかった働き方改革を進めるチャンスです。
家庭では家族全員が家にいることが多い今、家事の役割分担を決めたり、思い切った片付けをするなどをして、より快適な家庭環境にするよいチャンスでしょう。

コロナ禍の状況だからこそ変えるべきことをしっかりと変えておけば未来はさらに生きやすくなるはずです。
さらに「それはちょうどいい!」エクササイズのポイントをいうと、「さすが社長! ついでにこういうのはどうでしょう?」とアイデアに乗っかり、もっとよくしていくという姿勢です。
ここで「いやそれはやりすぎでしょう」「それは無理でしょう」「これまでのやり方を変えるのはちょっと……」と否定をしてしまうと、災いをやり過ごすだけの受け身の姿勢になってしまいます。
コロナ禍で上昇気流に乗るのか下降気流に落ちるのかはこの考え方の違いが大きいと言えます。

社会、企業、教育期間、コミュニティー、個人がそれぞれのレベルで「それはちょうどいい!」と考え、つながることがコロナ時代の攻め方だと考えます。
ちょうどいいことを自ら探し、ちょうどいいことを思いついた人を称賛して自分も巻き込まれて大きなよい渦を作り出していけば、コロナ後の世界はもしかするとコロナ前より輝くかもしれません。

私たちが受けている人間性のテストに合格するために、過去に学ぶ守りの思考と未来を作り出す攻めの思考で、今何をすべきかを考える一助になればうれしいです。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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