「終戦記念」は未だに取っつきにくい 10代の頃から違和感
2020/08/15 日刊ゲンダイ
井筒和幸 映画監督
15日を日本は「終戦」記念日としているが、我らは10代の頃からその語にはずーっと違和感があるし、当時の国民が皆でちゃんと「終戦」を迎えるのはもっと後日のことだし、どうもピンとこないままだ。
中学3年の夏休みに、三船敏郎が阿南陸相役で切腹し、どす黒い血の海の中で悶死する(白黒画面が余計に恐ろしく、二度と見たくなかった)、東宝の「日本のいちばん長い日」という映画で、前日14日(つまり今日)に政府の戦争指導者らと本土決戦クーデターを企む陸軍の“戦争やめるやめないの大騒動”を見たせいもあり、「終戦記念」というのはいまだにとっつきにくいのだ。
本日14日は、閣議で指導者たちがすったもんだした末、天皇が「これ以上戦争は無理なのでポツダム宣言を受諾してよろしい」と決断し、政府が「受諾します」と連合国に通告した日だ。
天皇がその深夜に朗読し録音したレコード盤の声を、明けた15日の正午に、NHKラジオで日本は降伏しますと国民に伝えたのは伝えたが、それで戦いが完了したのではなく、戦争のすべてが終わるのはまだ先のことなのだ。
広島に原爆が投下され、9日にソ連軍が満州国境から侵攻してきて、それで初めて、いよいよポツダム宣言に応じるしかないと決め、10日に天皇制護持だけ降伏条件に、受諾をアメリカに伝えたんだな。
連合国ではそれを聞くや、早々と勝利を祝う人々もいたとか。それが「終戦」の一報だったようだ。
日本国民はそんな交渉は誰も知らないのだから、哀れなもんだ。
特攻で飛び立つ兵士もいたし、東北や九州、全国各地で空襲されて大勢が死んだ。
政府は連合国に受諾は伝えたものの、軍部に「国体はどうなる? 降伏後も天皇は身柄保証されないとダメだ」と詰められ、連合国の返答も曖昧なので、14日の御前会議で、もう無条件で降伏しますと改めて決め、世界に伝えたのが、「敗戦」までの戦争指導会議のドタバタ劇だ。
天皇の朗読を録音してる最中も、伊勢崎市や高崎、熊谷、小田原が空襲され、どこでも死者が出たのだ。
誰を恨めばいいのだろうかな。
南方派遣軍に戦闘停止命令が出たのはもっと後で、8月末まで戦わされたし、大陸じゃソ連軍や中国軍と戦闘が終わらなかったんだから、これも哀れだ。
日本が降伏文書に調印するのは9月2日。
ここで初めて終戦協定が結ばれたので、日本人はこの調印の日を「降伏記念日」「敗戦記念日」と言っていたのだが……。
あす、戦没者追悼式や平和集会がどんなふうに行われるのか知らないが、酷暑のウィズコロナでマスクはたまらんよ。
早いとこ、最強ワクチンを作って、コロナ勝利、いや、コロナ終戦記念日ができて欲しいもんだな。