2020年08月24日

「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にする 歪んだ正義

「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にする 歪んだ正義
8/23(日) 毎日新聞【編集委員(専門記者)・大治朋子】

◇不安から「正義」を振りかざす
 「なんでこの時期に東京から来るのですか? 知事がテレビで言ってるでしょうが!! 知ってるのかよ!!」
「さっさと帰ってください。皆の迷惑になります」
 東京都内在住の男性が青森市の実家に帰省するとそんな内容の手書きのビラが玄関先に置かれていたという。
男性は帰省までに自主的に新型コロナウイルスへの感染を調べるPCR検査を2度受けいずれも陰性だった。
帰省後もできるだけ自宅で過ごしていたという。

 大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学)によると、新型コロナウイルスで顕在化した人間の攻撃性の一つに「制裁・報復」感情や「同一性」(自尊心)を動機とするタイプがある。
政府から自宅待機の要請が出ている時に外出している人やマスクをしないで歩いている人を激しく非難する――そんな「自粛警察」がこれに当てはまるという。

 「社会秩序や規則順守といった『正義』を振りかざして人を攻撃することは自尊心を満たし、周りの人たちから賛同が得られれば承認欲求も満たされる」(大渕名誉教授)。

「規則を守る人」と「守らない人」、「絶対的に正しい自分(たち)=善」(内集団)と「絶対的に間違った他者=悪」(外集団)に社会を二分して上から目線で懲らしめる行為で、通常なら「やり過ぎ」との自制心も働くがコロナ禍という非常事態においては「(内集団から)理解や承認を得られるはずだ」という思い込みから抑制が利かなくなりがちだという。

「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にするのだ。  

◇いじめ、虐待、紛争による抑圧。受けた暴力を他者に向ける
 私はイスラエルの大学院で「普通の人の攻撃性」について研究した。
専門家から話を聞いたり文献を読んだり、また計8年余りにわたるエルサレム、ワシントン特派員としての取材経験も踏まえたりして攻撃性がエスカレートしていく過程を五つのステップに集約し過激化プロセスとして図式化した。
 しかし大半の人はそもそもそれほど攻撃性を激化させることはない。となるとエスカレートしてしまう人とそうはならない人の違いはどこにあるのか。

 カギを握る視点の一つを先日、毎日新聞の取材を受けた人が言及していた。
インターネット上で他者を激しく誹謗(ひぼう)中傷した経験があるというこの男性は以前、自身もいじめを受けた経験があると語っていた。
 2008年6月に東京・秋葉原でトラックを暴走させ7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた加藤智大死刑囚は裁判で、母親による虐待を明かした。
「九九が言えないと風呂に沈められ、食事が遅いとチラシにぶちまけられたご飯を床の上で食べさせられた」
「(学校に提出する絵や作文は)いつも直されて自分の作品じゃなかった。
進路も小学校低学年の時から母に北海道大工学部と決められていた」
 彼はこうした経験が自分の攻撃性にどのような影響を及ぼしたかについて、獄中から出版した著書「東拘永夜抄」(批評社)で自己分析している。

「学校では、私がクラスメイトを『しつけ』しました。
世界は加藤家によって支配されているのであり、母親が『将軍様』なら私は『小役人』で、クラスメイトらは『市民』です。間違ったことをしているクラスメイトらに対して、私は、殴り、ひっかき、蹴とばし、物を投げ、睨(にら)みつけ、怒鳴り、知っている限りの暴言を吐いて『しつけ』しました。
母親から教わった通りに、です」

 私は研究生活を通じて、いじめや虐待、紛争による抑圧などでトラウマ(心的外傷)を負った人がその後自らも攻撃者となり家族や不特定多数、敵対する相手などにその攻撃性を向ける傾向があるとする調査や論文を多数目にした。
 例えば1974年から2000年にかけて米国の学校で起きた41件の銃乱射事件を調査した米教育省と米シークレットサービスの報告書によると、実行犯の大半が学校でいじめられた経験があった。
99年に起きたあの悪名高い米コロンバイン高校銃乱射事件の実行犯の高校生2人も学校で壮絶ないじめを受けていた。

◇ストレスへの脆弱性
 いじめや虐待、抑圧を受けると人間は攻撃性を強めるというデータを示す研究論文は確かに多数存在する。
しかしだからといってそうした経験を持つすべての人が暴力的になるわけではない。
自分が受けたような痛みや傷を他者に与えないように自らを律する人も少なくない。

だからこそ攻撃性をエスカレートさせる人とさせない人の違いを知りたい。
 それはこれまでの記者生活でずっと頭の隅に押しやったままの疑問でもあった。
記者という仕事は暴力に関する取材が少なくない。
いじめ、虐待、ドメスティックバイオレンス(DV)、殺人、無差別殺傷事件、テロ――。
 そうした事件を取材するたびに攻撃者の生い立ちや経済的な環境、移民として差別されていたかどうかなどを「背景」として書き続けてきた。
しかしこれらの要素が彼らの攻撃性をどうエスカレートさせたのかについては科学的データがあるわけでもなく知る由もなかった。

兄弟姉妹のように同じ家庭、学校、地区に育ってもその一部だけが攻撃的になることは少なくない。
環境からのアプローチだけでこの原因を探るのは到底不可能だった。
 この長年の宿題を少しでも消化したいという思いもあり、私は留学を1年延長してヘルツェリア学際研究所(IDCヘルツェリア)を拠点とする研究を続けながらテルアビブ大学の「危機&トラウマ(Crisis & Trauma)」プログラムにも参加した。

生命の危機に遭遇するなどして起きるトラウマ(心的外傷)の実態やトラウマを受けた人への介入策を学ぶものだった。
 ユダヤ人はホロコーストが始まるずっと前から欧州の各国政府や役人はもちろん、一般市民(キリスト教徒)からも差別を受けてきた。
経済の悪化や疫病などで社会不安が広がるたびにキリスト教徒らは「少数派」であるユダヤ教徒に一方的な「正義」を振りかざして暴力を振るったり、資産を収奪したりした。

大学院のプログラムもまさに、「普通の市民」がいかに過激化し、自分たちと「違う人」を差別したり暴力的に扱ったりするかというメカニズムの一端を探る内容だった。
 トラウマを専門とするある博士(心理学)は講義の中でストレスやトラウマに対する人間の弱さ(脆弱<ぜいじゃく>性)について説明した。
「トラウマを受けてもそれが大きな傷(PTSD=心的外傷後ストレス障害)となって長期間残る人もいれば徐々に回復する人もいる。
その違いを生み出す要素の約3割は遺伝子レベルの問題だとするデータもある」
 博士の言葉にアメリカ人のある女性研究者が「3割もですか」と驚きの声を上げた。

トラウマが残りやすいかどうかは遺伝子の影響が否定できないという。
 他にも民族性などの社会的要因や親との愛着関係など個人的な要因が耐性に影響を及ぼすという。
博士によると、特に幼少期に虐待やいじめを受けた人は一定の種類のストレスに対する脆弱性が確認されている。
 また社会的要因の一つである民族性に関しては、日本人は「一般に不安を感じやすく、ネガティブなことに非常に反応しやすい特徴を持つ」(大渕名誉教授)ことで知られる。  

◇攻撃で心身のバランスを図る
 しかし繰り返しになるが虐待やいじめを受けた人であってもそのすべてが攻撃的になるわけではない。
私の周囲でもそうした過酷な経験を持つ人はむしろ他者を助けたり寛容であろうとしたりしているようにさえ見える。

 積年の疑問に行き詰まりながら大学教授らに勧められた論文を読み進めていた時、いくつかの重要な視座を得た。
その一つが、世界的に有名なギリシャ・アテネ大学のジョージ・クルーソス名誉教授(小児科)が2009年に提唱した「ホメオスタシス(平衡維持力)」の概念だ。
人間には無意識的に心身の均衡を保とうとするバランス機能があるという。
そしてもう一つ大きなヒントを与えてくれたのが行動科学で世界的に著名な米国人のステバン・ホブフォル博士が1989年に発表した「資源(リソース)の保存」という論文だ。

 両者がまとめた複数の研究論文から得られたことを簡略にまとめれば、ストレスなどがかかって心身のバランスがマイナスに大きく傾きそうになると人間は自分を支えるための資源をつかもうとする。
まさに溺れる者はわらをもつかむ、である。
そしてある時は本質的に役立つ資源(新たな人間関係や周囲の支援など)をつかむことができるが、見せかけの「資源」や有害なものをつかんでしまう時もある。

 具体例を見てみたい。
米国を代表する心理学者の一人でカリフォルニア大学バークリー校の名誉教授だったリチャード・ラザラスらは人間のストレス対処法にはおおむね2種類あるとした。
そのひとつは感情を一時的に和らげようとするアプローチ(emotion-focused)だ。
これには音楽を聴いたり運動をしたりする行為が当てはまるが、やけ食いや過度の飲酒、薬物乱用、過剰な買い物、そして他者への攻撃行動も含まれる。
もうひとつはストレスのもとになっている問題そのものの解決に向けて対処する(problem-solving-focused)方法だ。

 両者をバランス良くできれば最善だろうが、往々にして私たちは不健全な回避的行動ばかりを繰り返し本質的な対処を怠ることが少なくない。
特に「正義」に基づく他者への攻撃行動は自尊心を高め、ストレスや不安を一時的に解消できることから快楽をもたらしやすく依存性が高い。
 人によってはこのストレス解消アプローチに強い傾向やクセがあり、一部の人は負荷がかかると攻撃性を極端にエスカレートさせることで心身のバランスを図る。
ここに攻撃性を激化させてしまう人とそうはならない人の道を分ける要素の一つが潜んでいる。

 日本ではコロナ禍に伴うストレスを背景に、ごく一部のこうした「正義」の攻撃者たちがネット上のコミュニティーなど介して共鳴し合い過激化の波を目立たせている傾向にある。  

◇為政者も「正義」を悪用
 為政者もそうした波を利用する。
自己の利益にかなうと見れば市民が掲げる「正義」を称賛し、たきつける。
あるいは政治や経済の不調から市民の目をそらすために「正義」を振りかざし、ストレスや不安を抱える大衆に「敵」や少数民族などへの攻撃をけしかける。
ナチス・ドイツを率いたヒトラーはその典型だ。

 「正義」の顔をした攻撃はより多くの大衆を巻き込む可能性があり極めて危うい。
イスラエル・パレスチナの取材ではちょっとしたきっかけで双方の市民間で「正義」の衝突が始まり、これ幸いとそれぞれの指導者たちが利己的な目的でその波をあおって多数の人々が死傷する陰惨な状況を何度も目の当たりにした。
暴力の応酬は社会現象のように見られがちだが、扇動者が小さな発火をあおって大火に見せかけていることも少なくない。  

いじめや虐待、紛争に伴う抑圧などさまざまな日常の体験が人の心にトラウマを与え、傷を残す。
それがストレスへの耐性を弱めることもある。
心身のバランスを維持するために自分を支えるより多くの資源が必要になるが、本質的な問題解決につながる資源をつかむのは容易ではない。
ましてや「正義」を掲げる攻撃者は他者を見下すことで自分を支えているので周囲の支援を得にくく暴走しやすい。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]