香山リカのココロの万華鏡
「たいしたことない」
2020年8月25日 毎日新聞都区内版
総理大臣が検査のために病院を受診したことが、テレビや新聞で大きく報道されていた。
検査を受けるだけでニュースになってしまうのだから、地位のある人はたいへんだ。
「その点、あなたは自分が医者だから、何かあったらつとめ先の病院で診てもらえていいね」と言われることがある。
でも、私は自分がいる病院にはなるべくかからないようにしている。
たとえばおなかが痛くて同僚の医者に診てもらったとしても、つい「たいしたことはないのですが」と平気なふりをしてしまうからだ。
先日、じんましんが出て皮膚科を受診した。あえてまったく知らない病院に行った。
待合室では大勢の患者さんが診察を待っており、私を含めて座れない人もいた。
看護師さんがときどき待合室に来て、立っている人には「だいじょうぶですか」と声をかけていた。
私は、条件反射のように「平気です」と笑顔で答えた。
しばらくして順番が来て、診察室に呼び入れられた。
自分よりずっと若いドクターに「どうしましたか」ときかれると、ここでもつい「それほどたいしたことではないのですが」と言ってしまった。
同業者の前では弱音を吐きたくない、というのが身にしみついてしまっているのかもしれない。
その医師は「じんましんとはたいへんでしたね」と必要な薬などを出してくれたからよかったが、「たいしたことないなら治療もいらないですね」となったら、何のために受診したかもわからない。
私の場合、「たいしたことない」は強がりから来ているが、まわりの人に心配をかけたくないと思って、「たいしたことない」と言ってしまう人もいるのではないか。
そういえば私のマンションの管理人さんも、「忙しそうですね」「疲れるでしょう」と何をきいても「いえ、たいしたことは……」と答える。
「たいしたことない」は、強がりだけではなくて、気づかいや思いやりの言葉でもあるのだ。だからこそ、相手からその言葉を聞いたら、「それはよかった」と言う前に、「本当ですか? 無理はいけませんよ」と声をかけることにしたい。
そして、自分でもつらいことがあるのに「たいしたことない」を連発するのはやめて、正直に「疲れた」「実はしんどくて」と言うようにできたらもっといい、と思う。
私も自分が受診するときは、今度こそ「先生、体調が悪いんです」と正直に話せるようにしたいものだ。
(精神科医)