コロナの時代 つながりの再構築 「お互いさま」を広げたい
2020年8月25日 毎日新聞「社説」
手を洗えば新型コロナウイルスに感染する確率は下がる。
でも、心の中にひそんでいて、流れていかないものがある。
それは人から人に伝わっていく「恐怖」だ。
日本赤十字社がユーチューブにアップした動画にある言葉だ。
恐怖が広がれば「人と人が傷つけあい、分断が始まる」と訴える。
新型コロナは他者への差別や偏見を生み、社会に亀裂をもたらしている。
感染した人や家族を非難する声は収まらない。
自分の「正義」を振りかざし、マスクをしない人をとがめる「マスク警察」の現象は今も続く。
背景に浮かぶのは、感染への不安ばかりではない。
「ステイホーム」や「ソーシャルディスタンス」で他者とのつながりが希薄になった。
個人が次第に孤立していったことが分断に拍車をかけている。
社会のゆがみあらわに
大阪大などの研究者による国内外の意識調査は興味深い。
各国400〜500人を対象に行われ、「感染するのは本人が悪い」と答えた日本人は3〜4月時点で約11%に上った。
1〜2%台にとどまる米国、英国、イタリアと比べ突出して高い。
一人一人が感染を広げない自覚を持つべきだという考えは大事だ。
だが、個人が孤立を深める中、その意識が過剰になれば、他者を責める声が大きくなる。
こうした状況は社会がコロナ禍の前から抱えていたゆがみの表れでもある。
たとえば経済的に恵まれない人を「自己責任論」で切り捨てる風潮だ。
それは他者に対する配慮や連帯とは対極にある。
LGBTなど性的少数者を排除する価値観も根強い。
分断に歯止めをかけるには、政治の指導者がどんなメッセージを発するかが重要だ。
しかし、安倍晋三首相をはじめ、国民の心に響く発言はほとんど聞かれない。
そうした中でも、連帯を模索する人たちは少なくない。
北九州市のNPO法人「抱樸(ほうぼく)」は大規模なクラウドファンディングを行った。
仕事や住む場所を失い「ステイホーム」さえできなかったり、住所がなくて10万円の特別定額給付金を受け取れなかったりする人を支援するためだ。
人と接しなくても自宅からできる支援を「フロムホーム」と名付け、寄付を呼びかけた。
3カ月で目標額を大きく超える約1億1500万円が集まった。
社会が危機に直面すると、分断の一方で、誰かのために何かをしようという結束が生まれる。
医療従事者や、ゴミ収集を担う人をねぎらう声が湧き起こったり、街の飲食店やミニシアターを支える動きが広がったりしたのも、その表れだろう。
コロナの時代に求められるのは、この思いを継続させ、人と人とのつながりを再構築していくことである。
分断乗り越えて連帯を
横浜市に注目すべき取り組みがある。
市民団体や行政、企業、大学が一緒に立ち上げたインターネットのプラットフォーム「#おたがいハマ」だ。
経験やアイデアを共有し、オンライン会議で対話を重ねてイベントなどを企画する。
コロナ禍で市民活動の停滞が心配されていたが、これまで交流することのなかった人がネットで出会い、新たな連携のきっかけになっている。
その一つがガーゼマスクを手作りして販売するプロジェクトだ。
主婦や障害者が自宅で縫製する。
登録した地域の商店に卸し、店頭に並べられる。
商店はコロナ禍の減収を販売利益で補える。
主婦らには作業の謝礼として、売り上げの一部で購入された地元の食料品などが届く。
食品ロスの削減にもつながる。
まさにお互いさまである。
このネットワークはコロナの収束後にも役立つはずだ。
「#おたがいハマ」をつくった一人、杉浦裕樹さんは「地域への関心が高まり、人を思いやる共生社会へ進む希望を感じる」と言う。
コロナ禍を経験した私たちは他者の支えなくしては生きられないことを思い知った。
今年ベストセラーになったカミュの小説「ペスト」も、人々が感染症との闘いで知った友情や愛情を記憶に刻み続けることの大切さを伝える。
自分本位ではなく、「利他」の思いをどれだけ広げられるか。
時代が移っても、その問いかけの重さが変わることはない。