2020年11月19日

日本を支配する「空気の暴走」は止められるのか

日本を支配する「空気の暴走」は止められるのか
11/18(水) 東洋経済オンライン

戦時中も、コロナ禍も……日本では、大事なことは何となくの「空気」で決まっていることもあります。
この息苦しさを打ち破る手立てはあるのでしょうか。
学習塾代表で著述家の物江 潤氏の新著『空気が支配する国』を一部抜粋、再構成し、得体の知れぬものの正体に迫ります。  

日本は同調圧力が強い国なので、とても息苦しい、生きづらい――こんな主張をよく目にします。
最近出た『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚史・佐藤直樹著、講談社現代新書)という本のオビには、こう書いてあります。
 「日本は世界でもっとも同調圧力が強い国だった」「新型コロナが炙り出した世間という名の『闇』に迫る」
 たしかに、私もそうした圧力を感じることはあります。
ただ、こういう見方をそのまま受け入れていいのか、というと疑問も感じます。

新著『空気が支配する国』を書くにあたり、いろいろと古今東西の事例を見ていくと、日本は同調圧力が強いというよりは、空気という曖昧な掟が強い力を持つ国だ、と捉えるほうが正確ではないか、という結論に至ったのです。

■日本は世界でもっとも同調圧力が強いのか? 
 まず、「日本は世界でもっとも同調圧力が強い」という点については、日本国内では定説と化してしまっているようですが、これを否定する心理学の研究もあります。
アメリカの心理学者であるソロモン・アッシュは、人々はどの程度、周囲と同調してしまうのかを確かめるべく実験をしました。
 実験では被験者のほかに、あらかじめ同じ回答をするように打ち合わせをした7人のサクラを用意しました。
実験で用意された問題は、図Aに描かれている線と同じ長さの線を、図Bにある3本の線から選ぶというものです。
ここで、7人のサクラが不正解を選んだとき、被験者はどのくらい周囲に同調し不正解を選択してしまうかを確認するわけです。
 アメリカ人に対して行ったアッシュの実験では、まったく周囲と同調せず回答を続けた人間は26パーセントでした。
イメージでは周囲に流されそうにないアメリカ人も、意外と同調圧力に弱いのかもしれません。
人間、誰だって顔色はうかがうのです。

 そして、同じ実験が日本でも実施されました。
横並びが好きな日本人は、もっと不正解に同調してしまいそうな気がします。
ところが、ハーバード大学の博士課程にいたフレイガーが、慶應大学で学生を対象に実施した実験では、周囲と同調しなかった人間が約27パーセントにも上ったのです。
アメリカとほぼ同じだったわけです。
慶應大学だけでなく、大阪大学でも同様の実験が行われましたが、結果は似たようなものでした。
 この結果について、社会心理学者の我妻洋氏は、実験でのサクラは赤の他人であるため、被験者の行動に影響を与えづらいのではないか、と分析しています。

日本人は「意義のある他者」には同調するが、そうでない人にはときに冷淡であったり、敵対的であったりするのだということです。
 たしかにその通りなのですが、しかし「意義のある他者」に同調しやすいというのは他の国の人でもある程度共通するようにも思えます。
「日本人は農耕民族で、ムラ社会を基本としてきたから掟を守る習慣があり、破ると村八分になる。だから同調圧力が強いのだ」こういう反論もありそうです。
 農村をベースにした日本人論はよく目にするのですが、しかし農耕は別に日本だけの特徴ではありません。
水田は多くないでしょうが、共同管理を要する仕事は水田に限りません。
 このように見ていくと、どの社会にでも同調圧力は存在していると考えたほうが自然でしょう。
しかし一方で、多くの日本人は実際に強い同調圧力を感じ、「世界でもっとも強い」とすら主張する人もいる。
これはなぜでしょうか。
日本の何が特徴的だと考えればいいのでしょうか。

■「明確な掟」が少ない
 一言で表せば「明確な掟が少ない」という点です。
それゆえに曖昧な掟である「空気」が強い力を持つ。
ここが特徴です。
明確な掟さえあれば、それに従えばよいので空気を読む必要はありませんが、逆に言えば明確な掟が少ないからこそ、何となく読んだ空気を掟とするのです。

 明確な掟が生じにくい理由はいろいろと挙げられます。
そのなかでも、曖昧なコミュニケーションを好む姿勢、神様を絶対視しないような習慣はわかりやすいものでしょう。
たとえば人間よりも偉い神様が絶対的な存在として君臨していれば、神様との契約は絶対です。
これが強い掟になります。
 ところが、日本では神様がそこまでの存在にはなっていません。
もちろん信心深い方もいることでしょうが、もっと人間に身近な存在です。
だから、人間の都合に応じ平気で神様を作ったり改造したりしてしまいます。

神様が絶対であれば、人間が勝手に手を加えるなんてできないはずです。
ちなみにですが、私の地元には喜多方ラーメン神社まであります。
 明確な掟が少ない日本では、曖昧な掟である空気が諸外国より発生しやすくなります。
また、決まりきった掟が少ないということは、新型コロナ禍における緊急事態宣言のような要請によって、新しい掟を作りやすいということです。
しかも、それが全国に広まりやすいということでもあります。

 新型コロナ禍において、日本政府の国民への制限が極めて抑制的というか、ゆるいことはよく指摘されていました。
ロックダウンとか外出禁止とか営業禁止とか、諸外国がどんどん私権を制限する政策を実行しているのに対して、日本政府は「お願い」を繰り返すのみでした。
しかし、多くの国民は空気を感じて、実質的に私権を制限されていました。
 私も経営する学習塾を「空気」を読んだすえに休業することを余儀なくされていました。
法的に制限されていたわけではありません。
保護者から「開いてほしい」という声もありました。
しかし、それでもやはり開けませんでした。

 もし開けば周囲から何を言われるかわからない。
また万一感染者を出したら再起不能のダメージを受ける。
そう考えると、自粛要請に逆らうのは並大抵の覚悟ではできません。
この感覚は、多くの日本人は共有できるものでしょう。

 宗教的な戒律が強い力を持つ国や、法律による私権制限が比較的容易な国には「明確な掟」が張り巡らされているので、空気という曖昧な掟が幅を利かせる余地があまりありません

一方で、戒律のような明確な掟が少なく、政府が私権の制限に抑制的である日本は、空気という曖昧な掟が自然発生して広まり、人々を縛ることができる。
誰が決めたのかよくわからず、明文化すらされていない掟が国民の行動を実質的に縛るのです。

■「空気」にはメリットもある
 この空気という掟の存在をネガティヴにとらえれば「息苦しい」ということになるのでしょう。
ただ、実はマイナス面ばかりではないと私は考えています。
 東日本大震災からほどなくして、この危機においても規律を重んじる日本人の姿が賞賛されました。
略奪などの混乱が生じず、市民が節度をもって行動したからです。
 これも空気という掟が機能したと見ればわかりやすい現象です。
諸外国では、危機において必要な掟をすぐに準備できないため社会は混乱してしまうわけですが、日本においては必要な掟が勝手に生じるため、かなりのレベルで社会が機能します。
細かく見ていけば小規模な暴動・混乱等々はありますし、実際に東日本大震災後にも見られました。
それでも諸外国より混乱が少なかったのは自生する掟のおかげと見なせます。

 新型コロナ禍でも、法的拘束力のない要請のみで抑え込もうとした日本に対し、疑問を呈した海外メディアも見られましたが、多くの日本人はきちんと自粛生活を送りました。
 ロックダウンといった強権的な政策を取った国の国民よりも、よほど日本人のほうが自制的に振る舞っていたという報告例は数多くあります。
そもそも誰も強制しなかったのに、一斉にマスクを着用し、その習慣を続けたのです。
それは「他人に迷惑をかけないためにもマスクは着用すべし」という掟が定められたからです。
「何となく決まった曖昧な掟」が有効に機能したのです。

 あまり指摘されませんが、このように空気という掟にはいい点もあることは確かです。
ただ、やはりいろいろと問題はあります。
結局誰が決めたのかも曖昧ですし、いつどの時点で変更するかも曖昧です。

■責任者も実は曖昧である
 責任者も曖昧です。
これが最悪の結果を招いたのが「日本は必ず勝つ。敗戦の可能性を口にしてはならない」という空気が支配したときや、「原発は絶対安全。事故の可能性を口にしてはならない」という空気が支配したときであることを私たちはよく知っています。  

法律や契約のような人間が能動的に作った掟であれば、その欠陥がわかり次第、修正することが可能です。
しかし、空気という掟は変えることが容易ではないため、時として欠陥が放置され大変な災いをもたらします。
空気の危険性を把握し、何らかの処方箋が必要であることは論を俟(ま)たないでしょう。

 「やはり日本は息苦しい国ではないか」そんな声が聞こえてきそうです。
実際に窮屈な思いをしている方は多いでしょう(私もそうです)。
しかしながら、「日本は世界でもっとも同調圧力が強い。だから息苦しい」という主張は不正確だと思います。
「日本は曖昧な掟である空気が発生しやすい。だから特異なことが起きる」が、より実態に近いはずです。
 特異なことのなかにはいいことも悪いこともあります。
悪いどころか国難さえも含まれています。
しかし、空気を絶対悪と決めつけてしまうと冷静な判断ができません。

■勇気さえあれば消せる空気もある
 たとえば、政府を批判しただけで逮捕される体制や、宗教や階級制度による縛りが強いため自由に意見を言いにくい国だってあります。
それらと比べて、私たちの国は本当に息苦しいのでしょうか。
空気を絶対視せず視野を広げてみれば、このような見方だってできます。
 また、組織などでは意外と、実は誰もが薄々「誰か言ってくれないか」と空気を破ることが期待されていたということもあるはずです。
少しの勇気さえあれば消せる空気だってあるのです。

 空気を神様や独裁者かのように見なして、必要以上に息苦しさを感じないこと。
そして、新型コロナ禍を契機とし空気について理解を深め、空気の暴走を防ぐため準備を始めること。
これらが今、私たちがすべきことではないでしょうか。
          物江 潤 :著述家、塾経営者
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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