2020年12月28日

「心が折れる」という人と考えてみたい"心の形"

「心が折れる」という人と考えてみたい"心の形"
実際のところ、心はどういう形をしているのか
2020/12/27 東洋経済オンライン
いしわたり 淳治 : 作詞家・音楽プロデューサー・作家

あるときから「心が折れる」という表現をよく耳にするようになった。
目標に向かって頑張っていたのに、障害にぶつかって意欲がなくなったり、諦めたりすることを指しているようだ。

「心の形」とは?
この言葉を初めて聞いたときに、私は素直に「えっ、心って棒状だったんだ?」と思ったのを覚えている。
一般的に「心」と言われて思い浮かぶのは“ハートマーク”で、それは平面か、あるいは少し膨らんだ立体の状態で描かれるのが普通だ。
だから、「心が割れた」なら平面だろうし、「心が砕けた」なら立体なのかなと思うが、「心が折れた」となると、実は心は棒状だったということになる。

しかし、実際のところ、心というのはどういう形をしているのだろう。
心にまつわる表現の中には、「心がへこむ」という表現もある。

棒状でかつ、へこむ。
ということは、パイプ状の形をしているのだろう。
中は空洞なのだろうか。
「心を開く」「心にふたをする」という表現もあるから、中に何かを入れられて、閉じ込められる形状をしているのかもしれない。
筒状の容れ物ということだろうか。
ほかにも「心がはずむ」という表現もある。
はずむということは、ゴムのようなものでできているのだろうか。
言われてみるといつまでも心がへこんだままの人はあまりいないので、よほどゴムが劣化しない限りは元に戻るのだろう。

前述の「心が折れる」というのも、もしかしたら過度なストレスによってゴム状の素材がカチカチに劣化した先で起こる現象なのかもしれない。
「心がはずむ」以外にも、「心が揺れ動く」なんて表現もあるから、やっぱり心は元々は柔らかくて弾力のある素材に違いない。
そういえば「心をわしづかみにされる」なんて表現もある。
なるほど。筒の直径は手で握れるくらいなのだろう。
誰の手のサイズを基準にするかで違ってくるが、成人男性の平均的な大きさから考えても、せいぜい直径10p以下くらいだろうか。

ほかにも、「心が晴れる」という表現もある。
晴れるということは、心は基本的には透明な素材でできているのだろう。
普段はきれいに透きとおっているのだが、何かのきっかけで曇ったり濁ったりすることがあるのだろう。

よし、だんだんわかってきた。
心は“ゴムのようなものでできた直径10p以下の透明な筒状の容れ物”なのだ。
いや、待てよ。「心に刻む」という表現もある。これは大きな問題である。
せっかくの透明できれいな心に、私たちは大胆にも文字や映像を刻むことがあるのだという。
何ということだろう。
忘れたくない素敵な言葉や思い出を刻むことで、そのせいで心は曇ってしまわないだろうか。
そういえば、「思い出が邪魔して未来が見えない」なんて面倒くさいことを言い出す人もたまにいるから、何でもかんでも心に刻みすぎるのは、よくないことなのだろう。

心には本当に、本当に、大事なこと以外は刻んではいけないのだ。
これは今すぐ肝に銘じなければならない。

心の「長さ」は?
心にまつわる表現はほかにないだろうか。
うわっ、「心が騒ぐ」という表現もあるではないか。
自分の意思とは関係なく勝手に心がざわざわすることを指す表現だ。
勝手に騒ぎ出すなんて、それはもう心が意思を持った私とは別の生き物であるということである。
かなり衝撃的だが、でもまあ、考えてみれば私たちの腸内にも無数の細菌が暮らしているのだから、今さら体内にほかの生き物がいると言われてもそこまで驚きはしない。

そうか、心は“ゴムのようにやわらかい直径10p以下の透明な筒状のふたのある容れ物に似た私の中に住んでいる生き物”なのか。
と、ここまで考察してもまだわからないのは、その「長さ」である。
「心がせまい」だの「心が広い」だのという表現がある以上、その容積に個人差があることは明らかだ。
大体の直径もわかった今、容積に違いをもたらす要素は長さしかないから、あとは心の長ささえ判明すれば、私の中で「心の形」はバシッと決定するのだけれど。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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