14歳の少女が精神病院で体験した「極限の地獄」
4/1(木) 東洋経済オンライン
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。
そして精神病床への入院患者数は約28万人、精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。
人口当たりで見ても世界でダントツに多いことを背景として、現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。
日本の精神医療の抱える現実をレポートする連載の第11回。
「かゆいときも自分ではかけず、寝返りもいっさい打てません。
一度大嫌いなクモが天井から降りてきた事があり、動かせない顔の数センチ横に落ちましたが、どうにもできませんでした。身体拘束された77日間で、『死』よりも『いつ地獄が終わるのかわからない生』のほうが、とてつもなく恐ろしいと知りました」
14歳の時に摂食障害(拒食症)で都内の総合病院の精神科に入院し、77日間にわたり身体拘束された女性Aさん(27歳)は当時の経験をそう振り返る。
■「思ったより体重あるんだね」の一言をきっかけに
Aさんは中学2年の冬からダイエットを始めた。
「始めたきっかけは単純で、学校の友達に『思ったより体重あるんだね』と言われたという、ささいなことでした」
完璧主義者だったAさんは、ほんの少しでも体重が増えると摂取カロリーを過度に抑えるような食事制限を自らに課していた。
生理がなくなったりふらついたりする状態を心配した両親とともに、中学3年の春となる2008年5月にこの病院を受診し、入院した。
「医学知識はありませんでしたが、拒食症という病気であるならば治さなければならないと思い、また開放病棟での任意入院と聞き安心し、入院にも納得していました」
受診後、入院するまでの数日間、Aさんはどこかで入院生活を楽しみにしている自分もいたと話す。
「今まで病気らしい病気になったことがなかった自分に病名がつき、皆が自分の体を心配してくれることがうれしくすらありました。
入院中、友達に手紙を書きたいし、家族の面会も楽しみ、同じ病室・病棟の子と仲良くできたらいいな、などと考えていました」
ところが入院当日、そうした浮かれた考えは一気に打ち砕かれた。
案内されたのは病棟の奥にある、ベッドとポータブルトイレだけがある、無機質な独房のような個室だった。
鉄格子のついた窓の外はつねに日陰で、その日の天気もわからなかった。
「両親は『頑張ってね』と泣いて私を見送りましたが、私も両親もまさか次にお互いの顔を見ることができるのが、約4カ月半も先になるとは想像もしていませんでした」
入院にあたって、まず行われたのが持ち物検査だ。
眉をそるためのカミソリはおろか、携帯電話や音楽を聴くためのiPod、書籍や筆記用具、コンタクトレンズまで持ち込みが許されなかった。
一つひとつ選んで持ってきた大切なぬいぐるみは手乗りサイズ1つを残し、すべて持ち帰りが命じられた。
■ベッド上に寝たままで勝手に動かないように
入院後、Aさんが主治医からきつく課されたのが、ベッド上に寝たままで勝手に動かない(床上安静)ということだ。
ベッドサイドに腰掛けることも認められない。
また個室内の衝立(ついたて)のないポータブルトイレすら勝手に使うことが許されず、看護師の許可を得て利用し使用後確認させることが求められた。
つまりAさんが自由を許されたのは、個室のベッドの上で横になり、小さなぬいぐるみをひたすらなでることだけだった。
同じく主治医からは、出された普通食を3分の2以上平らげることを厳しく求められた。
しかも病院ではそれまで胃が受け付けないと避けていた、天丼やカレーなど重い食事が頻繁に提供された。
揚げ物の衣の油がきつく、できれば食べたくなかったが、そうできないのには訳があった。
「主治医との最初の面談で、3分の2以上食べなければ、鼻から胃に直接栄養をいれる『経鼻胃管』に切り替えると告げられており、胃もたれに苦しみながら必死で食べ続けました」
テレビも読書も音楽も禁止され、両親や友人との面会はおろか手紙や伝言も許されないなど、外界とつながりが隔絶された日々に、Aさんの病院と主治医への不信感は高まっていった。
入院から約1週間後、Aさんは両親に会いたいとの懇願を看護師にあしらわれると、一連の処遇への不満から点滴を自己抜去した。
駆けつけた主治医に、Aさんは思いの丈をぶつけた。
「ほかの精神科へ転院させてください」「それが無理なら小児科病棟に移してください」。
主治医に却下されると、最後の希望をかけて、「私は任意入院だと聞いています。
権利があるはずなので退院して自宅に帰ります」と訴え、出ていこうとした。
そのAさんに主治医から非情な一言が告げられた。
「ああ、今から医療保護入院になるから、それは無理だよ」
本連載で何度も取り上げたとおり、医療保護入院は精神科特有の入院制度で、本人が拒絶しても、家族など1人の同意に加え、1人の精神保健指定医(経験年数やレポート提出など要件を満たした精神科医)の診断があれば強制入院させられる。
Aさんの両親は入院時に主治医から求められて、あらかじめ同意をさせられていた。
「『もういいかな? じゃあやっておいて』と主治医が手慣れた様子で言い放つと、病室に入ってきた4人の看護師が手足を押さえつけ、手際よく柔道着の帯のような平たい頑丈なひもを私の体に巻き付け、ベッドの柵の下側に結んでいきました」
両手、両足、肩の身体拘束が終わると、次に鼻の穴から、経鼻胃管のチューブが挿管された。
チューブは胃カメラのときに入れるものよりも太くて固い。それが常時入れられたままになる。
「経鼻胃管をされると、24時間ずっと鼻とのどに食べ物や飲み物が詰まっているような、何ともいえない違和感があります。
例えるなら、柱がのどに突き刺さっているような感覚です。
とにかく、苦くて痛い、そして苦しくかゆいとしか言いようがありません」
■意識が鮮明ゆえの「極限の地獄」
排尿は、尿道バルーンが自動的に尿を吸い出す形で行われた。
拘束が外れた後も筋力が回復して自力でトイレに行けるようになるまで、2カ月半ほど付け続けた。
「経鼻胃管の痛みと違和感が強すぎて、尿道バルーンの痛みや違和感はそこまで記憶していません。
ただ、恥ずかしさはとても大きかったです」
より恥ずかしかったのは排便だ。
おむつを付けさせられたうえ、排便時にはナースコールをして看護師におむつを脱がされ、お尻とベッドの間にちり取りの形をした「おまる」を入れられ、そこにしなければならなかった。
「排便時もおなかに1枚タオルをかけてくれたぐらいしか、プライバシーへの配慮はありませんでした。
3日に1回お通じがなければ浣腸され、無理やり排便させられました。
恥ずかしいし情けないし、思い出したくない経験です」
当然のことながら、摂食障害で入院したAさんは意識も鮮明で、はっきりと意思の疎通もでき、もちろん幻覚を見たり幻聴を聞いたりすることもなかった。
「意識が完全にクリアな中でされる身体拘束や経鼻胃管、尿道バルーンの経験は、まさに『極限の地獄』でした」。
入浴もできず、数日に一度の看護師による手か足の部分浴か清拭のみがなされた。
「点滴が落ちるのを見ることぐらいしかできない身体拘束中は、1分1秒、時間が経つのがとても長く感じました。
その間、私はどうしたらこの拘束が解け地獄から抜け出せるのか、必死で考え続けました」
■禅問答続きでの拘束継続
主治医からは身体拘束の理由について、「自分を見つめなおすため」「自分と向き合う時間を作るため」といった抽象的な説明ばかりで、Aさんのその時点での状態の説明や治療目的、どうすれば拘束が外れるかの具体的説明などは、何ひとつなかった。
「だからいろいろな話し方をして、試してみました。
時には身体拘束を含めすべてを受け入れるような従順な発言や主治医を信頼しているような発言をしてみたり、別のときには激しい口調で反抗的な態度をとってみたり。
それでも『どうしてそう思うのかな?』などと返させる禅問答続きで、一向に状況は変わりませんでした」
いつまで続くかわからない身体拘束から逃れるべく、必死で考え続けるAさんを前に、主治医はこんな雑談をしたこともあった。
「この前、映画の『崖の上のポニョ』を娘と見に行って楽しかったと言って、こんな歌なんだよと、『ポーニョ、ポーニョ、ポニョ、さかなの子〜〜』と主題歌を歌いだしたこともありました。
私から奪い取っている外の世界の楽しい様子をなぜ私に聞かせるのか。
私がこんな目に遭っているときに、この人は人生を楽しんでいるんだろうなと、絶望的な気持ちになりました」
考え続けた結果、Aさんが生育過程での母親との関係性の悪化について話をするときだけ、禅問答のような聞き返しがなく、Aさんの話を納得したように黙って聞いてくれることに気がついた。
「主治医はこの病気の原因を母親との親子関係に結び付ければ満足してくれるのだと思い、その方向で話を合わせるようになってからは、拘束が緩んでいくのが早くなりました」
結局、全拘束が解除されたのは8月上旬、5月下旬から77日間にわたって、24時間拘束が続いたことになる。
両親と面会が許されたのは、それからさらに1カ月半先の9月末のことだ。
退院はさらに2カ月後となる11月末、入院からちょうど半年が過ぎていた。
退院後、両親との関係は悪化した。
「両親に対して、どうして拘束に同意したのか、どうして早く助けてくれなかったのかと何度も責めました。
両親は面会や連絡が許されない中、『拘束しなければあなたが死ぬって、主治医が言うから仕方なく同意した』と言いますが、それにしてもなぜあんなことを許したのかと、わだかまりは残りました」
半年間の入院で体力が落ち通学自体が肉体的にきつく、さらに半年にわたり主治医から自分の意見を否定され続けたため、親しい友人たちともうまくコミュニケーションが取れなくなっていた。
「緊張してどもってしまったり、文字が書けなくなったり、逆に1人で話しすぎたりと、円滑な関係を築くことができなくなっていました」。
結局、復学後、数カ月で不登校になり、進学した高校も1日も登校できず退学を余儀なくされた。
専門学校やアルバイトも続かなかった。
「このころは1日2時間くらいしか起きていられず、あとはずっと寝たままでうつ病状態となり、薬の過剰摂取を繰り返し、救急車で搬送されたこともありました」
Aさんは19歳のときにいまの配偶者と出会い、結婚。
それをきっかけに精神的な面はだいぶ回復し、2018年5月、不当な身体拘束を受けたとして、この病院に損害賠償を求める裁判を起こした。
現在、東京地方裁判所で係争中だ。
身体拘束は患者の行動の自由を完全に奪う、最も強度な身体の自由に対する制約だ。
精神科病院における身体拘束は、精神保健福祉法で
@ 自殺や自傷の危機が切迫 A 多動や不穏が顕著 B 患者の生命に危険があるなどのときに、ほかに方法がないと精神保健指定医が認めたとき のみ、行うことができるとされている。
裁判所に提出された準備書面によれば、原告側の複数の専門医たちは、Aさんの入院当時の体重は、各種医学文献や摂食障害におけるガイドラインに照らしても、生命に危険が及ぶおそれがある数字ではなかったという。
またAさんは治療の必要性を理解し、身体拘束されるまで入院中の食事を経口摂取できていたこと、点滴抜去の防止のために拘束以外の代替手段を検討した形跡がないことなどから、身体拘束は要件に欠いた違法なものだと主張する。
これに対して、病院側は取材依頼に対して、「個別案件についての取材には、応じかねます」とするが、裁判所に提出した準備書面では、「拘束を中止したら、(点滴の)自己抜去や自殺企図、自傷行為の恐れ、安静を守れず過活動や運動もあると判断した。
身体拘束以外に代替方法はなく、継続が必要だった」「両親や友人との交流を避けることが症状改善に必要なので、治療の一環として当面は家族との面会連絡を行わない治療方針で了解を得ている」などと主張している。
また病院側は「身体拘束を内省や医療従事者に心を開く手段として用いるようなことはしていない」と主張する。
だが、2020年11月、裁判所での証人尋問で、この担当医は耳を疑うような発言をしている。
「(身体拘束されている患者は)付きっきりのように、もうほかの患者と比べれば、数倍もの時間を医師も(費やしている)、ですから御本人さんが身体拘束が外れたときにものすごく寂しいと言って、特別な座から降りるんだと、まさにそのような、もう病棟患者さんから見れば、ものすごい羨望を集めるような特別待遇なんですよ」
■今も続くフラッシュバック
この言葉を聞いたAさんは憤りを込めて訴える。
「精神科医にはぜひ、いつ解除されるかわからない身体拘束を、一度体験してみてほしい。
結果的に1時間で終えたとしても、当事者が訴える、先の見えない底なしの恐怖の一端は感じ取ってもらえると思います。
私は結婚して精神的に安定した今でも、急に手首を握られたときなど、身体拘束のフラッシュバックに苦しめられることがあります」
今年2月下旬、厚生労働省は精神病床における身体拘束の実態に関する、初めての調査結果を発表した。
2017年夏に当時の塩崎恭久厚労相が近年の身体拘束の急増についての調査と対処に言及してから、すでに3年半が経っていた。
そこでは患者に対する身体拘束のうち約3割で、1週間以上の拘束指示がなされていたことが明らかになった。
最大日数は15年半におよぶ5663日と、驚くべき数字となっている。
密室性が高く、情報公開意欲にも乏しい環境の中で、身体拘束のような人権侵害の度合いの強い行動制限が柔軟に行われている日本の精神医療の現場では、患者と医療関係者間の力関係の差は歴然としている。
そうした中で昨年、ある西日本の病院で大規模な患者虐待事件が発覚した。
精神科の先生本人曰く
「基本的に殆どの医師は自身に異常な性癖を持つ」らしいです。(本人は異常とは認識していない)
真面目な方では務まらない仕事 それが 精神科。