2021年07月08日

「庭のカエルがうるさい!」隣人クレーマー続出時代には“S言葉”で対応せよ

「庭のカエルがうるさい!」隣人クレーマー続出時代には“S言葉”で対応せよ
2021.7.7 Diamondオンライン
援川 聡:(株)エンゴシステム代表取締役

庭のカエルの声がうるさい!で裁判沙汰に
 梅雨の湿気を帯びた、うっとうしい暑さが体にこたえる季節です。
先日、とある裁判のニュースを読みました。
 隣接した一戸建てに住む60代男性同士のトラブルで、片方の家の庭の池に住み着いたアマガエルが深夜までうるさいという、カエルの鳴き声への騒音苦情が原因でした。
隣の住民に対して騒音の差し止めやカエルの駆除などを求めるという驚きの裁判でしたが、裁判官が出した判決は「仮にうるさい音が発生していたとしても、カエルの声は自然音の一つ。騒音には当たらない」というもの。
東京地裁で請求が棄却されたとのことでした。

4月下旬、ちょうど水の張られた田んぼへの田植えが終わり、田舎の家にもカエルたちの声が響く季節のニュースでした。 「こんなささいなことが裁判沙汰になるのか。まったく理解に苦しむ……」  そう思った方も多いと思います。
もし、こうした裁判が身近に起こり、自分が当事者になったらと思うと、頭が痛くなることでしょう。
 このニュースを読み終えた私の素直な感想は、「所変われば事情も変わる」。
そして、警察官だったころの騒音苦情を思い出しました。

昭和50年代の大阪では、カエルの騒音苦情は珍しくなかった
 今から40年以上も前、昭和50年代の大阪では“カエルやセミの鳴き声”で警察に騒音苦情が入ることはさして珍しいことではありませんでした。
その理由は、田園が残る新興住宅地に引っ越してきたばかりの人が、迫力のあるカエルやセミの鳴き声に驚き、そんな環境の変化についていけずに、つい苦情を入れていたからです。
110番通報を受け対応する警察側も、こうした事情を察していますから「今は苦痛でも、じきに環境に慣れてきますよ」と説明したり、どうしても我慢できないという人には「自ら環境を変えるしかない」とアドバイスをしたり、あるいは当事者が折り合いをつけ、諦めるようにと勧めるなどしていました。

 昭和の時代はこれで済んだのですが、令和の今は、こうした問題が発生すれば、本人同士で折り合いをつけることができずに、裁判沙汰にまで発展してしまうということなのでしょう。
隣人がある日、突然モンスタークレーマーに変貌するわけです。
話が通じない、折り合いのつかない時代になったのだと思い知らされるとともに、憂いの気持ちが起こりました。

不安な時代、狭い空間に閉じこもる日々はトラブルを生みやすい
 考えてみると、去年以来のコロナ禍の時代においては、ずっと家にいなくてはならず外に出かけられない、制限が多い日々にイライラしがちと、隣人トラブルが起きやすく、裁判に発展することもあるのだろうと想像できます。
どこにでもいる普通の市民が、それぞれの納得できる結果を求めて、裁判という形で勝負を挑んでいるようにも感じます。「そんなことで?」と驚くようなささいなトラブルをきっかけに、誰でも裁判の当事者になる可能性を秘めているのです。

 今回のトラブルも、客観的に見れば「コロナで自宅にこもらなければならない時代が故の息苦しさ」で苦痛が大きくなり、折り合いをつけることができなかったからでしょう。
 マンションや自宅でのリモート生活が続けば、その狭い空間が、その人の世界になります。
それは、引きこもりを家族にきつくとがめられ、行き場を失う恐怖感などから家族を殺傷してしまう事件の背景と共通するものがあります。
ある意味では、訴訟に至ったものの、爆発して重大事件にならなかったことは幸いだったのかもしれません。

 緊急事態宣言が再び“解除”されましたが、変異株の毒性の強さに関する情報は増え続け、終息の気配は見えていません。
ワクチン接種は進んでいるものの、変異ウイルスのしぶとさを考えるに、ワクチン接種が完了した途端にすべての生活がもとに戻るかといえば、それは無理な話です。
将来への不安は強く、日に日に自由な生活への渇望は高まるばかりです。

「D言葉」よりも「S言葉」を
 そんな時代だからこそ、プライベートでの生活やトラブルの際にも役立つのが、私が以前よりお伝えしているクレーム対応の鉄則「D言葉禁止」という考え方です。
 D言葉とは、相手の抗議や主張に対して「だから」「ですから」「だって」「でも」の言葉を使って、とっさに反論してしまうこと。
クレーム対応の現場でも、初期段階で発した不用意な一言で、相手をヒートアップさせてしまうケースは多いものです。
相手の話が的外れだったり、堂々巡りになったりすると、つい口にしてしまいがちですが、相手からは「上から目線」「逃げ腰」あるいは「反抗的」と思われ、クレームを激化(長期化)させてしまうことから、クレーム対応の場面では禁断のフレーズだと伝えています。
 そんなD言葉の代わりに推奨するのが「S言葉」です。「失礼しました」「承知しました」といった、相手の感情を一度受け止める傾聴のフレーズ。
もし突然隣人から怒鳴り込まれたとしたら、言葉として「そうなんですね」「すみませんでした」などのフレーズで一度受け止める姿勢を見せること(受け身の対応)をお勧めします。

 S言葉は、その場で炎上させないテクニックなので、その後は、速やかに信頼できる第三者や行政機関・警察に“相談”してアドバイスを受けるとともに、相談の実績をつくっておくことが重要です。
ご存じの方も多いでしょうが、行政機関や警察は1件の相談だけで事件(案件)として扱うわけではありません。相談を受けた段階では即対応できないケースがほとんどです。
ましてや隣人トラブルという、事件性や緊急性が判断しにくい案件の場合は、その傾向は強くなります。

 隣人トラブルでいきなり110番通報をする人はほとんどいないと思いますが、警察に相談に乗ってもらいたい。
そういうときは、所轄署や交番の窓口で顔の見える相手にまずはトラブルについて話を聞いてもらってください。警察にいる人がすべて強面というわけでもありません。
相手が優しそうな人であれば比較的気楽に相談できるでしょう。こうした相談に直接出向くべきかどうか迷うときには、相談ダイヤル「#9110」を活用しましょう。

なぜ“暴走老人”が生まれるのか
 カエル騒音で裁判になったというニュースでもう一つ気になったのは、双方が60代男性だということです。
私も同世代の人間として、どうしても年齢的な背景をスルーできませんでした。
 年々、残された時間が少なくなっていくシルバー世代は焦りが募り、不満や不安が大きな風船のようにはち切れんばかりに膨らみがちなのでしょう。
先日、ラジオを聞いていて、リスナーの投稿を紹介するMCの言葉に耳を奪われました。
 その内容は「年々、移ろう時間が早くなる」というものでした。
興味を持って耳を傾けると、ご自身の経験から「10代は時速10キロくらいで思い出いっぱいだったのに、社会に出た20代は倍になり、40代になると時速40キロと年々速度を速めていった。今、70代になったが、移ろう時間の早さはあっという間で、法定速度を上回る70キロ以上になったと感じている」と言うのです。
「なるほど!」と思わず手を打ちました。

私も、年々時間が早く過ぎると感じていたのですが、それは年相応であり、齢を重ねると生き急ぐ傾向にあるのは自然なことなのです。
毎日のように、もみじマークを付けた高齢ドライバーの生き急ぐ(先を急ぐ)運転にドキリとするのも、そういう人が多いということかと合点がいきました。

 コロナ禍で、不自由な暮らしを強いられる。旅行も飲み会もできず、孫にも会えない。
オリンピックにより変異株が拡大すれば、さらなる緊急事態に陥る可能性もあり、我慢の限界である。
残された時間が少ないのにコロナ禍で2年も無駄にしてしまった。
今、こうした鬱憤(うっぷん)をためてイライラしながら生活していると、時の移ろう速度がさらに上がり「暴走老人」状態になりかねません。

 自戒を込めて、あらがっても「どうしようもないこともある」と、生き急がずに自分の足元を見つめ直せば、世の中の見方も変わります。
「仕方ない」と諦めることも肝心であり、コロナ禍の時代は頑張りすぎない生き方を模索する“分水嶺”なのかもしれないと思っています。
    (エンゴシステム代表取締役 援川 聡)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 🌁 | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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