2021年07月28日

ドタバタ五輪開会式、日本に「多様性と調和」がないという気づきと希望

ドタバタ五輪開会式、日本に「多様性と調和」がないという気づきと希望
2021.7.27 Diamondオンライン
上久保誠人:立命館大学政策科学部教授

「動くピクトグラム」の残像色濃い、東京五輪の開会式。
しかし、テーマである「多様性」と「調和」が感じられなかったのはなぜか。
日本にとって痛手となった開会式を振り返る。
そして、この人権意識の低い日本を変えるには、若い世代の力に期待するしかない。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)

開会式、「逆身体検査」のような人選になっていた?
 開会式直前に、楽曲担当・小山田圭吾氏の辞任に続き、文化イベントに出演予定だった絵本作家・のぶみ氏も辞任、小林賢太郎氏が大会組織委員会から解任された。
 次々と大会のクリエイターが辞めていく事態に、その「人選」をした大会組織委員会が批判されている。
「身体検査」が甘すぎたのではないかというのだ。

 しかし、私は、「逆身体検査」のような人選になっていたのではないかと思う。
人権侵害、人種差別、民族蔑視などに反対してきた人や、女性、LGBT、障がい者などの権利拡大に熱心に活動してきた人たちをむしろ「言動が危険な人物」として、クリエイターの候補者から外してきたのではないかということだ。

日本政府は、人権問題について国連からさまざまな勧告を受けるなど、批判されてきた(本連載第219回)。
人権意識が高い人は、時に政権批判につながる言動を行うことがある。それを危険視したのだ。
 もちろん、そんなことを露骨に行うことはできないが、安倍晋三・菅義偉政権や、森喜朗前会長を中心とする大会組織委員会の中枢に「忖度」する「空気」があり、自然にそういう流れになったことは、容易に想像できる。

 例えば、「日本学術会議」の会員人事で、6人の研究者が政府から任命拒否された問題がある(第255回)。
政府は、任命拒否の理由の開示を拒否しているが、6人の「リベラル」な姿勢を、政府が「危険人物視」して外したのだと、私は思う。
 安倍氏が首相に復帰して以降、「お友達」を守り、異論を持つ人や反対勢力を露骨に排除する動きが強くなった。
また、「桜を見る会」のように、芸能人までもが嬉々として首相の「お友達」になろうとする動きが広がった(第233回)。  五輪クリエイターの人選の背景には、そういう世の中の流れがあったと思う。

ピクトグラムのガッツポーズの残像、「多様性」と「調和」はどこに?
 しかし、今回の五輪開会式の発注は、「多様性」と「調和」がテーマである
今回の開会式のチーム編成がたとえ「お友達」人事で、人権問題に高い意識を持っていないことが選ばれた理由だったとしても、発注されたものには、応えなければならない。
 彼らが「納品」した五輪開会式は、日本の「ものづくり」のアピールはあった。
入場行進では、世界中で大人気の日本のゲーム音楽が使われて沸いた。

 NHK教育テレビの番組「デザインあ」を思わせる「動くピクトグラム」のパフォーマンスは、彼らの持ち味を出せた部分だっただろう。
世界のメディアにも多く取り上げられ、日本らしい細かい芸に驚嘆の声が上がった。
 だが、「多様性」と「調和」はいったいどこにあったのだろう。

 各大陸を代表する人をつないで合唱した「イマジン」。
レインボーカラーのドレスを着たMISIAの国歌独唱。
日本選手団の旗手が八村塁選手。聖火リレーの最終走者が大坂なおみ選手。歌舞伎の市川海老蔵とジャズ・ピアニストの上原ひろみのコラボ。
 イマジンはいつでも使われる世界の定番。とりあえず入れておこうという感じだ。

あとは、個人頼みの「多様性」と「調和」だけだった。
「多様性」と「調和」について、日本はどのような思想を持ち、何を世界に訴えるのか。それを表現したものは、残念ながらひとつもなかった。

 それは、とてつもなく難しい課題であることは間違いない。
だが、それに挑戦し、苦心惨憺(さんたん)して創り上げたという形跡がまったくなかった。
 印象に残ったのは、動くピクトグラムのパフォーマーのガッツポーズだけなのだ。
皮肉を込めていえば、おそらくそこに持ち味を出せたクリエイターの魂が入っていたのだろう。
だが、それは世界にはなにも伝わらない、独りよがりの魂だったと思う。

 ただし、クリエイターたちが、過去のいじめや人権侵害、民族虐殺のやゆで世界中から批判を浴びて何人も辞めるという代償を負いながら、「多様性」と「協調」に取り組んだことは、無意味だったわけではない。

日本社会が、人権問題を学ぶための痛い代償にはなった
 私は、「人権問題」というものは、難しく議論すればいくらでもできるものだが、その本質は至ってシンプルだと言ってきた(第195回)。
それは、私自身の経験からきている。
 私は元々、「保守的な思想」に染まった人間だったが、英国留学の経験で変わった。
大学の教授や友人らには、多様な考えを持つ人がおり、「民族」「女性」「マイノリティー」「宗教」など、微妙な問題に触れてしまうことがあった。
彼らの顔色が途端に変わり、厳しい口調になり、こちらも相手に気を使って話した。
多様な考えが存在することを、自然に知るようになった。

 しかし今回のクリエイターたちや、それ背後の大会組織委員会の「昭和の老人」たちは、人権問題を真摯に考えさせられるような人間関係がなかったのではないか(第268回)。
 だが、五輪を招致し、「多様性」と「調和」をテーマとする五輪開会式の発注を受けた。考えたくなくても、考えざるを得なくなった。
大きな代償を払ったが、彼らは人権問題を学ぶ機会を得た。
今後、人権を軽視する言動はなくなるだろう。
 そして、これはクリエイターや昭和の老人だけではない。
多くの人が、五輪開幕直前の大混乱を通じて、人権問題をあらためて考え直すきっかけとなった。
それは必ず、日本国民全体の人権意識を高めることになる。

 さらに重要なことは、クリエイターたちが辞めることになったのは、ネット上での厳しい批判がきっかけだったということだ。
 大会組織委員会は、なんとか問題をスルーして本番を迎えたいと思った(第280回)。
しかし、若い世代を中心としたネット社会がそれを許さなかった。
これは、「昭和の老人」が、古ぼけた成功体験を若い世代に押し付けることが多かった日本では画期的なのではないだろうか。

人権問題も政府頼みでは進まない!若者が創る社会に変えていく
 若い世代の人たちに訴えたいことがある。
今回ネット上の批判という形で示したものは、「世界標準の人権感覚」である。それを、さらに前進させてほしいのだ。
 これまで日本は、人権問題が起こって批判をされると、対症療法的にあらためることを繰り返してきた。
今回、五輪クリエイターが次々と辞めたことも同じである。
だが、それだけでは不十分なのだ。

 本質的には、日本は人権問題が存在しないという状態を目指さなければならない。
まずは、日本が世界から人権感覚が低いと批判され続けてきた以下のような問題を一挙に解決することが重要だ(第219回p5)。

それを、若者から次の7つを政府に強く求めてはどうだろうか。
(1)数々の企業の上級・中級幹部における女性の割合が、わずか14.7%であることの改善(World Economic Forum, Global Gender Gap Report)
(2)「下院議員または一院制議会における女性議員の比率、193カ国のランキング」で、日本が166位であることの改善(Women in Politics:2021)
(3)国連の女子差別撤廃委員会から「差別的な規定」と3度にわたって勧告を受けている夫婦同姓をあらためて、「選択的夫婦別姓」の導入
(4)「女子差別撤廃条約」の徹底的な順守を宣言
(5)国連の自由権規約委員会や子どもの権利委員会から法改正の勧告を繰り返し受けている婚外子の相続分差別の撤廃(第144回
(6)外国人技能実習生の人権侵害問題の解決などによる、多様性のある日本社会の実現(第197回
(7)同性婚などLGBTの権利を保障する

 また、政府以外にもこれらの問題に深く関わる、企業、団体、個人にも働きかけていく。
人権問題を個別にただしていくだけではなく、一挙に「人権を世界で最も守る国」に日本を変えて、政策を作っていく。
それが、可能な時代だ。

 世界では「ビジョンハッカー」と呼ばれる若者たちが、スマートフォンを武器に仲間や資金を集め、社会システムを根本から変えようとする動きが広がっている(NHKスペシャル)。
 例えば、「ブラジルのスラム街の貧困を自らの力で解決できるシステム」
「日本の健康診断のシステムを途上国に導入して世界の医療格差をなくす」などのビジョンをSNSで発信し、世界中で仲間や資金を得て実現しているのだという。

ドタバタ五輪開会式、日本に「多様性と調和」がないという気づきと希望
 これからは、社会を変える政策の立案は政治の専売特許ではない。
調整に手間取り、既得権の壁に阻まれて時間ばかり浪費する政治よりも、若者同士がつながり、より軽やかに壁を乗り越えて、新しい社会を創る時代になっていく。
 日本の人権問題も政府頼みでは進まない。
NGOのスタッフ、法律、金融、コンサル、研究者などさまざまな専門を持つ若者たちが、SNSをネットワーク化してビジョンを作り、問題を乗り越える新しい政策を創っていくべきだ。

 東京五輪では、これまで日本をけん引してきた選手が敗れる一方で、新しいスター選手も台頭してきている。
新しい日本が始まる大会となりそうだ。
それは、スポーツ界にとどまらず、日本全体に広がっていく流れとなることを希望する。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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