2021年08月06日

叔父の被爆体験、叔母の命日

伯父の被爆体験、伯母の命日

今日は「広島原爆被害慰霊日」
伯母の伴侶だったKさんは、青年時に広島原爆に遭遇し被爆手帳を持つ「被爆者」
伯母は 胃がんで 私が高校1年の時なくなりました。命日は「8月6日」。

伯母の死後、広島原爆の日について Kさんから話を聞く機会がありました。
家族の死・友人や近所の方の死について 悲惨な体験を話してくれました。
「はだしのゲン」の世界をKさんの体験で語ってくれ、心身に十字架の深さに息を飲んだものです。

「伯母さんの優しさには感謝しているんだ、俺の原爆放射能の影響がでるかもしれないと 子作りに踏み切れなかった」
「小だぬき君を 我が子のように見て 会うことを楽しみにしていたんだ。」
「俺を責めることなく 明るく接してくれたんだ」
「原爆というのは 死ぬまで放射能の恐怖を与え続けているんだよ」

私は 8月6日だけでなく 人生に 放射能の陰を落とし続ける「非人間的兵器投下」、戦争犯罪だと思います。
父は 伯母の命日が6日ということで Kさんの心に 深いキズを残すことを恐れ
「姉のことは 早く忘れて欲しい。そして幸せをつかんで欲しい」と言っていたことを思いだします。


広島平和宣言(昨年度)
1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。
しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。
 今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、もがいていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。

 およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶かなわなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥れました。
その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋つながりました。

 こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。
そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠よることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

 原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。
大半が火傷やけどで、皮膚が垂れ下がっていた。
『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです」という当時13歳であった男性の訴え。

 昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。


 そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから」という実体験からの言葉。これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。
 今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。
実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ」「人類の未来のための教訓だ」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

 ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。
世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。

 そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

 本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊みたまに心から哀悼の誠を捧ささげるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

令和2年(2020年)8月6日

広島市長 松井一実
posted by 小だぬき at 17:56 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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