たとえ菅が辞めようと、臨時国会を開かない自民党には政権を任せられない
9/3(金) News week
<自民党は安倍政権のときから国会のチェックを受けることから逃げ続け、憲法の義務である臨時国会を開くことも拒んだ。今日のコロナ感染爆発を招いた責任も問わせないまま総選挙に突入する勢いだ>
7月16日、野党4党は憲法53条に基づく臨時国会召集要求を提出した。
しかし一ヶ月半たった今も、国会が開かれる気配はない。
政府与党はいろいろな理由をつけて臨時国会を先延ばしにしており、そうこうしているうちに9月3日、菅首相は月末に行われる自民党総裁選への不出馬を決めた。
これによって自民党は後継者選びに忙しくなり、総選挙までに臨時国会を開こうとはしないだろう。
政治空白とともに、事実上の無法政治が行われている。【藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)】
<立憲主義に反する政権>
日本国憲法では、次のように規定されている。
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。
いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」。
今回、野党は後者の規定による国会召集を要求し、内閣が召集を決定しない場合は憲法違反となる。
この条文には「いつまでに」という規定がない。
これを悪用して菅内閣は、臨時国会召集の引き伸ばしを正当化した。
2017年には同様の理由で安倍内閣が臨時国会を先延ばしにし、9月末にやっと開かれたが、そこで冒頭解散となった。
しかしながら、「いつまでに」という規定がないのは、常識的に考えればこれが直ちに実行されるはずのものだからであって、内閣・政府与党の恣意によって召集の決定が引き伸ばされるなどということは憲法の制定者は想定していなかっただろう。
ここに、自民党内閣に政権を任せられない理由がある。
政治家は、単に憲法に従うだけでなく、憲法の精神に沿った政治を行わなければならない。
憲法53条の臨時国会を召集させる権利は、行政府に対する立法府の重要な権利だ。
条文に明文化されていないからといって召集を先延ばしにする行為は、憲法の精神に反する。
憲法の精神に基づいた政治を「立憲的」という。
つまり臨時国会を開かない安倍・菅政権は「非立憲的」内閣と呼びうる。
そして国会召集見送りは自民党の総意でもあるのだから、菅首相の後継政権もまた「非立憲的」内閣になるのは確実なのだ。
<野党が要求する臨時国会の意義>
民主主義国家で、権力の集中を防ぐための仕組みが権力の分立だ。
たとえば立法府が法律をつくり、行政府がそれを執行する。しかし社会が複雑化するとともに、三権のうち行政府の役割が増大することになった。
それに伴い立法府の役割として、法律をつくるだけでなく、行政府をチェックする機能が重要になった。
コロナ禍のような行政府の仕事が増える緊急時には特にそうなのだ。
緊急的な対応が増えれば増えるほど、その対応が適切か否かをチェックする仕事も増える。
間違った対応にチェックが機能しなければ、永遠に間違い続けることになる。
「コロナ予備費がまだある」は理由にならない
従って、菅首相が述べたコロナ対応で忙しいから臨時国会は開けないというのは間違いで、コロナだからこそ、権力の暴走や悪用を防ぐために、行政府はより強く監視される必要があるのだ。
菅首相がコロナ対応に専念するための総裁選不出馬ならば、なおさら臨時国会は開かれるべきだった。
ところで、日本は議員内閣制を採用している。
議員内閣制では通常、議会の多数派の中から政府のトップが選ばれ、政府と与党が一体となって政権を担う。
アメリカ大統領制のように、大統領の出身政党と議会の多数派政党が異なったり、一致している場合でも大統領と議会がそれぞれ独立の意志をもって行動したりするようなことはほとんどない。
従って、議員内閣制では行政権と立法権の分離が形骸化してしまう危険性がある。
そこで重要なのが野党だ。
野党が実質的に国会による政府与党のチェック機能を担う。
さらに野党は、国内の少数意見も代表している。
53条が、総議員の4分の1という比較的低いハードルになっているのも、政府と議会多数派が一体となって、立法府のチェック機能を嫌がり国家を開かないようにすることを排除するためだ。
憲法は多数の独裁を許さない。
この点でも、臨時国会を召集しない政権がいかに罪深いかが分かるだろう。
<コロナは行政府と立法府が共同で対応すべき問題>
刻々と変化するコロナ情勢に対して、国家は機動的な対応を迫られている。
その対応については、立法措置や予算措置も含まれる。法律や予算について、唯一の権限を持つのが国会だ。
従って、コロナについては行政府と立法府が協働するかたちでの政治が求められる。
加藤官房長官は、コロナ予備費がまだ残っていることを国会を招集しない理由のひとつに挙げた。
しかし、行政府が膨大な予算の使途を国会の同意なく自由に決定するのは、本来の立憲政治に反する。
予備費を使う場合でも、出来るだけ国会の議論を介在させたほうが手続きとして望ましいのに加え、GoToキャンペーンのような愚策に貴重な予算が使われないための歯止めも必要だ。
さらに、現在の全国的なコロナ感染の拡大を止めるための対策を打ち出す必要がある。
その際、過去2回の緊急事態宣言にみられる、感染者が十分に下がりきっていないのに行動制限を緩めたことにより、急激な感染爆発を招いたという反省が必要だ。
今度こそ感染者数を限りなくゼロに近づけるため、強力なロックダウンを行わなければならないかもしれない。
そうなれば、その補償のための補正予算が必要となる。
国会を開かなければロックダウンをするかどうかすら議論できない。
総選挙でまともな政治を取り戻せるか さらに、国会を開かなければ、与党のみならず野党の持つ様々な少数意見を汲み取ることができず、きめ細かな対策を打ち出すことができない。
もっとも現在の野党は、検査・補償の充実や「野戦病院」の建設など、必ずしも少数とはいえない民意を代表しているのだが。
<次の政権は、まともに国会で議論する政権に>
以上、臨時国会が召集されなければならない理由を述べた。
憲法を遵守し国会を開くという、政治が行って当然のことを要求しなければならないのはとても残念だ。
コロナの時代だからこそ、当たり前に国会で議論できる政権が必要なのだ。
しかしそのような政権は、いかなる人物が次の総裁になろうと、自民党には最早望むことはできないだろう。
総裁選の候補者たちは、安倍政権や菅政権で党の要職についており、そうした政治を容認してきたのだから。
従って、立憲政治という期待して当然のまともな政治を取り戻せるか否かは、総選挙の選択にかかっているのだ。