「日本の賃金は米国の6割」韓国にも抜かれた日本の凋落
2021.9.23 Diamondオンライン
野口悠紀雄:一橋大学名誉教授
日本のビッグマックの価格は、アメリカの6割程度でしかない。
これはドルで表した日本人の賃金がアメリカの6割程度でしかないことを意味する。
本来であれば、このような乖離(かいり)は貿易によって調整されるはずだ。
だが実際にそうならないのは、日本が安易に円安を求めたからだ。
その結果、技術開発が遅れ、生産性が低下した。
日本のビッグマック価格は アメリカの6割でしかない
各国のビッグマックの価格を英誌エコノミストが毎年発表している。
2021年の数字の一部を示すと、図表1のとおりだ。

日本のビッグマックの価格は、現実の為替レート(1ドル=110円)で換算すると3.55ドルとなり、アメリカでの価格5.65ドルの62.8%でしかない。
だから、アメリカ人が日本に来てビッグマックを買えば、「日本は物価が安い国だ」と感じるだろう。
逆に、日本人は「アメリカは物価が高い国だ」と感じる。
つまり、海外旅行をしたときに、アメリカ人は豊かな旅行ができ、日本人は貧乏旅行しかできないのだ。
1ドル=69円が 適正な為替レート
ビッグマックは世界のどこでもほぼ同一品質だから、どの国で買っても同じ価格になるのが自然だと考えることができる。 それを実現する為替レートのことを「ビッグマック指数(1)」と呼ぶことにしよう。
図表1の数字を用いていて日本の場合について計算すれば、390÷5.65=69.0となる。
つまり、1ドル=69円が「ビッグマック指数(1)」による為替レートだ。
次に、それと実際の為替レートとの比率を計算する。
これを「ビッグマック指数(2)」と呼ぶことにしよう。
今の場合について計算すれば、69.0÷110=0.628となる。 「ビッグマック指数(1)」は、購買力平価と同じような概念だ。
「ビッグマック指数(2)」は実質実効為替レートに対応する購買力平価は基準時点を決めて、そのときの購買力を維持するような為替レートだ。
それに対して、「ビッグマック指数(1)」はアメリカを基準にして、それと同じような購買力を実現する為替レートといえよう。
「ビッグマック指数(2)」で、 日本の賃金は31位、韓国より低い
ここで、労働者の平均賃金とビッグマック価格の比率はどの国でも同じだとしよう。
その場合、もし実質の為替レートが「ビッグマック指数(1)」と同じであれば、つまり、「ビッグマック指数(2)」が1であれば、その国の平均賃金はアメリカと同じになる。
ところが、もし「ビッグマック指数(2)」が1より低ければ、その平均賃金はアメリカより低いことになる。
日本の場合、この比率が0.628だから、「日本の労働者の賃金は、アメリカの労働者の賃金の約6割でしかない」ということになる。かなりの低さだ。
実際、「ビッグマック指数(2)」の順に世界各国を並べてみると、日本は31位だ。
ヨーロッパ諸国をはじめとして、ほとんどの国が日本より上位にくる。
アメリカより高い指数の国もあるので、アメリカは第5位だ。
韓国は第19位で、日本よりかなり上位。
サウジアラビア(26位)、パキスタン(29位)も日本より上位。
中国が33位と、日本に迫ってくる。
実は日本の「ビッグマック指数(2)」は、1980年代には1を上回っていた。
その後、低下したが、2010年でも0.96だった。2000年頃までは、世界ランキングでトップクラスだった。
それに比べると、現状は著しい凋落と言わざるを得ない。
OECD(経済協力開発機構)は購買力平価による1人当たりGDP(国内総生産)や就業者1人当りGDP(労働生産性)を計算している。
これによると、欧米諸国が上位を占め、日本がそれよりかなり低い位置にあり、そして韓国は日本より上にある。
これは、「ビッグマック指数(2)」によるランキングと、ほぼ同じような傾向だ。
「購買力平価」は抽象的な概念であり、分かりにくい点があるが、ビッグマック指数はもっと分かりやすい。
価格差を是正するように、 円高になるはずが、なぜならないか?
以上で指摘したことについては、次のような意見があるかもしれない。
日本の労働者は、日本にいる限り、賃金は安いけれども安いハンバーガーを買うことができる。
だから、アメリカの物価が高いのはとくに問題ではないという意見だ。
しかし、そうではない。
日本経済は孤立して存在しているわけではなく、国際的な取引があるからだ。
そして、そのような取引によって、日本の労働者の賃金や国際的な地位をもっと上げるような力が働くはずなのだ。
今仮に、現実の為替レートが1ドル=110円ではなく、1ドル=69円になったものとしよう。
そのときには、日本のビッグマックの価格(390円)は、ドルで評価すれば5.65ドルとなり、アメリカのビッグマックの価格と等しくなる。
だから、「日本のビッグマック指数(2)」は1となり、世界第5位となるのだ。
では、為替レートをそのように動かす力が働くのだろうか?
原理的には、このような力は働くはずだ。
仮に、アメリカ人がほとんどコストなしに日本に来られるような世界を想像してみよう。
この世界では、つぎのようなことが起きるはずだ。
アメリカ人は、アメリカのビッグマックを買うのでなく、ドルを円に換えて日本のハンバーガーを買うだろう。
すると、外国為替市場で円に対する需要が増え、ドルに対する需要が減るので、為替レートは円高になる。
このような調整は「ビッグマック指数(2)」が1になるまで続くだろう。
ところが、実際には上記のメカニズムは働いていない。
その第一の理由は、現実の世界ではアメリカ人が日本に来るにはコストがかかるからだ。
ただし、これは本質的なことではない。
なぜなら、貿易をすればよいからだ。
ビックマックは腐ってしまうので輸出はできないが、製造業の製品などを日本が輸出すればよい。
そうすれば、わざわざアメリカ人が日本に来なくても同じようなことを実現できる。
現実の為替レートで換算すれば、日本製品はアメリカで割安になるので輸出が増える。
そのため円に対する需要が増え、円高になるはずだ。
「ビッグマック指数(2)」が完全に1にならなくても、それに近い値になるだろう。
少なくとも0.628というような低い値にとどまる事態にはならないだろう。
したがって、上記のメカニズムの実現を阻む要因が現実世界にあることになる。
生産性を上げずに 手軽に利益が出る円安に依存
円高を阻止し円安を望むメカニズムが何であるかは、前回コラム(2021年9月16日付)「円安の『麻薬』に頼り続け、日本円の購買力は70年代に逆戻り」で説明した。
その内容を要約すれば、次のとおりだ。
日本の輸出産業の立場からすれば、円安になると、ドル表示の日本の賃金を自動的に切り下げるのと同じことになるので、利益が増える。そして株価が上がる。
円高になれば、逆のことが起きて、企業の利益は減少し株価が下がる。だから、円高は「国難」と言われる。
そのため、実際に円安政策が取られ、「ビッグマック指数(2)」が1より低くなってしまうのだ。
ここで注意すべきは、円高による利益減少は、本来であれば、技術革新を行なって生産性を引上げ、それによって利益を上げることで対処すべきだったことだ。
しかし、そのためには、投資が必要だし、労働の配置転換なども必要とされる。
それよりは手軽に利益が上がる「円安」という手段に依存したのだ。
では、円安で対処した場合と生産性向上を実現した場合で、何が違うか?
生産性向上が実現された場合には、賃金が上昇したはずだ。
しかし、実際には、生産性が下がったため賃金は下落した。
90年代から技術進歩が止まってしまった IT革命に対応できなかった
技術革新によって生産性が上がれば、円高になったとしても企業の利益は減らず、株価も上昇する。
また、賃金も上昇する。
日本は、1970年代、80年代を通じて、これを実現した。
為替レートは円高になったが、企業の利益も賃金も上昇した。
しかし、90年代頃からそのようなことができなくなった。
これは、インターネットを中心とする技術が発展し世界が成長率を高めたのに、日本がそれに対応できなかったからだ。 技術開発ができなくなったために円安に頼らざるを得なくなったとも言えるし、円安で心地よい状況が実現できたために無理して技術開発を求めなかったとも言える。
その状況は今に至るまで続いている。
実際、アベノミクスでも円安(金融緩和)は実現したが、生産性向上(第3の矢)は実現しなかった。
今盛んに言われているデジタル化の遅れとは、このことにほかならない。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)